本日9月6日で、本ブログ「原左都子エッセイ集」がちょうど1周年を迎える。
そこで今回の記事では、私の1年間のブログ生活を振り返り、今後の展望をすることにしよう。
いきなり話が飛ぶが、昨日のNHKの対談番組にミュージカル俳優の市村正親氏が出演したのだが、私はこの対談にのめりこんでしまい一時テレビに見入ることになった。単なる対談番組であるのに始終エンターテイメント性が半端ではない程プロ意識の旺盛な市村氏であるのだが、この対談によると市村氏の舞台活動は凄まじいものがあるのだ。出演する舞台と舞台の期間の合間もとらず、舞台本番最中の楽屋で次の舞台の台詞を頭にインプットするぐらいのハードスケジュールをご自身が好んでこなしていらっしゃると言う。(私もバレエ講演観賞等の趣味があるため、それがどれほど過酷なスケジュールであるかは想像できる。)
そんな市村氏をある演出家が「鮫のような俳優」と表現したとのことである。“鮫”とはすなわち、泳ぎを休んだら死んでしまう魚であるため泳ぎ続けて生きてゆくという話はよく聞くが、市村氏ご自身もまったく同様に何十年間一時も休むことなく舞台人生に身を捧げていることをこの言葉は表現している。
僭越ながら、私にも同様の習性があることを以前より自覚している。ただし子どもを持つ親の身である現在は、私が「私」としてその習性を表に出せる機会が激減し、慢性的な欲求不満を抱えざるを得ない現状ではあるのだが…。
休みなど一切要らない、ずっと何かをしていないと落ち着かない感覚がこの私にも本能的にあることを、私は今尚認めている。 私が独身を長く続けて休む暇もなくあれやこれやと試行錯誤をしたのは、市村氏と同様の習性を持つためと再確認させていただけた対談であった。
さて私のブログに話を移すが、私はこのブログを“ひとつの趣味”として捉えていることに関しては当ブログでも何度か記述しているが、位置づけとしてはそれには間違いはない。
ところが、たとえ趣味とはいえ何事にも半端なことが許されない私の性分としては、ブログに関しても“鮫的習性”が陰を潜めていることに私自身が気付いている。
ブログの執筆に関しては、既に私なりの法則を確立している。ご覧の通り、ほぼ一日置きのペースで1記事2000字(原稿用紙5枚)を目途に綴っている。この法則に関しては、私のブログを開設初期の頃からお読み下さっているあるブロガーの方からいただいた心強いアドバイスによるところが大きい。経済界の某大物が2000字の文章を毎日綴り続けていらっしゃるそうだ。その話に触発された私は、毎日は無理にしてもそれに少しでもあやかりたく考え、現行の法則を確立したという訳だ。このように執筆に関しては、たまにネタ切れで苦しむ時もあるが、1年間ほぼ順調にノルマは達成して来れたと言える。
私のブログの趣旨は“自己のオピニオンの公開”にあるのだが、その公開性に関して頭を悩ませる機会が増えてきた。ご覧のように本ブログは記事に関するコメントを広く受付け、それに対して必ず返答をして更なる議論を展開するという形を採り、ブログの公開性を全うしようとしている訳である。この作業の日々の精神的、時間的な負担が正直なところ尋常ではないのだ。
常に“鮫的習性”を発揮し続ける私としては、この作業を難なくこなしているかのごとくの外見を創出してはいるが、その舞台裏では夜も寝られず悩み込むこともよくあり、日常生活に差し障ることさえある。そこにはブログに振り回されてしまっている私が存在するのだ。こうなると、単なる趣味とは言えなくなってしまう。
あくまでも生活の中の一趣味の位置づけとして何とか自分なりに整合性を採りたいと、現在思案中なのである。
とは言え、コメントやメッセージという形で記事に対する直接的な反応を頂くことはやはりうれしいものだ。もしもコメントやメッセージを一切頂けなくなった時に、果たして私は“一人芝居”で1日置きに2000字を綴り続けられるのか自信はない。そのように考えると、やはり皆様から頂くコメントやメッセージに支えられて私のブログは成り立っていることが裏付けられるのである。
悩みながらも、皆様からのコメント、メッセージという確かな反応に支えられつつ、やはり私は今後もひとつの趣味であるブログを“鮫のごとく”綴り続けていくのであろう。
そこで今回の記事では、私の1年間のブログ生活を振り返り、今後の展望をすることにしよう。
