原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

所属企業に依存するより 目に見える自分の「武器」を持とう

2022年06月02日 | 自己実現
 またもや、朝日新聞記事にヒントを得たエッセイとなるが。


 朝日新聞2022.05.29付記事内に、「会社に頼らず自分の武器を……」と題する記事があった。
 これはひとまず置いておくとして。



 早速原左都子の私事及び私見に入るが。

 我が職務経歴に関しては本エッセイ集内で再三述べているため、既に十分ご存じの方々は多いことと認識している。

 しつこくも、繰り返させていただくならば。

 
 まずは、郷里の医学部を卒業直後に上京して、都内の医学関連企業に勤務した。 当然ながら医学部にて学んだ分野の国家資格をゲットした上での入社だった。 
 医学部とは世間で「偏差値の高い職業訓練校」と揶揄されている通り、まさに厳しい職業訓練を受けねば卒業できない分野である。 言い換えると、国家試験に合格して職場に採用されたならば、その日から“即戦力”として活躍できる職種とも言える。

 これはまさに「立派な“武器”」として我が身を立ててくれたものだ。

 そんな私は、自分の意思で30歳時点で大いなる方向転換を実施した。

 医療分野にて活躍した私は、(元々子供の頃から貯蓄の趣味があったことも含めて)30歳にて自分が住む住居を購入すると同時に。

 2度目の大学を受験して合格し、その大学及び大学院へ6年間通うこととなった。 
 その際に如何に身を持たせたかと言えば。
 とにかく学問に励む時間を十分に確保したいがために、短時間で効率よく稼げる仕事をゲットすることとして。
 私はあえてコンパニオンの仕事を選択した。 これならば、短時間労働で高収入を得られる故である。 大学時代にレストランのウェイトレスのアルバイトをしたこともあり、さほどの違和感もなかった。
 加えて、高身長スリム体形で見栄えが良い???との我が「武器」も活かせたと、豪語させていただこう。😷 
 これらの仕事(大学長期休暇中には、医学の仕事にも従事して持ち前の「武器」を活かせた)のお蔭で、私は大学院にも進学して「経営法学修士」を取得するとの新たな「武器」も手に入れている。 ついでに、「教職免許取得」にも励み、「高校・中学『社会』免許」及び「高校商業『商業』免許も取得して、我が「武器」の数を増やした。

 まだまだ続く。
 その後、時はバブル期で就職市場では民間企業が活気付き、どうやら学校の教員のなり手が減少した時期だったようだ。
 そこで、教職免許を取得している私に白羽の矢が立った。
 何と神奈川県より我が家に直接電話が入り、「どうしても県立高校にて高校教師をして欲しい!」との嘆願だ。 
 大いに迷ったものの、(正直言ってその報酬が高かったことが理由で)、そのオファーを受け入ることとした。

 この高校教諭経験は、更に我が経歴をブラッシュアップしてくれる結果となった。 
 よくぞまあ一時の考えでそのオファーを断らなかったことと、後でつくづく思う。 長くはない教員経験っだったが、何とも素直で可愛い生徒達と相まみえるとの貴重な時期を得ることが叶った事実は、今となっては我が大いなる「武器」の位置付けである。


 まだまだあるぞ。

 結局、高校教諭は高齢出産後に「出産退職」したものの。

 その後、我が子が少し成長した後に。 
 今度は朝日新聞広告欄にて見つけた「国立研究開発法人・理化学研究所」よりの「研究助手募集」に、何のコネも無く果敢に応募したところ。
 結果としては、「20名程の募集があったが、適格者が貴方一人しかいなかった」との職場長の談話の下、この私が即刻採用された。
 これとて、我が過去の医学分野での業績という「武器」がものを言った出来事だった。

 まだあるなあ。

 今度は、50歳を過ぎて一人娘も中学生になった頃。
 今度は「某大手学習教材会社」が展開する「フランチャイズ学習教室」に応募をして学科試験を受けに言ったら。
 これまた受験者10名程の中で、私ひとりのみが採用される事態となった。 これも、我が高校教諭履歴及び、我が娘の「サリバン業」を現役で頑張っている実績が武器になったものと理解している。 



 話題を、冒頭の新聞記事に戻そう。

 どうやらこの記事内に登場する人物像とは、(誤解を恐れずに言うならば)、文系大学出身者で特段の資格を取得せずして企業に就職した人物たちを描いた記事か?、と解釈するのだが。

 何やら、自身の仕事が好きでそれに集中して日々活躍していると言う事態とは程遠く。
 上司や同僚への不満満載だったり、その悩みを共有できない悩みにさらに困惑されていたり、等々。

 過去に自らの仕事に全力投球できた原左都子の職場環境とは程遠い悩みが列挙されていて、唖然とさせられる。😨 


 しかも、最後のまとめ部分に更に愕然とさせられたため、以下にその部分を引用しよう。

 30代になった自分の姿は想像できない。 仕事か家庭か、いつ決めねばいけないのかも分からない。 「もう少し時が経てば、両立を諦めるタイミングがくるのだろうか」

 こんなことを、今現在の若者が本気で悩んでいるのだろうか??
 これは、あくまでも“コロナ禍”との特殊事情を抱えている現時点での特質なのだろうか???


 この原左都子のごとく、まずは自身の「武器」を自らの力量でゲットしつつ。
 自らがそれを活かす日々を楽しみながら世を渡ってさえいれば。

 いくらでも次なる「武器」と出会えそれを繰り返せると、結論付けたいのだが…