原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

人間関係継続の源は循環力

2008年03月08日 | 人間関係
 人との出逢いとはかけがえのないものである。それがたとえネットというバーチャル世界での出逢いであっても。如何なる相手との出逢いであれ、如何なる出逢い方をしようが、その人間関係が末永く続くようその出逢いを大切に暖め続けたいものである。
 以上は、前回の記事「生身の人間が恋しい…」においても記述した。

 ところが残念なことに、そんな思いも虚しく現実にははかなく消え去っていく人間関係の方が大多数であろう。

 人間関係を継続させるポイントは何なのか? どうすればかけがえのない人間関係を末永く暖め続けられるのか? 今回の記事ではこのテーマについて論評してみたい。
 (今回の記事のテーマはバックナンバーの記事に頂戴したコメントからヒントをいただいた。Rさん、いつもお世話になっております。感謝申し上げます。)

 結論から先に述べよう。 人間関係継続の源は“循環力”である。
 これでは分かりにくいのでもう少し説明すると、“パワー”と“ハート”の相互作用及び循環が人間関係を継続させる、と私は考える。

 “パワー”に関しては当ブログのバックナンバー、学問・研究カテゴリーの「組織論におけるパワー概念」においても記述しているので参照いただきたいが、わかりやすく説明すると、“相互に行使するあらゆる種類の影響”すなわち、人間同士の影響力を意味する。 そして“ハート”については分かりやすいが、それは“愛”であり“思いやり”であり“配慮”であろう。“ハート”は“パワー”の一類型であるが、人間関係継続における最重要要素であると私は考えるため、ここでは区別しておこう。

 人間関係において、この“パワー”と“ハート”の循環力が正常に保たれた状態にあると、すなわち、“パワー”と“ハート”の相互作用がうまく循環し続けている状態の下では人間関係は継続し続ける。
 ところが、この循環力がなくなってしまったり、バランスが崩れて一方通行になったり、空回りすると、人間関係は軋み始める。そして、その状況は片方、あるいは両者に欲求不満をもたらし、人間関係の終焉へと繋がっていく。

 この循環力は、そもそも人間同士の相性によるところが大きいかもしれない。
あるいは、お互いの人格や能力等のバックグラウンドに負うところも否定できないであろう。
 それでも、この循環力を保ち続ける一番のキーポイントは、やはりその人間関係を継続したいという思いと努力なのではなかろうか。結局、“ハート”の循環が肝要と私は考える。

 世の中にはいろんな人間関係がある。友達関係、同僚関係、師弟関係、夫婦関係、親子関係、ネット上の関係、 不倫関係(???)…

 すべての人間関係がうまくいくと、戦争さえなくなるような気さえする…。 それは極論であるが、私はせっかくの人との出逢いを真に大切にしたいと考えて生きている。

 “パワー”と“ハート”共々、人との循環力を保てるよう努力を続けたい。(大切な人とは特にね!)
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10 Comments

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ハートの循環 (旅人)
2008-03-08 20:19:52
こんにちは、原様。
あなたは本当に心の優しい方だと思います。いつでも、わたしたちが”ハート”(“愛”であり“思いやり”であり“配慮”)の循環を築いていくなら。確かにこの世の中で人と人とが、いがみ合うことはないかもしれません。私自身、この殺伐とした世の中で”ハート”をすり減らし傷ついた一人です。”ハート”を持つのは人間だけと言われてます。誰もが持ってるはずの”ハート”をわたしも循環させていきたいと思いました。とても、考えさせられました。ありがとうございます。
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旅人さん、そして“パワー”の循環も… (原左都子)
2008-03-08 20:49:34
この殺伐とした時代において、“パワー”の一類型に過ぎない“ハート”の循環のみでは残念ながら人間関係を継続させる要素としては軟弱かと私は考えます。
それは理想ではありますが、人の価値観の多様性を考慮した場合、もう少し強力である“パワー”(もちろん“ハート”も含めた)の循環が今の時代は不可欠なのではないかと残念ながら思います。

人が生きる方向性を見失いつつある今の時代、人が人を動かす力として“パワー”(もちろん、肯定的な意味合いでの。ところが、何が肯定的なのかの判断も困難な世の中ですが…)も要請されると私は考えております。

旅人さんこそ、心やさしい方ですね。
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全く同感! (幸慶家)
2008-03-09 10:21:59
um・・・なかなか上手い「論評」ですなあ~
「パワー」と「ハート」ですか。
サスガです。
なかなか、「難しく」考え、また「難しい」言葉を用いてあるので、老いさんには良く判らない。
何か、「大学の講義を受けているような・・・」

講義なら、「居眠り」をしている間に終了してしまいますが、有り難い事に、「活字」になっていると、何度も読み返しが出来る。

段々と『原左都子』さんの言わんとする事が見えて来ました。

老いさんと「同じ考え方」です。
中に≪相性≫とありますが、これが全てだと思うのです。
前回の≪生身云々・・・≫と関連して来ますが、
この≪相性≫がなければ、始まらないのではないでしょうか。
もっと、簡単に表現すれば、「好きになる事」「恋愛意識の芽生え」・・・インスピレーションのピッピッピッ・・・と来たか、否か。

