マイケル・ジャクソンと言えば、やはりその代表曲は1984年に発売されて世界中で1億枚をセールスしたと言われる「スリラー」であろうか。あの独特の“ムーンウォーク”ダンスと共に、世界中のマイケルファンを熱狂させたものである。
先だって50歳の若さでこの世を去った米国が生んだ世界のスーパースター マイケル・ジャクソン氏であるが、この私も元々音楽好きであるのに加えて70年代にディスコ三昧の日々を過ごした流れで、氏には一応の思い入れがあるのだ。
そんな原左都子が選ぶマイケル・ジャクソンのNo.1代表曲は 「Rock with you(ロック・ウィズ・ユー)」 である。
この曲は、1979年に発表されたアルバム「オフ・ザ・ウォール」の中に収録されている。 このアルバムも世界中で何千万枚かのセールスだったようだが、その収録曲の中で、本国の米国でNo.1セールスとなったのがアルバム名と同名の「オフ・ザ・ウォール」、日本においてのNo.1セールスが「今夜はドント・ストップ」、そして、私の一押しの「ロック・ウィズ・ユー」はイギリスにおいてNo.1ヒットとなっている。
このように、国によってブレイクする曲が異なるというのは国民性の違い等の要因が考察できて興味深いのに加えて、それほどに氏のこのアルバムの内容の中身が濃いことも物語っている。
なぜ私の一押しが「ロック・ウィズ・ユー」であるのかと言うと、それには私なりの思い出深い根拠があるためだ。
折りしもこのアルバムが発売された1979年にヨーロッパ旅行に出かけた私は、ロンドン、パリ、ローマ各都市の当時の名立たるディスコへ繰り出したのである。 その中でイギリスの首都ロンドンの、まるで宮殿のように高貴で落ち着いた内装の広々としたディスコにおいて、この「ロック・ウィズ・ユー」が流れたのである。 イギリスでこの曲が人気という情報はあらかじめ得ていたのだが、やはりこの国ではマイケルというと「ロック・ウィズ・ユー」なのだと再認識である。 少しバラードっぽい大人びたロックのリズムが宮殿風のディスコの雰囲気に融合して、ロマンティックな雰囲気に酔いしれたものだ。
そんな訳で、ヨーロッパ旅行というとロンドンのディスコで流れたマイケルの「ロック・ウィズ・ユー」を思い出す私は、今尚この曲を聴いてはその想い出に浸るのである。
さて、そのマイケル・ジャクソンの「ロック・ウィズ・ユー」や「オフ・ザ・ウォール」を、このブログ記事を書くためにユーチューブの影像で観賞し直してみた。
その影像を見る限り、当時おそらく20歳そこそこかと思われるマイケルが、ナイスバディで精悍な好青年なのである。
マイケルは兄弟グループ“ジャクソン5”の時代の子どもの頃から結構可愛らしい少年だったのだが、私の目には、青年になっているマイケルも音楽性のみならずルックス的にもファンを魅了できる要素を十分に兼ね備えているように映るのである。
皆さんもご存知の通り、マイケルはスーパースターの階段をのし上がるのと平行して外見を大改造し続けた。 肌を白くし、鼻をスラリと高くして、髪の毛はまっすぐに、そして体をスリムにし続けた。 その結果、白人だか黒人だか、男性なのか女性なのか、人間なのやら“化け物”なのやら見分けのつかない何とも奇妙で“特異的”な外観を作り上げてしまった。
何故にマイケルは、持って生まれた十分に魅力的な外見を完全に捨て去ってあのような“特異的”な外観を作ることに躍起になったのであろうか。
その背景には、自己のアイデンティティにおける“迷走”があったのではないかと私は考察するのだ。
マイケルは父親には一切遺産を与えない趣旨の遺書を残していると聞く。その理由は、幼い兄弟を早くから世に売り渡して“稼がせた”父親に対し、敵意を持ち続けていたためとも見聞している。
もしかしたら、マイケルは持って生まれた豊かな才能やそれにより後天的に得た人気や名声とは裏腹に、内面の心理構造は“不幸”と“コンプレックス”の塊だったのかもしれない。 それらすべてを消し去りたいが故に、まったく異質の外観を創り出すことによりマイケルなりのアイデンティティを確立しようとして、苦悩し続けた人生だったのかもしれない。
世界中を一世風靡した華やかなスーパースターの陰には、様々な事件や疑惑も見え隠れしていた。
死後相当の日数が経過しているにもかかわらず、未だに死因も公表されないままである。
自己のアイデンティティの確立が成し遂げられないまま、心身共にもがき苦しむ人生を余儀なくされ、50歳の若さでこの世を去ったスーパースター マイケル・ジャクソン。
それでも、マイケルが成し遂げた音楽パフォーマンスは確かなアイデンティティをこの世で誇りつつ、永遠に音楽ファンの心に刻み続けられることであろう。
Rock with MICHAEL JACKSON !!
