原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

2017年、今年一番の収穫はフルート練習再開かな

2017年12月31日 | 自己実現
 (写真は、今年の秋口から通っている自宅から徒歩圏内の音楽スタジオの一室。 この防音スタジオで定期的にフルート自主練習をしている。)


 今年9月初頭にフルートを衝動買いして以降、我が生活パターンが確実に変化した。

 その後まさにこの自主練習スタジオこそが、現在の私に新たなエネルギーを注いてくれる一番の場所と言って過言でない。
 この部屋を訪れると “本来の自分を取り戻せる” ような感覚が我が身にもたらされる程の価値ある場所だ。


 昨日12月30日もこのスタジオを訪れた。
 昨日が当スタジオ最終営業日だったのだが、私は何をさておいてもここで2017年を締めくくりたく志し、この場でフルート練習をして自分なりの今年の大トリを飾った。(参考だが、昨日のフルート演奏大トリ楽曲は ロバータ・フラックが歌った「やさしく歌って」。 この楽曲は20代にエレクトーンにて演奏した時もお気に入りだった。)
 2018年スタジオ営業初日は1月3日だが、昨日その日の予約も確保してきた。 来年のスタートもこのスタジオから開始する意思だ。


 肝心要のフルート練習の到達度だが…
 楽曲練習は随分と進展している。 何分無類の音楽好き故に、フルートで吹きたい楽曲が盛沢山だ。 自宅に保管してある譜面を探し出してはコピーし、スタジオ練習を続けている。 
 既に30曲程練習しただろうか?  一発で吹ける曲もあれば、何度吹いても上達出来ないものもある。
 今月のプロ個人レッスン時に、指導者氏よりそのような我が練習スタイルをプラスに受け止めてもらえたのは嬉しかった。
 そもそも楽器の基本である「音」がきちんと綺麗に出せてこその楽曲練習基本であるはずなのに、私はその「掟」を真っ向から破り、自分の好き放題に楽曲練習に入っている訳だが…。 これをプロ先生が認めて下さったのだ。  と言うよりも、先生の本音は(所詮老いぼれ高齢者なのだから、どうでもええわ、好きにさせてやろう。)だった恐れもあるだろう。  それでも「そのまま楽曲練習を続行しましょう!」と背中を押して下さったのに安堵した。
 そんな“無謀”とも言える我がフルート練習方式だが、自分が演奏している下手な楽曲に感涙するまでに思い入れられる程の音楽好きである。 (そもそもナルシストか、お前は!?


 大幅に話題を変えよう。
  
 大晦日の今朝方、私は嫌な夢を見て目覚めた。
 支離滅裂な内容で総括は不能なのだが、何やら評論家らしき“おばさん”が登場して、私を非難する。 その評論分野も不明だが、とにかく「貴方は劣っている」とのご指摘だ。 それに反論するのだが、相手も譲らない。  そこに私の味方女性が登場して、「いや、〇子(私の事)は劣っていない!」と反撃してくれる。 結論も残念ながら不明だが……

 何やら現在の我が深層心理が夢で表面化したような気もするし…。
 大晦日のこの日に、そんな「悪夢」を見る運命に遭った原因を少し分析してみるに…

 一昨日、郷里の高齢者施設に暮らす実母から電話があった。
 何でも、施設内でスタッフの皆様から「ヨイショ」されつつ、日々気分よく暮らしているとのことだ。 付け加えて、施設内で「運動会」があったらしいのだが、実母がその運動会の“選手宣誓役”に担ぎ出されたらしい。
 その“選手宣誓役”の話題を実母から聞かされて、私は思わず電話口で爆笑した。 腰が曲がった実母が杖をつきつつ選手宣誓している風景が、脳裏にリアルに描き出された故だ。 その電話口での我が爆笑に実母がすぐさま応えて、「笑えてよかったね!」と言う。 まあ親としてみれば、我が子が泣いて暮らすよりも何でもよいから笑ってくれたら安心なのであろう事も想像が付く。

 他者からの「ヨイショ」、それだけが生きる糧となるのは、人間年齢を重ねると自然な成り行きなのだろう。
 それで実母が満足ならばそれに越したことはないが…
 何だか一抹の寂しさを抑え切れなかった私だ。 他人に「ヨイショ」してもらわねば自分の存在価値が見出せない現状。 
 実母の年齢に達するまで後20数年の年月がある私だが。 その間の自助努力次第で、将来的に他者からの「ヨイショ」に依存せずして心身共に豊かな感情を維持し続けられるだろうか?

 そんな我が懸念が、本日大晦日朝方の「悪夢」を呼び起こしたような気もする。
 現実世界に於いて、まさか夢の中の“評論家おばさん”のごとく、私に面と向かって「貴方は劣っている」と直言する人物はいないだろう。 が、もしいたとしても。 これまた他者から「〇子は劣っていない!」と援護してもらうのも余計惨めな感があり、勘弁して欲しい。 ケリは必ずや自分自身で直接付けたいものだ!


 こんな奇妙な大晦日を過ごしているのは私だけであろうが、これも何かの自己成長に繋げられるよう心の整理をしつつ、新たな年を迎えたいものだ。

 本年も1年間「原左都子エッセイ集」をご愛読いただきまして、誠にありがとうございました。

 皆様も、良きお年を迎えられますように! 

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