一昔前に「絶対音感」なる言葉が流行した。
この「絶対音感」の意味をご存知ない方のために以下に簡単に説明しよう。
絶対音感とは、十二平均律を基準とする限りでの音の高さに対する“絶対”感覚のことである。ある程度、音楽を学習したり体験した者は2音間の高さの違いの大きさ(音程)に対して一定の感覚を保持することができるが、これを「音感」という。一般には「音感」とは一方の音に比べて他方の音が高いか低いかという相対的な音感のことをさす。これに対して音の高さに対する直接的な認識力を持つ場合、特に「絶対音感」と呼ぶ。一般人の間では、「絶対音感」は音の高さを言い当てる能力の意味合いでこの言葉が用いられている。
3歳から5歳位の間に意識的に訓練をすると、この「絶対音感」をかなりの確率で身につけることができると言われている。
(以上、ウィキペディアより引用、要約)
さて、我が家の娘にはこの“絶対音感”がある。(あくまでも、上記で述べた一般人が言うところの“絶対音感”であるが。)
私がそのことに気が付いたのは、娘が3歳の頃であった。食卓の上のお茶碗やお皿やコップを箸で叩きながら、「ド」だの、「ラ」だの、「ミ」だのと言って遊んでいるのだ。これは面白いぞ、と思った私は娘が見えない所でランダムにピアノの鍵盤を叩いて何の音かを言わせてみた。すべて大正解である。
これには理由がある。やはり我が子が育った音楽環境がその背景にあろう。
何分我が家は音楽好き一家で、私が子どもを産んだ直後から(いや、胎児の頃から)私も身内も音楽に親しんでいた。特に母親である私が歌を歌うことが大好きで、家に有線が備え付けだったこともあって、いつもそれを聴いて歌いながら子どもをあやしていた。たまには子どもと一緒にピアノやエレクトーンを遊び道具にして弾いたり、打楽器を叩いたりもした。
子どもが2歳になった時にヤマハの「おとのゆうえんち」(2歳児向けの音楽教室)へ連れて行った。ピアノを習わせたかったのだが、ヤマハの場合ピアノレッスンは4歳からとのことで、この音楽教室へ母娘で通った。
この教室では、通っている親子何組かで歌ったり踊ったり簡単な打楽器等を演奏したり、先生の生演奏やCDの演奏を聞いたりしながら音楽に触れながら遊ぶのであるが、これがなかなか楽しいひとときだった。(別にヤマハの回し者ではありません。) この教室の影響力も大きかったと思われる。家でもCDに合わせて親子でよく歌って踊って楽しんだものだ。
そんなこんなで、我が子は4歳のピアノレッスンを始める前に既に“絶対音感”が身についていたようである。
ところが、音楽に精通されている方はよくご存知であろうが、“絶対音感”があるからと言って、それがどうした! という話の展開に必然的になってしまう…。 当然ながら、音楽でも何でもその道を極めていくためにはやはり“総合力”が要求されるという事態とまもなく直面するのである。
結局、娘は小学校3年まででピアノを辞めることになる。音楽を聴く耳に恵まれ、加えて真面目な努力家でもあるのだが、残念ながら、どうしても指先の不器用さが災いして指がピアノを弾きこなせないのだ。たとえ趣味の範囲とは言え、あまりにも先の見通しがたたないため、こんなことにばかり労力を消費させるのも時間の無駄…、との親の私の判断でこの時点でピアノはきっぱりと断念させることにした。
ただ、娘は中学生である現在もなお、音楽好きであることには変わりない。
近年の楽しみは専ら母娘デュエットだ。娘に“絶対音感”があるお陰で、楽曲の聴き取り能力がやはり凄いのだ。1、2回聴かせるだけで副旋律を聴き取って歌ってくれる。
例えば、昨年のNHK紅白歌合戦で“あみん”が「待つわ」を歌ったが、あれを一回聴いて副旋律をほぼマスターした娘は、私が何度か繰り返して主旋律を歌うとそれに合わせてハモッてくれるのだ。今や二人のデュエット持ち歌No.1である。 ベッツイ&クリスの「白い色は恋人の色」や、狩人の「あずさ2号」等々も二人の持ち歌である。今度、母娘デュエットコンサートでも開いてみたいものである??
