「もし、あなたが若返れるとすると何歳位に戻りたいか?」この種の質問をよく投げかけられる。
これに対する私の答は、一貫して「その必要はなし」である。 若返りたいなどという発想は私には一切ない。
昔から“才色兼備”という言葉があるように、才能と美貌を兼ね備えていられるならばそんなにすばらしいことはない。
ところが近年、この“美しさ”の基準が画一化しているような現象によく出くわす。(当ブログの“その他オピニオン”カテゴリー「美の呪縛」において、この現象に関するオピニオンを既に述べておりますのでご参照下さい。)
この私とて美しくありたいとは常に考え、そうあるべく行動しているつもりではある。(結果の如何はともかく…)
その美しさの基準の画一化現象のひとつとして、表題の“若返り”があげられる。“アンチエイジング”などと体裁のいい言葉で語られて美化され、運動生理学、栄養学、美容外科、等多分野においてもっともらしく“研究”され、マスメディアやメーカーが利潤追求のためにこの“アンチエイジング”を世間にあおっているようであるが、早い話がその実態は“若返り”である。
その中で、今回は美容整形を取り上げてみよう。
これはどうしたことか。近年の芸能界では30代後半以降の女性タレントは皆、しわ伸ばし整形をして不自然なテカテカ顔をしている。私よりもずっと年上のお婆ちゃん女優ですら見るからに故意にひっぱったテカテカの不気味な顔をマスメディアで披露している。
このしわ伸ばし整形のひとつとして「ボトックス注射」という方法がある。これはしわの部分にボツリヌス菌の毒素を注射することによりしわを目立たなくする方法であるのだが、ボツリヌス菌といえば食中毒の原因となるグラム陽性嫌気性細菌だ。生物兵器としての研究開発が試みられた事もある程殺傷能力の強い細菌である。このボツリヌス菌の神経毒で末梢神経を麻痺させることによりしわをとるのが「ボトックス注射」であるが、末梢神経は再生力があるため、しわなし顔を維持し続けるには定期的にこの注射を繰り返す必要があるという。
一応安全性は確保されているということだが、毒素を体内に注入して抹消神経を麻痺させてまでしわをとりたいと考える女性(男性も?)の神経とはどれ程太いのであろうか?
また、皮膚を切り取って引っ張るという方法もあるらしい。この方法による場合もテカテカ顔を維持し続けるためには定期的に繰り返す必要があるということなのだが、度々繰り返していると耳の位置が後方にずれてくるらしい。(美容院の待ち時間に読んだ女性週刊誌情報のため、その信憑性は不明であるが。) それで、何だかエイリアンのような不気味な顔つきなのか???!!
このように涙ぐましい努力をしてまで“若返ろう”とする女性(男性も?)達は一体どんな価値観を持ち、何を目指そうとしているのか。
おそらくその思想の根底には “若さ=美しさ”という等式が成り立っているのであろう。 その理論は一見正しい。単純に比較した場合“つるつるすべすべ”の方が“しわだらけ”よりも美しいと感じる人が圧倒的多数であろう。
だが、もう少し深い思慮があれば、それがまさに単純な評価でしかないことに気付きそうなものなのだが…。
本来の人間同士の付き合いとは全人格的な関係であり、それが人間関係の醍醐味であると私は実感し、その喜びを享受しながら今まで生きてきている。
外見だけを繕いたい人達というのは、それまでの人生において、もしかしたら人間としての全人格的付き合いの経験に乏しく、単に表面的な事柄で評価されてしまうという偏った経験しかしてきていないのかもしれない。そんな薄っぺらな人生経験に基づく貧弱な発想が、美容整形という突拍子もない行動へと駆り立てるのではなかろうか。
繰り返すが、この私とて“美しく”ありたい。この思いは私の思想の根底に常に根強く存在する。“美しさ”の本来の意味合いを再認識しつつ、顔にボツリヌス菌など注入せずに、今後共私らしい美学を貫いていきたいものである。
これに対する私の答は、一貫して「その必要はなし」である。 若返りたいなどという発想は私には一切ない。
