原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

科学基礎研究の終点は 「ノーベル賞」 なのか?

2012年10月13日 | 時事論評
 先だっての10月8日に今年のノーベル医学生理学賞を受賞した京都大学教授 山中伸弥氏は、その後マスメディアに幾度となく登場して、その喜びの程を満面の笑みと共に国民の前で晒しているご様子だ。

 受賞の一報が入った翌朝には、早速奥方を引き連れての大々的記者会見と相成った。 
 ノーベル賞授賞式本番に奥方を同行する受賞者は数多いようだが、受賞の連絡を受けた直後にメディア側からの要請に快く応じ、ご夫婦お揃いで記者会見に臨む研究者は珍しいのではなかろうか??
 
 私など、サミット等先進国首脳会議の場に、国家首脳にのこのこくっついて来てメディア上にしゃしゃり出る奥方の存在にすら不快感を抱くことに関しては、当エッセイ集バックナンバーにおいて再三述べて来ている。  
 (よろしければ「原左都子エッセイ集」バックナンバー2007年10月「サルコジ仏大統領前夫人の離婚の理由」、あるいは2009年10月「ファーストレディの真価」等をご参照下さい。)

 記者会見の場での山中氏の奥方に話を戻そう。
 私はてっきりこの奥方は山中氏の研究室の同輩でもあり、その立場での苦労話を披露するためにわざわざ記者会見に臨んだのかと思った。 ところが口から出て来るトークとは、「自宅で冬用布団にシーツをかけていたらノーベル賞の連絡が英語で入った」だの、「研究もマラソンもやり過ぎないように」だの、主婦としての話題から逸脱していない談話ばかりを披露する。
 その奥方の表情が明るければ国民皆が今回の受賞を我が事のように喜ぶだろうとの、メディア側の図式に乗らされる国民ばかりがこの世に存在する訳ではないだろうに…


 どうも、私は以前より山中氏の行動の派手さが気になっていた。
 
 そもそも元医学関係者であり医学基礎研究に携わった経験のある私は、世紀の「ノーベル賞」と言えどもその裏舞台ではコネが渦巻いていたり、“順番待ち”の世界であることは(あくまでも裏情報として)認識していた。
 山中氏に関してもその研究内容のレベルの程はともかく、まるでタレントのごとくメディアに登場したり、マラソンにて公道を走ることにより自身の研究PR活動に勤しんでいる様子に少し首を傾げたい思いも抱いていた。

 そうしたところ、今回50歳の若さにしてノーベル賞受賞とのことだ。
 山中氏曰く、「今回は名目上は私にノーベル賞が贈られることになったが、日の丸の支援がなければ受賞できなかった。 まさに日本という国が受賞した賞だと感じている。 喜びが大きい反面、iPS細胞は医学や創薬において未だ可能性の段階であり実際には役立っていない。 来週からは研究に専念して論文を早く提出したい。 (今回の受賞は)これからの私の研究者としての人生に大きな意味を持っている。 
 (ホントに貴方がそう思っているなら、メディア上での言動を少し自粛してこそ真に医学の発展を望んでいる国民にその思いが通じると思うのだけど……)

 この山中氏の談話を受けてか、首相官邸で山中氏と面会した野田首相は「大きな支援を受けて研究が進み受賞に繋がった。これは日本全体としての受賞であり日本国中大喜び」などと、さも自分が国家主席であるかのごとくの身の程知らずな見解を述べている。 
 (野田さん、現在窮地に立たされているあなたの気持ちも分かるけど、山中氏の研究内容を少しでも理解した上での発言なの?)と叩きたい思いの私だ。


 ここで、山中伸弥氏が今回ノーベル医学生理学賞受賞に至った「iPS細胞」に関して、朝日新聞記事を参照しつつ、原左都子の観点も交えて以下に紹介しよう。

 「iPS」細胞とは、皮膚などの細胞を操作して心臓や神経等様々な細胞になる「万能性」を武器に作られた胚性幹細胞である「ES細胞」と原理は同じだが、受精卵を壊して作る「ES細胞」とは異なり、倫理的な問題を避けられる観点から作られた事により注目を浴びている。
 参考のため「iPS」とは induced Pluripotent Stem cell(人為的に多能性を持たせた幹細胞)の略語である。
 
 原左都子の私事に移るが、「ES細胞」に関しては私が医学関係者として現役だった頃より注目を浴び始めていた対象だった。 当時はこの細胞こそが未来の臨床医学を支えるとの思想の下に基礎医学研究者達がこぞって研究を進めていたことを記憶している。
 ところが「ES細胞」とは上記の通り、人間の臨床医学に応用するためには ヒトの受精卵を壊すという手段でしか作成できないとの大いなる弱点を抱えていた。
 
 そこに画期的に登場したのが、山中氏(ら基礎医学研究グループ)による「iPS細胞」であったとのことだ。
 この研究自体は事実“画期的”と言えるであろう。


 ところが原左都子が今回懸念するのは、「iPS細胞」研究に対してノーベル賞を贈呈するのは時期尚早だったのではないかという点だ。
 と言うのも、「iPS細胞」は未だ基礎研究段階を超えてはおらず、人間の命を救うべく臨床医学に達していないと考えるべきではあるまいか?

 一昨日頃より世間を賑している“日本人研究者による「iPS細胞」臨床応用事件”がそれを物語っている。
 当該事件に関してここで簡単に説明しよう。
 あくまでも日本人の医学研究者が言うには、「iPS細胞」を既に臨床応用して心筋細胞を作り、重症の心不全患者6名に移植するとの世界初の臨床応用を行った、とのことだ。
 この日本人研究者の論文に名を上げられた大学病院や研究機関の関係者達は、その関与を全面的に否定しているとの本日メディアからの情報である。


 決して、今回の山中氏の「ノーベル医学生理学賞」受賞にいちゃもんをつけるつもりはない。

 ただ原左都子が考察するに、「ノーベル賞」受賞対象となる科学分野の基礎研究とは、医学生理学賞、物理学賞、化学賞を問わず、現在までは当該基礎研究の成果が既に世界規模で実証されていたり、経済効果がもたらされている研究に対して授けられて来たような記憶がある。

 例えば過去に於いて一番意表を突かれたのは、㈱島津製作所 に勤務されていた田中耕一氏の「ノーベル化学賞」受賞に関してではなかろうか。
 当時ご本人は一企業会社員の身分であられたようだが、田中氏が過去に於いて達成された「高分子量タンパク質イオン化研究」が後々世界に及ぼしている影響力の程が、絶対的に世界的規模でその経済価値をもたらしているからこそ、田中氏にノーベル賞が贈呈されたものと私は解釈している。

 この田中氏の業績と比較すると、山中氏による「iPS細胞」はご本人も言及されている通り、まだまだ研究途上と表現するべきではあるまいか?

 
 今回のエッセイの最後に「ノーベル賞」を筆頭とする「賞」なるものの意義を問いたい私だ。
 「賞」を取得したことでその人物の今後の道程を歪めたり、更なる発展意欲を縮める賞であるならば、その存在価値はないと言えるであろう。
 そうではなく、受賞者に今後に続く精進を煽る意味での「賞」であって欲しいものだ。
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