現在、娘は自主的にエレクトーンにもはまっている。私が若い頃愛用していた超レトロなマニュアル操作のエレクトーンにヘッドフォンをつけて、夜な夜な自主トレに励んでいる。エレクトーンの場合ピアノと違い左手の伴奏と左足のベースがコード進行のため、たとえ不器用でもピアノよりもずっと弾き易いためだ。しかも、スタンダードナンバー等の聴き慣れた楽曲がすぐにマスターできるのもエレクトーンの利点である。下手なりに、それなりのいっぱしの一曲として仕上がるのがエレクトーンの特徴であるため、達成感が得られ易いのだ。(繰り返しますが、ヤマハの回し者ではありません。)
好きこそものの上手である。娘の今後の自主的な音楽活動を静観しよう。
とにかく、“絶対音感”も捨てたものではない。
この「絶対音感」の意味をご存知ない方のために以下に簡単に説明しよう。
絶対音感とは、十二平均律を基準とする限りでの音の高さに対する“絶対”感覚のことである。ある程度、音楽を学習したり体験した者は2音間の高さの違いの大きさ(音程)に対して一定の感覚を保持することができるが、これを「音感」という。一般には「音感」とは一方の音に比べて他方の音が高いか低いかという相対的な音感のことをさす。これに対して音の高さに対する直接的な認識力を持つ場合、特に「絶対音感」と呼ぶ。一般人の間では、「絶対音感」は音の高さを言い当てる能力の意味合いでこの言葉が用いられている。
3歳から5歳位の間に意識的に訓練をすると、この「絶対音感」をかなりの確率で身につけることができると言われている。
(以上、ウィキペディアより引用、要約)
さて、我が家の娘にはこの“絶対音感”がある。(あくまでも、上記で述べた一般人が言うところの“絶対音感”であるが。)
私がそのことに気が付いたのは、娘が3歳の頃であった。食卓の上のお茶碗やお皿やコップを箸で叩きながら、「ド」だの、「ラ」だの、「ミ」だのと言って遊んでいるのだ。これは面白いぞ、と思った私は娘が見えない所でランダムにピアノの鍵盤を叩いて何の音かを言わせてみた。すべて大正解である。
これには理由がある。やはり我が子が育った音楽環境がその背景にあろう。
何分我が家は音楽好き一家で、私が子どもを産んだ直後から(いや、胎児の頃から)私も身内も音楽に親しんでいた。特に母親である私が歌を歌うことが大好きで、家に有線が備え付けだったこともあって、いつもそれを聴いて歌いながら子どもをあやしていた。たまには子どもと一緒にピアノやエレクトーンを遊び道具にして弾いたり、打楽器を叩いたりもした。
子どもが2歳になった時にヤマハの「おとのゆうえんち」(2歳児向けの音楽教室)へ連れて行った。ピアノを習わせたかったのだが、ヤマハの場合ピアノレッスンは4歳からとのことで、この音楽教室へ母娘で通った。
この教室では、通っている親子何組かで歌ったり踊ったり簡単な打楽器等を演奏したり、先生の生演奏やCDの演奏を聞いたりしながら音楽に触れながら遊ぶのであるが、これがなかなか楽しいひとときだった。(別にヤマハの回し者ではありません。) この教室の影響力も大きかったと思われる。家でもCDに合わせて親子でよく歌って踊って楽しんだものだ。
そんなこんなで、我が子は4歳のピアノレッスンを始める前に既に“絶対音感”が身についていたようである。
ところが、音楽に精通されている方はよくご存知であろうが、“絶対音感”があるからと言って、それがどうした! という話の展開に必然的になってしまう…。 当然ながら、音楽でも何でもその道を極めていくためにはやはり“総合力”が要求されるという事態とまもなく直面するのである。
結局、娘は小学校3年まででピアノを辞めることになる。音楽を聴く耳に恵まれ、加えて真面目な努力家でもあるのだが、残念ながら、どうしても指先の不器用さが災いして指がピアノを弾きこなせないのだ。たとえ趣味の範囲とは言え、あまりにも先の見通しがたたないため、こんなことにばかり労力を消費させるのも時間の無駄…、との親の私の判断でこの時点でピアノはきっぱりと断念させることにした。
ただ、娘は中学生である現在もなお、音楽好きであることには変わりない。
近年の楽しみは専ら母娘デュエットだ。娘に“絶対音感”があるお陰で、楽曲の聴き取り能力がやはり凄いのだ。1、2回聴かせるだけで副旋律を聴き取って歌ってくれる。
例えば、昨年のNHK紅白歌合戦で“あみん”が「待つわ」を歌ったが、あれを一回聴いて副旋律をほぼマスターした娘は、私が何度か繰り返して主旋律を歌うとそれに合わせてハモッてくれるのだ。今や二人のデュエット持ち歌No.1である。 ベッツイ&クリスの「白い色は恋人の色」や、狩人の「あずさ2号」等々も二人の持ち歌である。今度、母娘デュエットコンサートでも開いてみたいものである??
