原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

世の中の皆が皆、“金持ち”を望んでいる訳でもあるまいに…

2022年06月14日 | 自己実現
 この原左都子には子ども時代から「貯蓄」の趣味がある話題は、本エッセイ集内で再三述べている。


 ただし断っておくが、私の場合決して“金持ち”になりたいがためにそれを続けている訳ではない! 
 単に、「自立して生きたい(そのために先立つものはカネだ!、と子ども心に考えたかどうかは不明だが、少なくともその発想が出るのが人よりも早かったと分析する。)」との思いが子ども時代より強かったがために、その行動を採ったものと分析している。


 郷里の大学医学部卒業後すぐに単身上京し、その“野心”を実行に移して後、40数年の年月が経過しているが。

 未だに自分は貧乏人であることを、きちんと自覚できている。

 ただし私の場合は、 “自立心旺盛な貧乏人” を貫けている事実を自己評価したいものである。😠 



 
 さて本日午前中に、カネに関するネット情報に触れた。
 以下に、一部を要約引用しよう。

  要注意…! 貧乏を引き寄せる「感情」って?

 いったい、どのような感情を持つとお金が貯まらなくなってしまうのか、もしそのような感情を持っている時には、どのようにすればよいのかを知っておこう。
 誰かと比較し、対抗心を燃やす
セレブな生活を送っている人やエクゼクティブといわれている人に憧れて、そのような生活を手に入れたい、目標にして努力する、ということはよくある。そして、これは決して悪いことではない。
 とはいえ、もっと身近で手が届きそうな人や同じくらいのクラスに属していると思う人を目標にして、比べてしまうというのは、危険な感情の始まり。簡単に言い換えれば、ライバル心が芽生えてしまったということ。 (中略)
 そのことを自分が望んでいるのならまだしも、単に誰かに負けたくないという感情からでは、ただ無駄にお金を消費するだけ。
 誰かを目標にして努力する場合には、モチベーションもアップして頑張ろうという気持ちが湧いてきます。 そのモチベーションであれば、モノへの消費ではなく、仕事や勉強に向かう。

 人を妬む、羨ましく思う
 人と比べてしまうということにも通じることがあるのだが、誰かの成功を妬む、羨ましく思う感情を持つと、お金持ちにはなれない。(中略)
 最初に芽生えた感情が、お金とは関係のない恋愛からであっても、ネガティブな感情に一気に支配されてしまう可能性がある。 (中略)
 誰かが昇進したという話を聞いた時、妬んでしまうことがあるかもしれない。 ただ、本当にそのポジションに就いて、その人の部下たちと一緒に仕事をしたいのだろうか。また、その人と同じくらい努力してきたのか。
 妬む、羨むという感情は百害あって一利なし。もし芽生えてしまったら、できるだけ早く気分転換し、気持ちを切り替えるようにしよう。(中略)
 楽天的な人は、お金がない状態になった時に「何とかなるさ」と考えてしまう。 とりあえず「誰かからお金を借りておこう」というように、安直に行動してしまうことがありうる。 (中略)
 楽天的な人がマネープランを作ると、どんぶり勘定になってしまうこともあるが。、決してルーズな人という訳ではない。 
 ちょっとした感情は、人生のあらゆる出来事を左右することがあす。芽生えた感情がネガティブなものであったら一度立ち止まって、自分はどうしたいのかを考えることが大切。
 文:飯田 道子(ファイナンシャルプランナー)

 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)



 原左都子の私事及び私見に入ろう。

 上記引用文を読むと確かに我がカネにまつわる行動パターンとは、“貧乏を引き寄せる「感情」”とは無縁であることを実感させられる。

 まず、自己を他者と比較して物事を考えるという習慣が、私の場合はおそらく子ども時代から無い。
 例えばの話が、私が子どもの頃から小遣いを貯め始めたことに関しても、あくまでも自分の内部からの自発的欲求でその行動を採ったのであり、誰かを真似たつもりは一切ない。

 郷里の大学医学部卒業時に上京を決意したのも、決して誰かを真似たものではないどころか。 
 当時、過疎地から上京して就職したのは私が第一号だった。 むしろ、大学教官の中には「そんな冒険をせずとて、地元に素晴らしい就職先がいくらでもあるのに…」とやや批判的に捉える人もいた。
 その後、後進が我が行動を追随することはあったようだが。

 結婚に関してなど、これぞ我が道(結婚は後回しとのポリシー)まっしぐらだったものだ。
 当時は女性が25歳を過ぎると「行き遅れ、売れ残り」と後ろ指をさされたものだが。 何の何の、この私など「人生のお楽しみは、これからだ!」の内面から湧き出てくる勢いの下、単身で仕事にも学業にも頑張り抜いた。

 その中盤時期(30歳時)には、子どもの頃から趣味だったといえる「小遣い貯金」が首都圏でマンション1件を購入可能額まで達していたため、それも実行した。



 表題に戻るが。

 その我が行動の根源とは、決して「金持ち」になりたかったわけではない。
 それが証拠に、私は現在も「金持ち」ではなく貧乏人の部類だ。
 
 ただ、人様に迷惑をかけずして一生をある程度面白おかしく過ごせる蓄えはあるつもりだ。
 それで十分との思いも強い。

 綺麗な高級ドレスで着飾るよりも、何を着ても様になるスリム長身体形こそを一生涯維持したい! (この“こだわり”は強靭だなあ。)

 高級外車に乗るよりも、定期的にランニングに励み、いつまでも健康体で過ごせる身体状況を守り抜きたい。 (これにもこだわっているぞ!)

 もちろんのこと、私なりに育んできた「知性?」も維持したい。
 それには大したカネはかからないぞ。 毎日欠かさず(我が愛読新聞である「朝日新聞」を月決めでとることなど至って安価だし。
 書棚には、我が過去に学んだ「学問ノート」等々の書籍が山ほどある。 これをいくら閲覧しようが“ただ”だ。 
 パソコンにて情報収集しても、カネはかからない。


 このように記してくるに、私は貧乏人にして恵まれた環境にある事に気付かされる。

 この現状に感謝しつつ、今後も主体的に貧乏暮らしをエンジョイしよう!!