いきなり話が飛ぶが、昨日のNHKの対談番組にミュージカル俳優の市村正親氏が出演したのだが、私はこの対談にのめりこんでしまい一時テレビに見入ることになった。単なる対談番組であるのに始終エンターテイメント性が半端ではない程プロ意識の旺盛な市村氏であるのだが、この対談によると市村氏の舞台活動は凄まじいものがあるのだ。出演する舞台と舞台の期間の合間もとらず、舞台本番最中の楽屋で次の舞台の台詞を頭にインプットするぐらいのハードスケジュールをご自身が好んでこなしていらっしゃると言う。(私もバレエ講演観賞等の趣味があるため、それがどれほど過酷なスケジュールであるかは想像できる。)
そんな市村氏をある演出家が「鮫のような俳優」と表現したとのことである。“鮫”とはすなわち、泳ぎを休んだら死んでしまう魚であるため泳ぎ続けて生きてゆくという話はよく聞くが、市村氏ご自身もまったく同様に何十年間一時も休むことなく舞台人生に身を捧げていることをこの言葉は表現している。
僭越ながら、私にも同様の習性があることを以前より自覚している。ただし子どもを持つ親の身である現在は、私が「私」としてその習性を表に出せる機会が激減し、慢性的な欲求不満を抱えざるを得ない現状ではあるのだが…。
休みなど一切要らない、ずっと何かをしていないと落ち着かない感覚がこの私にも本能的にあることを、私は今尚認めている。 私が独身を長く続けて休む暇もなくあれやこれやと試行錯誤をしたのは、市村氏と同様の習性を持つためと再確認させていただけた対談であった。
さて私のブログに話を移すが、私はこのブログを“ひとつの趣味”として捉えていることに関しては当ブログでも何度か記述しているが、位置づけとしてはそれには間違いはない。
ところが、たとえ趣味とはいえ何事にも半端なことが許されない私の性分としては、ブログに関しても“鮫的習性”が陰を潜めていることに私自身が気付いている。
ブログの執筆に関しては、既に私なりの法則を確立している。ご覧の通り、ほぼ一日置きのペースで1記事2000字(原稿用紙5枚)を目途に綴っている。この法則に関しては、私のブログを開設初期の頃からお読み下さっているあるブロガーの方からいただいた心強いアドバイスによるところが大きい。経済界の某大物が2000字の文章を毎日綴り続けていらっしゃるそうだ。その話に触発された私は、毎日は無理にしてもそれに少しでもあやかりたく考え、現行の法則を確立したという訳だ。このように執筆に関しては、たまにネタ切れで苦しむ時もあるが、1年間ほぼ順調にノルマは達成して来れたと言える。
私のブログの趣旨は“自己のオピニオンの公開”にあるのだが、その公開性に関して頭を悩ませる機会が増えてきた。ご覧のように本ブログは記事に関するコメントを広く受付け、それに対して必ず返答をして更なる議論を展開するという形を採り、ブログの公開性を全うしようとしている訳である。この作業の日々の精神的、時間的な負担が正直なところ尋常ではないのだ。
常に“鮫的習性”を発揮し続ける私としては、この作業を難なくこなしているかのごとくの外見を創出してはいるが、その舞台裏では夜も寝られず悩み込むこともよくあり、日常生活に差し障ることさえある。そこにはブログに振り回されてしまっている私が存在するのだ。こうなると、単なる趣味とは言えなくなってしまう。
あくまでも生活の中の一趣味の位置づけとして何とか自分なりに整合性を採りたいと、現在思案中なのである。
とは言え、コメントやメッセージという形で記事に対する直接的な反応を頂くことはやはりうれしいものだ。もしもコメントやメッセージを一切頂けなくなった時に、果たして私は“一人芝居”で1日置きに2000字を綴り続けられるのか自信はない。そのように考えると、やはり皆様から頂くコメントやメッセージに支えられて私のブログは成り立っていることが裏付けられるのである。
悩みながらも、皆様からのコメント、メッセージという確かな反応に支えられつつ、やはり私は今後もひとつの趣味であるブログを“鮫のごとく”綴り続けていくのであろう。
1周年おめでとうございます。
>果たして私は“一人芝居”で1日置きに2000字を綴り続けられるのか自信はない。そのように考えると、やはり皆様から頂くコメントやメッセージに支えられて私のブログは成り立っていることが裏付けられるのである。
本日のコメントは
原さんの更新内容に相応しくない可能性がありますので、削除対象と感じたら削除をお願いします。
目的を持ってブログ更新してきたんですね。
ブログに必要なのは個性とマイペースだけでいいんじゃないでしょうか?