昔から“才色兼備”という言葉があるように、才能と美貌を兼ね備えていられるならばそんなにすばらしいことはない。
ところが近年、この“美しさ”の基準が画一化しているような現象によく出くわす。(当ブログの“その他オピニオン”カテゴリー「美の呪縛」において、この現象に関するオピニオンを既に述べておりますのでご参照下さい。)
この私とて美しくありたいとは常に考え、そうあるべく行動しているつもりではある。(結果の如何はともかく…)
その美しさの基準の画一化現象のひとつとして、表題の“若返り”があげられる。“アンチエイジング”などと体裁のいい言葉で語られて美化され、運動生理学、栄養学、美容外科、等多分野においてもっともらしく“研究”され、マスメディアやメーカーが利潤追求のためにこの“アンチエイジング”を世間にあおっているようであるが、早い話がその実態は“若返り”である。
その中で、今回は美容整形を取り上げてみよう。
これはどうしたことか。近年の芸能界では30代後半以降の女性タレントは皆、しわ伸ばし整形をして不自然なテカテカ顔をしている。私よりもずっと年上のお婆ちゃん女優ですら見るからに故意にひっぱったテカテカの不気味な顔をマスメディアで披露している。
このしわ伸ばし整形のひとつとして「ボトックス注射」という方法がある。これはしわの部分にボツリヌス菌の毒素を注射することによりしわを目立たなくする方法であるのだが、ボツリヌス菌といえば食中毒の原因となるグラム陽性嫌気性細菌だ。生物兵器としての研究開発が試みられた事もある程殺傷能力の強い細菌である。このボツリヌス菌の神経毒で末梢神経を麻痺させることによりしわをとるのが「ボトックス注射」であるが、末梢神経は再生力があるため、しわなし顔を維持し続けるには定期的にこの注射を繰り返す必要があるという。
一応安全性は確保されているということだが、毒素を体内に注入して抹消神経を麻痺させてまでしわをとりたいと考える女性(男性も?)の神経とはどれ程太いのであろうか?
また、皮膚を切り取って引っ張るという方法もあるらしい。この方法による場合もテカテカ顔を維持し続けるためには定期的に繰り返す必要があるということなのだが、度々繰り返していると耳の位置が後方にずれてくるらしい。(美容院の待ち時間に読んだ女性週刊誌情報のため、その信憑性は不明であるが。) それで、何だかエイリアンのような不気味な顔つきなのか???!!
このように涙ぐましい努力をしてまで“若返ろう”とする女性(男性も?)達は一体どんな価値観を持ち、何を目指そうとしているのか。
おそらくその思想の根底には “若さ=美しさ”という等式が成り立っているのであろう。 その理論は一見正しい。単純に比較した場合“つるつるすべすべ”の方が“しわだらけ”よりも美しいと感じる人が圧倒的多数であろう。
だが、もう少し深い思慮があれば、それがまさに単純な評価でしかないことに気付きそうなものなのだが…。
本来の人間同士の付き合いとは全人格的な関係であり、それが人間関係の醍醐味であると私は実感し、その喜びを享受しながら今まで生きてきている。
外見だけを繕いたい人達というのは、それまでの人生において、もしかしたら人間としての全人格的付き合いの経験に乏しく、単に表面的な事柄で評価されてしまうという偏った経験しかしてきていないのかもしれない。そんな薄っぺらな人生経験に基づく貧弱な発想が、美容整形という突拍子もない行動へと駆り立てるのではなかろうか。
繰り返すが、この私とて“美しく”ありたい。この思いは私の思想の根底に常に根強く存在する。“美しさ”の本来の意味合いを再認識しつつ、顔にボツリヌス菌など注入せずに、今後共私らしい美学を貫いていきたいものである。
すよね。あの人はカメラの前では「年収4000年万円以
下の人とはデートもしたくはない。」等、様々な言動
で周囲の反発をあびていますが、カメラのないところ
では、人当たりが柔らかく、礼儀正しく、謙虚だそう
です。結局は、あの人も心の中では違うことを考えて
いたんだなあと思います。
私もテレビを見ない割には、たまに垣間見て思うところはあります。
