(写真は、明日1月13日成人の日に娘が着る振袖絵柄の一部を昨日撮影したもの。 新しいパソコンの写真処理に不慣れなため、せっかくの素晴らしい花絵柄の色彩が不明瞭で残念です。 明日娘が実際この振袖を着用している写真を撮影し、後日披露させていただく予定でおります。)
長い道程だった。
この一文で始まる我が子指導教育の道程に関するエッセイを綴り公開したのは、ほぼ5年前の2009年3月のことであった。
「We can graduate!」 と題する「原左都子エッセイ集」バックナンバーの一部を要約して再び以下に紹介させていただくこととしよう。
一昨日、我が子が中学校を卒業した。 娘誕生以来中学卒業までの期間は、我々親子にとって実に長い道程だった。
我が親子の義務教育の9年間は、まるで“ヘレン・ケラーとサリバン先生”のごとくの親子関係と表現可能だ。 我が子が持って生まれた事情に即した子どもの学ぶ“権利”を最大限保障してやりたいがための、親としての“義務”との格闘の9年間だったと言える。
当ブログバックナンバー「医師の過失責任」において既述しているが、出産時のトラブルにより仮死状態で生まれざるを得なかった我が子は、多少の事情を抱えての誕生だった。
瑕疵を抱えて誕生した子供のケアは早期から着手するほど効果が高いとのことで、子ども3歳時より親子で某教育研究所に通いつつ、家庭では“サリバン先生”としての娘に対する私の本格的な「教育」が早くも始まった。
小学校入学直前に学校は保護者を対象に説明会を開催するが、その時点で「自分の名前を“ひらがな”で書けるようにしておいて下さい」との指示がある。 誰だってその程度の事なら放っておいても出来るに決まっている、とお考えの方が多いのであろう。 ところが世の中には自分の名前をひらがなで書かせることに手取り足取りの指導を要して、何年もかかる子どもも存在するのが事実だ。 我が家の場合は某教育研究所を通して既にその情報は得ており、小学校入学時に娘が単独で名前をひらがなで書けるようになるための段階を経た学習を3歳時点から開始している。 お遊び半分で線を引くことから開始し3年間かけて入学までに何とか間に合ったというのが当時の実情である。
小学校入学後は子どもの学習机をリビングにおいて、学校での学習の復習を来る日も来る日も私が付きっ切りで行い、確実な学習内容の理解に努めさせた。
中学校進学段階で我が家が私立の中高一貫校を志望したのは、高校受験における私の教科指導の負担を回避するためというのが実は本音の理由である。 進学した私立中学校が学習指導力のある学校だったため、そのお陰で家庭学習における私の負担は大幅に軽減した。 それでも中学2年の半ば頃までは、国数英の3教科に関してはやはり私がそのすべてに目を通し更なる指導を加えた。 中2半ば以降は本人の学習意欲を尊重し、私は子どもの家庭学習から一歩退き、子どもの疑問質問にのみ答える方針に切り替えて現在に至っている。
以上のように私も娘と共に学んだ9年間だった。 私は人生において2度、義務教育の学習をしたような感覚である。 いや、自分自身が学ぶことは容易であるが、人に指導する事とは自分が学ぶ何倍ものエネルギーと忍耐力を要するものだ。
底辺高校(失礼な表現をお詫びするが)での教員経験のある私ですら、我が子の指導は特に小さい頃程難儀を極めた。 堪忍袋の緒が切れて娘に手を上げたことも何度かある。 自己嫌悪から泣けてしょうがなかった。 子どもが泣く横で私も一緒に泣いた。 親子二人でどれ程の涙を流してきたことであろう。
そんな娘も、生まれ持った素直さと忍耐力の賜物で、学習面においては何ら見劣りがしない程の学習能力を身につけての中学卒業である。 もしかしたら、我が子ほど9年間に渡り弛まぬ努力を続けた小中学生は他に類を見ないかもしれない。
“学ぶ権利”と“学ばせる義務”。 ふたつの力の二人三脚で、我が子の「学び」に対して真っ向から立ち向かった我が家における義務教育の9年間だった。
心から、卒業おめでとう。 We can graduate!
