冒頭から、朝日新聞本日2018.12.27朝刊記事より、政府による「商業捕鯨30年ぶり再開」に関する一面記事及び社説を以下に要約して引用しよう。
政府は26日、鯨の資源管理をしている国際捕鯨委員会(IWC)を来年6月末に脱退し、7月から日本の排他的経済水域内で役30年ぶりに商業捕鯨を再開すると発表した。
(以下、社説より引用するが)、結論もそこに至る議論の過程も納得できない。
IWCは、鯨の保存(保護)と共に捕鯨産業の秩序ある発展を目的としている。 資源量の多寡にかかわらず捕鯨を否定する反捕鯨国の主張は、確かに条約の趣旨から逸脱している。
だが、日本は各国間で主張の相違があっても、国際協調主義や法の支配を基本において、問題の解決にあたる姿勢をとってきたはずだ。 自国の主張が通らないからと言って、国際条約から脱退するとの判断はこれに背く。 日本の外交にマイナスの影響を与えかねない。
漁業に限ってみても、資源の国際管理は重要性を増している。 国際協調を軽視すると見られれば、今後の公証での不利益につながる懸念もある。
日本の南極海などでの調査捕鯨に対する国際司法裁判所等よりの批判に耳を傾けた結果として捕鯨をやめ、南極海から撤退するというのえはれば、対話の糸口になるだろう。 だが、水産省は「日本が商業捕鯨を再開する以上、続ける必要がなくなった」と、自国の都合を中心にした説明をしている。
今回の脱退決定にあたって政府は国民に開かれた議論を避けてきた。 国会での突っ込んだ議論もなく、審議会などのプロセスも経ていない。 商業捕鯨再開後の捕獲頭数においても具体像が示されていない。
様々な論点が残るにもかかわらず、なぜ性急に脱退に突き進んだのか、説明が求められる。
(以上、朝日新聞一面及び社説より要約引用したもの。)
一旦、私見に入ろう。
昨夜のテレビニュース報道内で安倍政権 菅官房長官による上記「商業捕鯨再開発表」を視聴し、上記朝日新聞社説同様、安倍政権のあまりにも性急で乱暴とも言える捕鯨再開発表に、驚かされるやら呆れるやらだった。
何故、これ程性急に捕鯨を再開せねばならないのかの説明が一切無く、ただただ「再開する!」事実のみを棒読みで伝える菅氏の横柄とも言える態度には、いつも愕然とさせられるが…。
私事だが、鯨と聞いて私が一番に思い起こすのは、小学生時代の学校給食だ。
1960年代に過疎地の公立小学校児童だった私だが。 当時の給食のまずさと言えば、それはそれは筆舌に尽くし難い程悲惨だったものだ。 来る日も来る日も、パサパサの山形パンに脱脂粉乳……
中でも特に我が記憶に残っているのが「鯨肉」である。 繊維質ばかりの肉質で油っ気が一切無く何だかボソボソしている食感に加えて、味付けのまずいこと! 我が地方特有の食習慣だったのかもしれないが、何故かこの鯨肉が学校給食に頻出するのだ。
元々小食で給食をほとんど食べられない我が身にとって、「鯨肉」の日は拷問に近いものがあった。
ただ当時から“食の太い児童”は「あれ」をお替りしていたのかもしれない…。
話題を変えよう。
私は本エッセイ集バックナンバーに於いて、我が国の「鯨イルカ漁」に関する私論を2度述べている。
それは、2010.05.23公開の「『ザ・コーブ』におけるドキュメンタリーのあるべき姿」 及び2011.07.22公開の「続編『ザ・コーブ』におけるドキュメンタリーのあるべき姿」内に於いてだ。
そのうち前者エッセイ内に於いて述べた「イルカ漁 」に関する記述部分を、以下に再掲載させていただこう。
「ザ・コーヴ」とはアカデミー賞受賞直後より、特に日本国内において物議を醸し続けている米国映画作品である。
この映画作品をご存知ない方のために、ここでその内容をごく簡単に説明しよう。
我が国の和歌山県太地町において昔から伝統漁業としてイルカ漁が行われ、地元では学校給食にも捕獲調理されたイルカが出され食されている現状であるらしい。 これに目をつけたイルカ保護団体がそれの残虐性にのみ焦点を絞り、太地町の許可を得ずに隠し撮りや捏造、恣意的な編集、漁民への挑発や俳優に演技をさせた“やらせ撮影”等々の手段によりイルカ漁の“悪魔性”を強調して制作したのがこの「ザ・コーヴ」であるとのことである。 (途中大幅略)