私はコメント欄自粛中です。
音楽アップ以外でも例外更新もしますし
それでもそれなりに楽しんでいます。
余談
私が初ブログで失敗したのは
注目されて当たり前のブログでした。
3ヶ月で98.5kgから
75kgにするダイエットの記録ブログでした。あっという間にランキング1位になり
記録だけのブログのつもりがダイエット終了後に「ブログをやめるんですか?」と質問されやめるつもりが続けてしまって
ランキングを意識したブログをやるようになってしまいました。
ブロガーとダイエッターのどちらを優先するのが正しいのか困った時期がありましたね。
結果的にダイエットが成功しただけだったという結果が待っていたような気がします。
マイペースでいいんじゃないですか?
自費出版を目指し文書作成画面でエッセイを少し綴っていたのですが、自費出版は200万円もかかるし、たかだか身内や知人に配るだけだし…、と考えていたところ、ブログならば無料で綴れることに気付いて開設したといういきさつです。
最初は元々の知り合いしか訪問してもらえない日々が続きました。でも、エッセイを綴りたい思いに支えられ、無邪気に楽しんでいました。
あっという間にどんどん読者が増え、コメントの返答に悲鳴を上げる程コメントが寄せられるようになってきました。
私にとってコメントが来ることが当たり前的な感覚に陥り始めた私はこれでよいのかと悩みました。(バックナンバー「硝子細工の心」を参照下さい。)
それに、多数のコメントの中には正直言いまして歓迎できないものも混ざっています。これには人知れず心を痛めております。それでもブログの公開性の使命を優先し、返答は必ずします。
きっとコメントが来なくなっても“一人芝居”で綴れるような気も本当はしています。
多方面においてポリシーのある人間であることを自負していますので、綴りたい事が山ほどあるからです。
でも、やっぱりコメントを頂くことはうれしいです。1周年記念に、そんな私の思いを愛煙家さんをはじめ皆様に、日頃の感謝を込めてこの記事でお伝えしたかったのです。
ブログ開設1周年おめでとうございます。
ちょうど私も1周年になります。更新シンドローム(?)で悩んだ時機もありましたが何とか1年が経過しました。
「愛煙家」さんのコメントは理解できなくはありません。原さんの竹を割ったような性格と語り口にはたくさんのファンがおられると思います。しかし、完璧と言える人などいないと思います。行き過ぎた場合などは「コメント」を良く租借して必要があれば軌道を修正するのは当たり前だと考えます。そうでなければ単なる「独りよがり」の文章になってしまいます。進歩と言うのはそういうことだと思います。
今後も投稿を楽しみにしています。負担にならない程度に頑張って下さい。
「一日置きに2000字投稿」されるのはなかなか一趣味だけでは留められない重要な存在だと思います。
私の場合は原さんの足下にもおよびませんブログで、しかもとっても不定期投稿ですので気づけば2週間も放ったらかしであったりもします。
しかしながら自分勝手なもので、投稿すればあの方とこの方には見ていただけて何かしらコメントくださるかしら*と一人勝手に思い込み投稿送信ボタンを押しています。
ブログを書いて何かしらコメントをいただけたり、アクセス数をみて「ニヤリ」とする自分にもう「ブログ依存症」だわ!とハッとしますが、楽しいのでやめられません。
私も来月で1周年になるのですが(子育てブログの方)、最初は同じく仕事をしながらや小さい子供さんを子育て中のママ友達に見てもらえてコミュニケーション出来れば!って思うところから始めたのですが、今はママ友はあまりいなくて、大先輩の方達に温かく見守っていただいている感じです。
でも最初の趣旨と多少ズレはせよ、見に来ていただいている方には感謝しつつ加え、意識もしてブログを作っております。
原左都子さんのブログへ来られる方達は、私も含めて(なかなか毎回はオジャマできてませんが;)原さんのポリシーある手記を理解されて楽しみで来られていると思います。
コメントはなかなか文章力もいりますので私なんかは後で「ア、なんか上手く伝えられてないかも・・」なんて送信ボタンを押してから思ったりもするんですが・・。
こんなコメント下手な私でもまた時々は原さんのブログへもオジャマしたいって思っています。
どうぞ、これからも原左都子さん流のエッセイブログを綴り続けてくださる事を願っております。
いつも拙いコメントですが、懲りずにまた訪れます!
