原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

後悔や罪悪感を携えながら前向きに生きる道もある。

2024年06月15日 | 人間関係
 本日のエッセイ題材は、2024.06.15付朝日新聞「悩みのるつぼ」より得よう。

 
 早速、中学生時代に友人にいじめをしたと言う 30代女性の相談に対する、今回の回答者・文筆業 清田隆之氏による回答の一部を以下に引用しよう。

 中学時代のいじめ行為を謝罪したい。 しかし、相手が今どういう気持ちなのかはわからない。 すでに過去の出来事になっているかもしれないし、今なお苦しみの最中にいるかもしれない。 謝ったところで「何を今さら」と思われる可能性もあるし、逆効果に終わる可能性もある。 ・・・
 「謝罪論」との本を書いた哲学者の古田徹也さんは、その元となった論考の中で、謝罪を<当該の出来事をいま自分がどういうものとして認識しているのかを表明>した上で、<自分がこれから何をするかを約束する>行為だと説明している。 (中略)
 ただそれを、自分だけで進めるのは難しいかもしれない。 いじめ問題には家庭や学校、政治やメディアなど複雑な背景が絡んでいるし、自分を省みるにしても、他者の体験や専門家の地券知見を通して初めて気づくことが多々ある。 (途中大幅略)
 でも、公開や罪悪感を携えながら前向きに生きる道だってある。 

 (以下略すが、以上朝日新聞「悩みのるつぼ」回答より一部を引用したもの。)



 原左都子の私事に入ろう。

 今思い出してみるに、この私も小6時にこちらが級友女子をいじめた経験があれば。 中2時に同じ部活動内で 1 対 集団 の形式で私一人がいじめに遭った経験もある。

 小6時の私がいじめ側だった経験を思い出してみるに。 特段その相手女子が嫌いだった訳では無く、今表現するならば“虫が好かなかった”との理由で、その女子との付き合いを拒絶したものだ。
 クラスの流れとは面白いもので、こんな状況が生じると級友たちが どちらかの見方(あるいは敵)に着こうとの乖離が自然と発生するのだ! 
 今でもよく覚えているのは、いじめ側の私を支持する級友が存在したことだ。 例えばA子ちゃん曰く、「私も絶対〇ちゃん(私の事)の味方だから、今後タックル組んで頑張ろうね!!」
 これで、私も少し目が覚めたというのか。 元々そんな大げさな気持ちではなく、多少虫が好かなかっただけなんだけどなあ… と思ってみたところで、既に遅かった。
 時が小6だったことが幸いして、この事件は卒業と共に我が心からも消え去った。


 あるいは中3時に、部活動(過去に全国優勝実績もある程に活動が厳しく活発なブラスバンド部だったが)内で、私自身が同学年女子集団よりいじめを受ける事も経験した。
 これに関しては、私側が既にその“いじめ”の理由を把握できていた。
 正直に言うと、その女子集団内で私のみが県内主要進学高への進学が叶いそうだったが故だと私は理解していた。 
 卒業まであとさほどの日数も無いし、とにかく“時間が解決してくれる!”と私は信じてその後卒業に至り、その後事なきを得ている。

 あっと、これに関しては後日談があるが。
 1,2年程前の事だが、その“いじめ”集団の一人だった女性(Aさんとしよう)から我が家に電話があった。
 その内容は国勢選挙活動協力だったのだが。 これに関しては、その政党とは「主義や主張が異なる」旨を告げ、きっぱりとお断り😡 した上で!!
 私側からAさんの近況を伺ったところ。 Aさんから返された答えは「私は地元大学卒業後ずっと幼稚園教諭をしています。 実は今尚 それを続行しています。」とのことだった。
 重々納得だ! Aさんとはリーダーシップ力に長けた人材だったと思い起した。 あのパワーの元、今ではおそらく幼稚園長にでも昇格して地元で大活躍の事だろう。



 話題を、冒頭の「悩みのるつぼ」相談に戻そう。

 過去の自身の「いじめ」の事実を無駄に後悔するよりも。
 その罪悪感を活かして、今後世の中で自身が有意義な活躍を成してはどうだろう?
 
 それぞ 過去にいじめた相手への一番の謝罪になりそうに、私は思う!! 


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