最後に、原左都子個人の鯨イルカ等の捕獲漁に関する個人的見解を述べると、正直申し上げて“反対派”である。
我が国は既に(現在は曲りなりではあるが)一応先進国に位置している。その種の国では、食性において“世界標準”に従うべきではないかと感じるのだ。
世界の数多くの国々が嫌悪感を抱く食材をあえて食さずとて、“世界標準”の食材を国民に分配することにより国民の健康は十分に満たされる時代のはずである。 それ故に我が国の国政は、特殊な狩猟や漁に頼って生き延びている生産者への方向転換指導に早急に着手するべきと考える。
我が国においては歴史的に決して特殊な宗教が蔓延っている訳でもない。 その観点からも生産者側、消費者側両面での“世界標準”の食糧指導は容易なはずである。
(以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)
参考だが、2011.07.22公開の我がエッセイ「続編『ザ・コーブ』におけるドキュメンタリーのあるべき姿」に於いては。
その後NHK特集にて放映された、和歌山県太地町にて実際に鯨イルカ漁を実施している漁師一家の様子を視聴し、その苦悩の程を私なりに思い知り、その観点より「鯨イルカ捕鯨」に関し若干の修正私論を述べるに至っている。
話題を、表題の安倍政権の独りよがりで乱暴な「IWC脱退」宣言に戻そう。
昨日見たテレビニュース内では、我が国に於いて鯨を食する側の“食材”としての意義に関する発言は菅官房長官の口からはただの一言も聴けなかった。
ただただ突如として「IWC脱退決定!」が告げられ、私の耳には「そうすると安倍政権が決定したんだから国民の皆よ、それを心しておけよ!!」といつもながらの命令口調だった。
IWCを突如脱退する事実とは、まさに今後の国際関係に於いて様々な弊害を新たに引き起こす元凶となるのは歴然だ。
その発表に於いて、今の時代背景に於ける我が国の「鯨捕鯨」の真なる必要性の提示や議論が全く無いまま、安倍政権は暴走を続けようとの有様だ。
任期終了を3年後に控え、安倍氏は一体如何なる政治理念の下にこのような暴走を続けたいのだろうか???
政府は26日、鯨の資源管理をしている国際捕鯨委員会(IWC)を来年6月末に脱退し、7月から日本の排他的経済水域内で役30年ぶりに商業捕鯨を再開すると発表した。
(以下、社説より引用するが)、結論もそこに至る議論の過程も納得できない。
IWCは、鯨の保存(保護)と共に捕鯨産業の秩序ある発展を目的としている。 資源量の多寡にかかわらず捕鯨を否定する反捕鯨国の主張は、確かに条約の趣旨から逸脱している。
だが、日本は各国間で主張の相違があっても、国際協調主義や法の支配を基本において、問題の解決にあたる姿勢をとってきたはずだ。 自国の主張が通らないからと言って、国際条約から脱退するとの判断はこれに背く。 日本の外交にマイナスの影響を与えかねない。
漁業に限ってみても、資源の国際管理は重要性を増している。 国際協調を軽視すると見られれば、今後の公証での不利益につながる懸念もある。
日本の南極海などでの調査捕鯨に対する国際司法裁判所等よりの批判に耳を傾けた結果として捕鯨をやめ、南極海から撤退するというのえはれば、対話の糸口になるだろう。 だが、水産省は「日本が商業捕鯨を再開する以上、続ける必要がなくなった」と、自国の都合を中心にした説明をしている。
今回の脱退決定にあたって政府は国民に開かれた議論を避けてきた。 国会での突っ込んだ議論もなく、審議会などのプロセスも経ていない。 商業捕鯨再開後の捕獲頭数においても具体像が示されていない。
様々な論点が残るにもかかわらず、なぜ性急に脱退に突き進んだのか、説明が求められる。
(以上、朝日新聞一面及び社説より要約引用したもの。)
一旦、私見に入ろう。
昨夜のテレビニュース報道内で安倍政権 菅官房長官による上記「商業捕鯨再開発表」を視聴し、上記朝日新聞社説同様、安倍政権のあまりにも性急で乱暴とも言える捕鯨再開発表に、驚かされるやら呆れるやらだった。
何故、これ程性急に捕鯨を再開せねばならないのかの説明が一切無く、ただただ「再開する!」事実のみを棒読みで伝える菅氏の横柄とも言える態度には、いつも愕然とさせられるが…。