先だって50歳の若さでこの世を去った米国が生んだ世界のスーパースター マイケル・ジャクソン氏であるが、この私も元々音楽好きであるのに加えて70年代にディスコ三昧の日々を過ごした流れで、氏には一応の思い入れがあるのだ。
そんな原左都子が選ぶマイケル・ジャクソンのNo.1代表曲は 「Rock with you(ロック・ウィズ・ユー)」 である。
この曲は、1979年に発表されたアルバム「オフ・ザ・ウォール」の中に収録されている。 このアルバムも世界中で何千万枚かのセールスだったようだが、その収録曲の中で、本国の米国でNo.1セールスとなったのがアルバム名と同名の「オフ・ザ・ウォール」、日本においてのNo.1セールスが「今夜はドント・ストップ」、そして、私の一押しの「ロック・ウィズ・ユー」はイギリスにおいてNo.1ヒットとなっている。
このように、国によってブレイクする曲が異なるというのは国民性の違い等の要因が考察できて興味深いのに加えて、それほどに氏のこのアルバムの内容の中身が濃いことも物語っている。
なぜ私の一押しが「ロック・ウィズ・ユー」であるのかと言うと、それには私なりの思い出深い根拠があるためだ。
折りしもこのアルバムが発売された1979年にヨーロッパ旅行に出かけた私は、ロンドン、パリ、ローマ各都市の当時の名立たるディスコへ繰り出したのである。 その中でイギリスの首都ロンドンの、まるで宮殿のように高貴で落ち着いた内装の広々としたディスコにおいて、この「ロック・ウィズ・ユー」が流れたのである。 イギリスでこの曲が人気という情報はあらかじめ得ていたのだが、やはりこの国ではマイケルというと「ロック・ウィズ・ユー」なのだと再認識である。 少しバラードっぽい大人びたロックのリズムが宮殿風のディスコの雰囲気に融合して、ロマンティックな雰囲気に酔いしれたものだ。
そんな訳で、ヨーロッパ旅行というとロンドンのディスコで流れたマイケルの「ロック・ウィズ・ユー」を思い出す私は、今尚この曲を聴いてはその想い出に浸るのである。
さて、そのマイケル・ジャクソンの「ロック・ウィズ・ユー」や「オフ・ザ・ウォール」を、このブログ記事を書くためにユーチューブの影像で観賞し直してみた。
その影像を見る限り、当時おそらく20歳そこそこかと思われるマイケルが、ナイスバディで精悍な好青年なのである。
マイケルは兄弟グループ“ジャクソン5”の時代の子どもの頃から結構可愛らしい少年だったのだが、私の目には、青年になっているマイケルも音楽性のみならずルックス的にもファンを魅了できる要素を十分に兼ね備えているように映るのである。
皆さんもご存知の通り、マイケルはスーパースターの階段をのし上がるのと平行して外見を大改造し続けた。 肌を白くし、鼻をスラリと高くして、髪の毛はまっすぐに、そして体をスリムにし続けた。 その結果、白人だか黒人だか、男性なのか女性なのか、人間なのやら“化け物”なのやら見分けのつかない何とも奇妙で“特異的”な外観を作り上げてしまった。
何故にマイケルは、持って生まれた十分に魅力的な外見を完全に捨て去ってあのような“特異的”な外観を作ることに躍起になったのであろうか。
その背景には、自己のアイデンティティにおける“迷走”があったのではないかと私は考察するのだ。
マイケルは父親には一切遺産を与えない趣旨の遺書を残していると聞く。その理由は、幼い兄弟を早くから世に売り渡して“稼がせた”父親に対し、敵意を持ち続けていたためとも見聞している。