まして、ネットの様に顔も見えない訳ですから、文章からの≪相性≫になりますね。

もう、『原左都子』さんの仰るとおり!
これらが、「心臓の鼓動」の様に、たゆまなく≪循環≫させる訳ですね。

何か算数の答が判った様な「感激」です。

だけど、≪相性≫の合わない人とは、どうしたらよいのでしょう。


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幸慶家さん、何度もお読みいただき恐縮です。 (原左都子)
2008-03-09 10:55:02
本当に申し訳ないです。ご多忙中何度もお読みいただきまして…。
もう少しわかりやすい表現をすればいいものを、申し訳ありません、私もちょっとカッコつけたいもので…。
学をひけらかす訳ではないんですが、せっかくの学問的バックグラウンドを披露してみようかな、なんて、私も器量の小さいまだまだ未熟な人間です。

相性の合わない人との人間関係については、人生の先輩でいらっしゃる幸慶家さんにこちらからお聞きしたいぐらいです。
私の場合、若かりし頃は相性が合わないとそれだけで嫌で、人間関係を粗末にしていたように思います。
ただ年齢を重ねてきて少し大人になった今は、なるべく“相性”にはこだわらないように心がけています。そもそも“相性”とは感覚的な側面で、実はその相手がすばらしい人格者であったりもします。やはり、自分にとってプラスになるパワーはいただいた方が得なので、長い目で見てお付き合いをしたいと思います。それに、こちらが相性が悪いと感じていても向こうはそうではなくむしろ好感を持ってくれていて、ハートをもらったりする場合もあります。それはそれでうれしいものです。
とにかく、早合点で人間関係を切り落とさないようにしたいと考えています。
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Unknown (OTTO@平成マンション物語です。)
2008-03-09 23:34:28
原様

OTTO@平成マンション物語です。

お久しぶりです。
最近、帰りが遅くて、パソコンを使うまもなく。

「早合点で人間関係を切り落とさないようにしたい」
本当にそう思いますね。

第一印象ってその後の人間関係に大きく影響してしまいがちですから。

気をつけたいと思います。

今後ともよろしくおねがいします。

以上
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OTTOさんとも循環力が保たれているようですね。 (原左都子)
2008-03-10 08:52:23
OTTOさん、ほんとにしばらくご無沙汰でしたね。
でも循環力が保たれているようで、ご多忙中訪ねて下さってとてもうれしいです。

「早合点で人間関係を切り落とさないように」なんて、私も偉そうなことを言っていますが、若かりし頃は人間関係において我がままな奴でした。

そんな私を変えてくれた一番大きな転機は、高校教員経験であったかもしれません。教師対生徒の関係において、「あの生徒、気に食わないから付き合わない。」では済まされません。そこで、私は苦手な生徒ほどアタックするように心がけました。仲良し生徒は放っておいても向こうからやって来ますから。子どもって本当に純粋で、“ハート”を受け取る能力に長けていて打てば響きます。最初はつっぱっているようでも必ず心を開いてくれます。卒業後に連絡をくれるのはむしろ元々苦手だった生徒なんです。

相手が大人であっても大差はないように思います。
せっかくの出逢いをなるべく切り捨てないように心がけたいと思っています。
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永遠の悩み (inaka)
2008-03-10 17:13:19
人間関係 やさしそうで難しい
永遠のテーマだなあ
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大先輩のinakaさんですら… (原左都子)
2008-03-11 06:58:44
inakaさん、ブログ本体へのコメントありがとうございます。
人生の大先輩でいらっしゃるinakaさんですら、人間関係が難しいとおっしゃるのですから、私などにとってはそれこそ永遠のテーマです。

昔に輪をかけて人間関係が築きにくい今の時代ですが、“ハート”が通じ合ったときのときめき、喜び、これを心の支えに日々を暮らしたいと思います。
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中身の濃い記事そしてコメントたち (量さん)
2008-03-11 11:38:11
原様の、生徒さん達からの慕われようは感動的なものがありましたものね。
高校生なんて、女子は心を閉ざしていて当たり前ですし、男子に至っては、決して小柄ではない原様より遥かに体も大きいのに、彼らは目をキラキラさせて。
原様は彼らを子供扱いしないように注意しているとおっしゃってたけど、私はその姿それ自体に母性を感じました。
今思うとそりゃそうです。真に母性があれば成長を喜び助けるもの、大人への道を否応なく進まされる彼らの身になれば、戸惑う彼らを呑気に子供扱いなどしていられるわけがない、と最近わかってきました。
母性は本能ですから、性欲など他の本能同様愛が伴っていないと非常に危険な支配欲となりかねません。
その人物と愛ある関係を作れるかということは時として死活問題ですよね。
残念ながらハートが循環せず、踏みにじられることもあるのがこの世ですが、それでも循環させようとした側には何か良いものが残るということが、最近見えてきたように思います。
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量さん、確かにハートが踏みにじられることがあります… (原左都子)
2008-03-12 07:59:36
量さんは、私が昔話したことを本当によく憶えていて下さってうれしいやら恐縮するやらです。

まさに、人間関係が死活問題である場合もあります。
量さんも、現役指導者として日々子どもと接する立場でいらっしゃいますが、子どもとの関係において感動やはたまたご苦労が日常茶飯事であることとお察しします。

量さん、いいこと言ってくれました!
そうなんですよ。特に大人との関係においては、せっかく投げたハートが循環しなかったり踏みにじられることさえあります。今現在も、私はそういう思いをしています。なぜそうなるのか分析好きな私は考えるのですが、ハートを受け取ることに慣れてない人や、ハートがわずらわしくて拒否さえする人が今の時代増えているようにも察します。
それでも、循環させようとした側には何かいいものが残る、まさに量さんのおっしゃるこの言葉を信じて、私は今日もハートを投げかけます。
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