西川氏のことは私も知っていますが、彼女がテレビというマスメディアで悪ふざけする目的は何だろうと思ったりもします。
まさか、テレビの世界で生き続けられるはずはない位の判断力はあるといいですね。
流石に整形は遠慮したいが・・・多くの人間は見掛けに走り易いんでしょうね
多分 人間の判断能力が 基本的に視覚能力が一番なんだろうと思います
美しさの本質が自然か人工的かは 別問題に・・・
偽ブランドは嫌われるのに 不思議だね アッハハ
でも、見かけだけで感情移入されるのは実は迷惑な場合が多いんです。
若かりし頃の経験ですが、見かけが気に入ったからとアプローチしてきて、いざ付き合ってみるとこんな理屈をこねる生意気な女だとは知らなかった、最低だ!と言い放って去っていく単細胞の“一人芝居男”もいましたよ。
やっぱり、最初から総合評価でお願いしたいものです。
今回もとても興味深いお話ですね。ふと浮かぶ疑問や疑惑をきちんとした形に解釈とユーモアを加えて整えるのは難しいことですが、この点、原さんは流石だなぁと思います。
外見で損をするというのは、長い付き合いを大事にすれば解消されることで、内側の嫉妬とかそういうものをコントロールできれば問題は無いと私は思いますが、女性は男性よりも美意識が高いのは確からしく、相容れない異性の謎の部分だと思ってますが・・・それでも、近年、生まれ持った形を嫌って人工的に作り変える“美容整形”をファッションの感覚で行う女性が異常に増えてるんじゃないかと・・・。
抵抗とかを薄くするような事を、テレビや雑誌で取り上げすぎなのが原因だとは思いますが、(それこそ今回の記事の“アンチエイジング”のように)身近に行おうとする人がいたら絶対に止めますね。特に、メスを入れる事が必要な“美”を求めているならば。
芸能人みたいに格好良く、モデルみたいに綺麗に、ってよく聞きますが、完璧ほどつまらないものもありません。ちょっと欠点が見え隠れするくらいがちょうどいいなぁ、と・・・。
いつも長文失礼します。ではでは。
人間関係において人との衝突を好まず、表面的にさらりと流すことを志向する人々が急増しているのを日々感じます。
恋愛関係においても全人格的付き合いではなく、簡単に肉体関係に走る傾向が強いようです。そうした場合、表面的な美しさだけで十分なんです。人格だのなんだのはむしろうっとうしくて、理屈っぽい私のような人間って今の時代嫌われる存在のようです。
マスメディアがそれをあおっていることもあるのですが、そんな理由で、表面的な“美”だけを磨きそれをアピールすることに躍起になっている人達が多い現状なのだと捉えています。
ところが、残念なことに表面的な“美”ってすぐに飽きられてしまいます。それで、人間関係も続かない。現在はそういう薄っぺらな社会であることを日々実感させられます。
表面的な“美”からスタートする人間関係であってもいいけれど、それに飽きた時にさらに深い関係が持続できるような人格を常に育てていたいと私は思います。
お久です。雨でも農作業がある季節になりまして、これではなかなか訪問出来ないではないか・・・と、昼休みに失礼します。
「美容整形」ですか・・・
そりゃぁ、美人の方が不細工の人より良いに決まっていますが、「整形」してまでねえ~。韓国ではもの凄いらしいですね。
「将来、化けの皮が剥がれた時のショック」に、当事者とその近親者が(妻と夫)が耐えられるか。
老いさんは≪イヤだな!≫
整形しない「美」を求めますね。
それに、やはり惹かれるのは、最初は表面的なもの・・・
でも、≪人間性≫が一番でしょうね。
こうでなければ、「長続き」しません。
「何歳位に戻りたいか?」
若い頃の夢とか理想は、現実とはこんな物かと言う感じで、体験して来たから、「現年代」でいいな。
「年相応」っていうやつかな・・・
整形も化けの皮、自分を騙して生きるのも化けの皮、それで楽しくて充実しているならば、誰も何も申しませんが…。
私が辛いのは、そういう人達とは実は辛い人生を歩んでいるのではないかと推し量ってしまうからです。
いろんな人生があるでしょうが、少なくとも自分を自分で肯定できる人生を歩みたいものです。