私事だが、鯨と聞いて私が一番に思い起こすのは、小学生時代の学校給食だ。
1960年代に過疎地の公立小学校児童だった私だが。 当時の給食のまずさと言えば、それはそれは筆舌に尽くし難い程悲惨だったものだ。 来る日も来る日も、パサパサの山形パンに脱脂粉乳……
中でも特に我が記憶に残っているのが「鯨肉」である。 繊維質ばかりの肉質で油っ気が一切無く何だかボソボソしている食感に加えて、味付けのまずいこと! 我が地方特有の食習慣だったのかもしれないが、何故かこの鯨肉が学校給食に頻出するのだ。
元々小食で給食をほとんど食べられない我が身にとって、「鯨肉」の日は拷問に近いものがあった。
ただ当時から“食の太い児童”は「あれ」をお替りしていたのかもしれない…。
話題を変えよう。
私は本エッセイ集バックナンバーに於いて、我が国の「鯨イルカ漁」に関する私論を2度述べている。
それは、2010.05.23公開の「『ザ・コーブ』におけるドキュメンタリーのあるべき姿」 及び2011.07.22公開の「続編『ザ・コーブ』におけるドキュメンタリーのあるべき姿」内に於いてだ。
そのうち前者エッセイ内に於いて述べた「イルカ漁 」に関する記述部分を、以下に再掲載させていただこう。
「ザ・コーヴ」とはアカデミー賞受賞直後より、特に日本国内において物議を醸し続けている米国映画作品である。
この映画作品をご存知ない方のために、ここでその内容をごく簡単に説明しよう。
我が国の和歌山県太地町において昔から伝統漁業としてイルカ漁が行われ、地元では学校給食にも捕獲調理されたイルカが出され食されている現状であるらしい。 これに目をつけたイルカ保護団体がそれの残虐性にのみ焦点を絞り、太地町の許可を得ずに隠し撮りや捏造、恣意的な編集、漁民への挑発や俳優に演技をさせた“やらせ撮影”等々の手段によりイルカ漁の“悪魔性”を強調して制作したのがこの「ザ・コーヴ」であるとのことである。 (途中大幅略)
最後に、原左都子個人の鯨イルカ等の捕獲漁に関する個人的見解を述べると、正直申し上げて“反対派”である。
我が国は既に(現在は曲りなりではあるが)一応先進国に位置している。その種の国では、食性において“世界標準”に従うべきではないかと感じるのだ。
世界の数多くの国々が嫌悪感を抱く食材をあえて食さずとて、“世界標準”の食材を国民に分配することにより国民の健康は十分に満たされる時代のはずである。 それ故に我が国の国政は、特殊な狩猟や漁に頼って生き延びている生産者への方向転換指導に早急に着手するべきと考える。
我が国においては歴史的に決して特殊な宗教が蔓延っている訳でもない。 その観点からも生産者側、消費者側両面での“世界標準”の食糧指導は容易なはずである。
(以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)
参考だが、2011.07.22公開の我がエッセイ「続編『ザ・コーブ』におけるドキュメンタリーのあるべき姿」に於いては。
その後NHK特集にて放映された、和歌山県太地町にて実際に鯨イルカ漁を実施している漁師一家の様子を視聴し、その苦悩の程を私なりに思い知り、その観点より「鯨イルカ捕鯨」に関し若干の修正私論を述べるに至っている。
話題を、表題の安倍政権の独りよがりで乱暴な「IWC脱退」宣言に戻そう。
昨日見たテレビニュース内では、我が国に於いて鯨を食する側の“食材”としての意義に関する発言は菅官房長官の口からはただの一言も聴けなかった。
ただただ突如として「IWC脱退決定!」が告げられ、私の耳には「そうすると安倍政権が決定したんだから国民の皆よ、それを心しておけよ!!」といつもながらの命令口調だった。
IWCを突如脱退する事実とは、まさに今後の国際関係に於いて様々な弊害を新たに引き起こす元凶となるのは歴然だ。
その発表に於いて、今の時代背景に於ける我が国の「鯨捕鯨」の真なる必要性の提示や議論が全く無いまま、安倍政権は暴走を続けようとの有様だ。
任期終了を3年後に控え、安倍氏は一体如何なる政治理念の下にこのような暴走を続けたいのだろうか???