(以上、娘が中学校卒業時点で綴った本エッセイ集のバックナンバーより一部を引用。)
あれから5年の月日が流れ、我が娘は明日「成人の日」を迎える。
上記紹介の娘中学卒業時点で綴った我がエッセイを本日読み返してみて、原左都子自身が実に感慨深い思いである。 それと同時に、その後5年間の我が娘成長の度合いとは筆舌に尽くしがたい程の急発展ぶりだ。
娘幼少の頃には、これ程までに成長した姿で我が子が「成人の日」を迎えられるとは 「お抱え家庭教師 サリバン」の私とて予想だにしていなかった。
もちろん未だ多少の課題を抱えている我が娘ではある。 だが、親である私の予想を大きく覆す程の成長を遂げ明日立派に「成人の日」を迎えようとしている娘が今ここにいる。 その姿、そして我が「お抱え家庭教師」として苦悩努力した日々の歩みや娘に対する思いを今一度分析し直し、次回以降に我がエッセイ集にて紹介したいと考えている。
同じような子供さんを持ち現在苦悩されているご家庭の一助となれば嬉しく思いつつ…。
長い道程だった。
この一文で始まる我が子指導教育の道程に関するエッセイを綴り公開したのは、ほぼ5年前の2009年3月のことであった。
「We can graduate!」 と題する「原左都子エッセイ集」バックナンバーの一部を要約して再び以下に紹介させていただくこととしよう。
一昨日、我が子が中学校を卒業した。 娘誕生以来中学卒業までの期間は、我々親子にとって実に長い道程だった。
我が親子の義務教育の9年間は、まるで“ヘレン・ケラーとサリバン先生”のごとくの親子関係と表現可能だ。 我が子が持って生まれた事情に即した子どもの学ぶ“権利”を最大限保障してやりたいがための、親としての“義務”との格闘の9年間だったと言える。
当ブログバックナンバー「医師の過失責任」において既述しているが、出産時のトラブルにより仮死状態で生まれざるを得なかった我が子は、多少の事情を抱えての誕生だった。
瑕疵を抱えて誕生した子供のケアは早期から着手するほど効果が高いとのことで、子ども3歳時より親子で某教育研究所に通いつつ、家庭では“サリバン先生”としての娘に対する私の本格的な「教育」が早くも始まった。
小学校入学直前に学校は保護者を対象に説明会を開催するが、その時点で「自分の名前を“ひらがな”で書けるようにしておいて下さい」との指示がある。 誰だってその程度の事なら放っておいても出来るに決まっている、とお考えの方が多いのであろう。 ところが世の中には自分の名前をひらがなで書かせることに手取り足取りの指導を要して、何年もかかる子どもも存在するのが事実だ。 我が家の場合は某教育研究所を通して既にその情報は得ており、小学校入学時に娘が単独で名前をひらがなで書けるようになるための段階を経た学習を3歳時点から開始している。 お遊び半分で線を引くことから開始し3年間かけて入学までに何とか間に合ったというのが当時の実情である。
小学校入学後は子どもの学習机をリビングにおいて、学校での学習の復習を来る日も来る日も私が付きっ切りで行い、確実な学習内容の理解に努めさせた。
中学校進学段階で我が家が私立の中高一貫校を志望したのは、高校受験における私の教科指導の負担を回避するためというのが実は本音の理由である。 進学した私立中学校が学習指導力のある学校だったため、そのお陰で家庭学習における私の負担は大幅に軽減した。 それでも中学2年の半ば頃までは、国数英の3教科に関してはやはり私がそのすべてに目を通し更なる指導を加えた。 中2半ば以降は本人の学習意欲を尊重し、私は子どもの家庭学習から一歩退き、子どもの疑問質問にのみ答える方針に切り替えて現在に至っている。
以上のように私も娘と共に学んだ9年間だった。 私は人生において2度、義務教育の学習をしたような感覚である。 いや、自分自身が学ぶことは容易であるが、人に指導する事とは自分が学ぶ何倍ものエネルギーと忍耐力を要するものだ。
底辺高校(失礼な表現をお詫びするが)での教員経験のある私ですら、我が子の指導は特に小さい頃程難儀を極めた。 堪忍袋の緒が切れて娘に手を上げたことも何度かある。 自己嫌悪から泣けてしょうがなかった。 子どもが泣く横で私も一緒に泣いた。 親子二人でどれ程の涙を流してきたことであろう。
そんな娘も、生まれ持った素直さと忍耐力の賜物で、学習面においては何ら見劣りがしない程の学習能力を身につけての中学卒業である。 もしかしたら、我が子ほど9年間に渡り弛まぬ努力を続けた小中学生は他に類を見ないかもしれない。
“学ぶ権利”と“学ばせる義務”。 ふたつの力の二人三脚で、我が子の「学び」に対して真っ向から立ち向かった我が家における義務教育の9年間だった。
心から、卒業おめでとう。 We can graduate!
(以上、娘が中学校卒業時点で綴った本エッセイ集のバックナンバーより一部を引用。)
あれから5年の月日が流れ、我が娘は明日「成人の日」を迎える。
上記紹介の娘中学卒業時点で綴った我がエッセイを本日読み返してみて、原左都子自身が実に感慨深い思いである。 それと同時に、その後5年間の我が娘成長の度合いとは筆舌に尽くしがたい程の急発展ぶりだ。
娘幼少の頃には、これ程までに成長した姿で我が子が「成人の日」を迎えられるとは 「お抱え家庭教師 サリバン」の私とて予想だにしていなかった。
もちろん未だ多少の課題を抱えている我が娘ではある。 だが、親である私の予想を大きく覆す程の成長を遂げ明日立派に「成人の日」を迎えようとしている娘が今ここにいる。 その姿、そして我が「お抱え家庭教師」として苦悩努力した日々の歩みや娘に対する思いを今一度分析し直し、次回以降に我がエッセイ集にて紹介したいと考えている。
同じような子供さんを持ち現在苦悩されているご家庭の一助となれば嬉しく思いつつ…。