現在、娘は自主的にエレクトーンにもはまっている。私が若い頃愛用していた超レトロなマニュアル操作のエレクトーンにヘッドフォンをつけて、夜な夜な自主トレに励んでいる。エレクトーンの場合ピアノと違い左手の伴奏と左足のベースがコード進行のため、たとえ不器用でもピアノよりもずっと弾き易いためだ。しかも、スタンダードナンバー等の聴き慣れた楽曲がすぐにマスターできるのもエレクトーンの利点である。下手なりに、それなりのいっぱしの一曲として仕上がるのがエレクトーンの特徴であるため、達成感が得られ易いのだ。(繰り返しますが、ヤマハの回し者ではありません。)
好きこそものの上手である。娘の今後の自主的な音楽活動を静観しよう。
とにかく、“絶対音感”も捨てたものではない。
でも絶対音感があるお陰で、今後の音楽人生を本人が楽しめそうで、それを親としては陰ながら応援してやろうとは思います。(ただし、どう考えても趣味の範囲内の話ですけどね。)
ただ、やはり途中でやめてしまったので、そのメリットというと「カラオケに行く際に気後れしない」程度です。(笑)
私自身も、絶対音感に近いレベルの相対音感はあるとは自負しているのですが、自分で判断して歌はうまいとは言えません。発声力がなく、女性にしては音域が低いのが私の弱点です。
それでも、カラオケって、私も楽しくて大好きです!
私の娘二人も4歳頃からピアノを遣っていて、それが身についているようです。
幼い頃、姉妹でピアノの和音を聴き取るトレーニングを遣っていました。勿論、音楽の先生が指導していましたが、屡お互いにゲーム感覚で遣っていました。
私には不思議な暗号に見える難解な楽譜を瞬時にして読み取り、音の世界を具現化するのですから驚きです。
音楽の世界とどの様な関連があるのかは解らないのですが、娘たちは絵も上手い方です。決してプロ並ではありませんが・・・。音楽のプロにも絵画のプロにもなるつもりは毛頭無いようです。
それで良いと思います。親である私は、私自身の能力を弁えていますし、勿論娘の能力の限界も心得ていますから、子供に負担とプレッシャーを掛ける様な教育や期待をしないのです。
ただ、能力を発揮できるようにヒントを与える事と助言は行っています。
二人は幼稚園の頃から合唱団の団員でして、姉の方は大学を卒業した今も遣っています。趣味で入団して来る小さい子供たちを指導しているようです。
「お父さん、この音解る?和音解る?」
「さあ、解らん、な」
これが幼い頃にピアノを弾きながら得意げに質問する娘と私の会話でした。
私は色彩感覚や造型感覚は負けないと思っているのですが、「音」は解らないのです。でも、音楽を楽しむ事は好きです。
音や色、造形の感覚を早くから身に付けさせる事は大切であリ、子供の世界を大きく広げる、と素人ながら思います。感覚脳、つまり右脳を鍛えることに繋がると思うのです。勿論、左脳と右脳をバランスよく使う事が大切なのですが・・・。
それで、私は今、友人の画家と右脳教育を採り入れた
造形教育を計画しています。
知識重視の「左脳的な能力」から、創造性、自発性、語学力など「右脳的な能力」を伸ばす指導の転換も始まっています。大学入試センター試験には英語のヒアリング手巣地が採用され、私立中学校の入試でも発想力、直観力が問われる傾向にあります。
話が戻りますが、娘の所属する合唱団が危機に瀕しているとの事です。募集しても団員が集まらないのです。
理由は簡単です。
「勉強の時間が割かれる。入試を前にして、その様な無駄な事をさせたくない」
これが親御さんたちの圧倒的大部分の意見だそうです。
「音楽を通して素晴らしい友人に出会えた。素晴らしい世界を見る事が出来た」と娘は語ります。
訂正してお詫び申し上げます。
●ウィキぺディアデ(誤)・・・・・ウィキペディア で(正)
●趣味で入団してくる小さい子供たちを指導している様です。(誤)・・・入団してくる小さな子供たちを趣味で指導しているです。(正)。
●英語のヒアリング手入団してくる(誤)・・・・・英語のヒアリングテスト(正)
我が家の音楽に関しましても、まさに親が好きだからこそ子どもも真似してやっているようなものです。
周囲をみておりますと、親自体が一切興味がないのに子どもに強要しているらしき様子もよく目にします。例えばピアノもそうですが、その最たるものが“勉強”ですね。
子どもに勉強を強いる前に、親がその内容に少しでも興味を持つことが先決問題かと思います。
話がずれましたが、我が子がピアノをやめさせた後も相変わらず音楽に興味を持っているのは、やはり親(特に身近にいる私)の影響だと思います。私自身が相変わらず音楽を聴きながら下手な歌を歌い、踊る毎日ですから…。(変な親です。)