以前より私どものブログをご訪問いただいていたようで、大変光栄に存じます。コメントを頂戴し、1周年のお祝いまで頂戴し誠にありがとうございます。
私のブログの場合、本文の執筆よりもむしろ頂いたコメントへの返答の方が大仕事です。
様々なコメントを頂戴します。必ず返答申し上げるのが私どもの公約ですので、その公約を実行しております。
私は決して竹を割った性格ではありません。思い悩んで熟慮した上で、自分自身のバックグラウンドを元に培ってきたポリシーに基づくオピニオンを吟味しつつ綴っております。
そんな本文に対する異論、反論も多く頂戴致します。なるほどと思えるご意見もあれば、どうしても受け入れ難いご意見もあります。たとえ後者の場合でも、相手に失礼にならないように婉曲に自分のオピニオンを再度伝えさせていただく場合もあります。
本文を熟読していただいていない「独りよがり」のコメントに対してもそうです。この辺はキャパシティの見せ所でもありますので、返答内容を十分に吟味した上であえて少し論点をはずしたりしながら、相手に失礼にならないように返答させていただいております。
苦労をしつつも、それでもコメントを頂けることは本当にうれしいことと思います。時間を割いて記事をお読み下さり、コメントという確かな反応を頂けることに、今後共感謝しつつ精進して参りたいと思います。
お祝いを頂いて、とてもうれしいです。まるにじこさんとのブログ上でのお付き合いは実は長いんですよね!お互いのブログ開設後間もない頃からですよね。
少し間があって、クリスマスにまるにじこさんがメッセージを下さったでしょ。あの時も私とてもうれしかったんです。
そして、また少しご無沙汰の間にha~ちゃんが大きくなられているのに私が驚いて短いメッセージを書かせていただきました。それから、ちょくちょくブログ上でお会いしていますよね。
こんなに長いお付き合いがあるのは、私の場合実は数少ないのです。沢山コメントを頂ける割には、どうしてもオピニオンのすれ違いで、去っていかれる方も多いのが実情です。私のブログの性質上、やむを得ないと考えております。
まるにじこさんのブログが年配の方に暖かく見守られているというのは、納得できます。まるにじこさんのお母様ぶりが好感度が高いためだと思います。ha~ちゃんはどうなったかな?と私もついつい思いますので。(その割りにはご無沙汰してしまっていますが…)
まるにじこさん、今後共よろしくお願い致しますね。
私もご無沙汰しつつもまた立ち寄らせていただきます。
私もネット暦は長いのですが、
続けて書いているのは
昨年6月ころからで
あまり変わりませんが
貴女の読者の数はすごいですね
私のブログ場合は相当マニアックでないと
続けて読んでくれないのかもしれませんが
「ラカジュアホール」での
市村さんの演技のように(オカマ役でした)
恥らいなく、堕ちることもなく
頑張って、2周年を迎えて
その後、貴女の2周年をお祝いしたいと
思います。
Happy birthday too your brog
“恥らいなく、堕ちることもなく…”
とても素敵な表現ですね。私はすっかり気に入ってしまいました。
ヨッシーさんは、映画、ミュージカル、音楽、etc…
その辺の世界に大変詳しい方ですので、当然、市村正親氏にも詳しいことでしょう。
今度ヨッシーさんの世界を少しご伝授いただきたい思いもします。
私の場合、“恥じらい”はもはや失っているように思うのですが、たまには“堕ちて”みたい思いもあります…。
はかない夢ですね…。
2周年に向かって精進します!
引き続き、ご訪問下さいますように。
私にとってのブログは自分の中のガス抜きという位置づけなのでマメに更新しようというつもりはサラサラないのですが、ヤレと言われてもできることではありませんね。
本文中の“鮫的習性”…私も方向は違えど、習性は同類のようですね。(笑)
今の私は鮫というよりはコマですが(笑)
とにかく動いていなければ自分が倒れてしまう、しかし、他のコマと接触することはできるだけ避けようとする。
別に臆病なのではなく、イヤ、やはり臆病なのかな?
自分の(敵と見なした)他者に対する獰猛さや冷酷さと、その結果他者に対してプレゼントしてしまったパーソナルでオーダーメイドの地獄…なんてものに自分で自分がホトホト嫌になって(正直、自分が怖くなって)、全部整理して引きこもってしまったんだから、やはり臆病なんでしょう。
だから、現在の可能な限り他者との接触を避けて独りで回り続けている“コマ人間”は私にとっては最も平和で幸せな生き方ですね(笑)
独りよがりと言われれば確かにそのとおりですが、独りよがり大いに結構!
“右見て左見て出過ぎぬように”よりもよっぽど自分らしく生きて行けますからね。
少なくとも、独りよがりで体に爆弾巻き付けて人ごみの中でスイッチ押すほどイッちまってなければ…
“地には平和を(マホメット)”…歴史の皮肉ですか。
文章がバラバラになってしまいましたね(笑)勘弁してください。
鮫的習性があるとは言え、一日おきに2000字の文章を書くって、たやすいことではないと思います。
しかも原さんの場合、軸がぶれない自分なりの主張を常に展開されておられます。
いやはや、脱帽です。
でもあまり投稿することが義務になりますと、精神的ストレスにもなりかねませんので、その点はご注意くださいませ!