原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「原左都子エッセイ集」の名刺が欲しいと言われて…

2017年09月02日 | 人間関係
 (写真は、私がネット名刺業者ページ上で自分で作成し、業者が印刷した商品を購入した名刺。 個人情報保護のため、あえて不明瞭に掲載しています。)


 上記の「原左都子エッセイ集」名刺は、2弾目の制作品だ。

 1弾目を作成したのは、おそらく既に7,8年前だっただろうか?
 ワード画面か何かで文字を書き込み大本を作成し、市販の名刺用紙を購入して来て自宅のプリンターにて50枚程印刷した。
 その後、「原左都子エッセイ集」表紙の緑の樹の絵柄に合わせ、当時美大受験を目指していた娘に“葉っぱの絵柄”をデザインしてもらった。  印刷した一枚一枚の名刺に、娘にも手伝わせつつその絵柄を描き込んだ、“オリジナル手書き”限定配布ものだった。
 約40数枚を配り、後は記念に保存してある。


 次なる名刺が、上記写真のものだ。
 
 これは200枚印刷したが、現在手元に半数の100枚程残っているということは、既に100枚程を配布したとの計算となろう。

 一体何処で配布したのかと振り返ると、その一例は同窓会会場だったと記憶している。
 同窓会の場で「今現在何をしているのか?」と問われた場合、現役の職業人時代は当然ながらその名刺を配布するのが常だろうが。
 一旦職業から離れた暁に「今何をしているのか?」を証明する手段として、私にとっては「原左都子エッセイ集」を前面に出したいと考えたのだ。  そうして、第一弾、第二弾と「原左都子エッセイ集」の名刺の作成行動を採った。

 メディア方面の人達に配布した事もある。
 何らかの所用の場で偶然出会った報道関係の人物達にも配布した。(NHKや地方放送局、あるいは 芸能プロダクション等々) その反応を語るならば、正直なところ皆無状態。 世の中、そんなものだろう。


 さて、話題を変えよう。

 私の場合「原左都子エッセイ集」の名刺を配布する事に関し、現在に於いては、特に現実世界の知り合いに対しては慎重の上に慎重を期している。

 と言うのも、そもそも「現実世界での知り合い」と「ネット世界での知り合い」とは、大きく隔てて対応するべき人物対象と心得ている故だ。

 「現実世界での知り合い」と一言で表現したところで、これも千差万別だ。
 昨日今日知り合った相手とは、「ネットで知り合った人物」と大差は無いだろう。 それらの人々は私の生き様を知るすべもない故だ。 故に、突然「原左都子エッセイ集」を名刺により知りそれを読んだからと言って、「ああ、こういう奴ね」との感想を抱かれ、嫌なら去って行ってくれれば済む話だ。

 ところが、一旦現実社会での関係を蓄積している相手とは、そうはいかない。


 昨日、とある我が家の御用聞き業者の方から、私のブログの名刺が欲しいと嘆願された。
 これには、数年来のその方との付き合い積み重ねの歴史があるのだ。 
 相手はたかが御用聞きである事には間違いない。 だが、いつも一回の御用聞きタイムに玄関口にて数分であるが必ずや共通項の会話が続いたと言えるだろう。 要するに、確かに私とその人物の人間関係が蓄積されている感覚は私の方にもあったのだ。

 私がネット上でエッセイ集を公開している事実を、昨日初めてその御用聞き氏に伝えるなり。 
 すぐさま返って来たのが、「是非読みたいから、そのエッセイ集のURLかペンネームを教えて欲しい!」との嘆願だった。
 私応えて「有り難いお話ですし、名刺もあるのですが、現実世界の方々に我がエッセイ集の存在を伝えた場合、トラブルが発生する事態も大いに考えられるのです。 と言いますのも、エッセイの題材として現実世界で発生した出来事等の論評もしているのですが、特に身近に発生したトラブルの場合、それを私が書いた事が世に発覚する懸念もあります。 身勝手ですが、そうした場合の軋轢を避けるためにも個人情報を守りたいとの意味合いでも、名刺は差し上げられません。」

 それでも、どうしても私が書いたエッセイを読みたい! と御用聞き氏が訴えて下さった事実には感謝感激だが…。


 同じく世にブログを展開されている数多くの方々にとって、“現実世界とネット世界を別枠で考えるべき” なる同様のご経験は無いだろうか??

 これは、世に発生する社会問題に対する「辛口(毒舌)論評」公開を主眼とする原左都子の立場としての、あくまでも個人的かつ特異的な現象なのだろうか?!?