もしかしたら、マイケルは持って生まれた豊かな才能やそれにより後天的に得た人気や名声とは裏腹に、内面の心理構造は“不幸”と“コンプレックス”の塊だったのかもしれない。 それらすべてを消し去りたいが故に、まったく異質の外観を創り出すことによりマイケルなりのアイデンティティを確立しようとして、苦悩し続けた人生だったのかもしれない。
世界中を一世風靡した華やかなスーパースターの陰には、様々な事件や疑惑も見え隠れしていた。
死後相当の日数が経過しているにもかかわらず、未だに死因も公表されないままである。
自己のアイデンティティの確立が成し遂げられないまま、心身共にもがき苦しむ人生を余儀なくされ、50歳の若さでこの世を去ったスーパースター マイケル・ジャクソン。
それでも、マイケルが成し遂げた音楽パフォーマンスは確かなアイデンティティをこの世で誇りつつ、永遠に音楽ファンの心に刻み続けられることであろう。
Rock with MICHAEL JACKSON !!
CDプレーヤを買った時、好きなCDを1枚サービスとの事で、もらったのは、マイケルの「スリラー」でした。
ディスコは「アバ」「ビージーズ」が全盛時代の世代だし、チークは、ボズ・スキャクスの「ウィ・アー・ノット・アロン」だったよね・・・。
今でもジャクソン5時代の姿に憧れを抱く人は多いと思います。なぜ、あれほどまでに色に拘ったのでしょうか。それは大金を持った者でないと分からない事なのかも知れない。
私がディスコに突入したのはもう少し古くて、「コモドアーズ」「クール&ギャング」「ELO」「ボニーM」「アラベスク」「アースウィンド&ファイアー」……
挙げればきりがないのですが、「ビージーズ」も「アバ」も懐かしいですね!
「ボズ・スギャックス」や「ボビー・コールドウェル」なんかは大人っぽくて渋い印象でしたね!!
そう言えば、isseiさんも音楽好きでいらっしゃいますものね。
確かにあの身体の大改造は、大金なくしては成し得ないことだったでしょうね。
大金を手にしてみると、マイケルの真意が理解できるのかもしれません。
あ~~、無理だなあ、私の場合は一生…
でも、いいわ、別に今のままで…
私もロックウィズの曲が大好きなんです。
粘っこくて肉感的で、それでいて不思議で上質な、格調高い色香が漂っていて、大好きです。
晩年に近いお顔は確かに写真で見るとびっくりするけど、動いている姿をみると親しみやすさと温かさがあって昔の彼と変わらない雰囲気があることにもびっくりしております。
人間は姿かたちから逃れられなくて、でも人は姿かたちでは変えられないところも大きい。
いろいろ考えさせてくれる人でした。
スリラーばかりがマイケルじゃない!同じお考えの方がいてうれしいです。
本当に今この時代に、そしてこの年齢になって聴いても、新鮮でそして上質で格調高くて魅了してくれます。
わずか20歳そこそこのマイケルにそれ程の音楽性があることに驚かされます。
そして量さんがおっしゃる通り、マイケルは写真で見るとちょっとびっくり!!するけど、動く姿は魅力的ですね。 それ程生まれ持った外見にも恵まれ、音楽性とリズム感や表情や身体的表現力に優れていた人物だったのでしょう。
人生経験を積み上げた後のマイケルの音楽パフォーマンスも観たかった思いです。