昨日、自己所有賃貸不動産物件関連の仲介手続きのため、某不動産会社より20代後半の若者が我が家に訪れた。
それに先立ち2ヶ月程前にも、同じく我が賃貸物件修繕工事に際しその打ち合わせのため、おそらく30歳前後と思しき若き男性が我が家にやって来た。
いきなり顰蹙ではあるが、私程の年齢になると若き男性を相対関係で間近に見れるだけでも“目の保養”になるというのが正直なところである。
それだけでも嬉しいのに、彼らの対応は至って紳士的で礼儀正しく、しかも両人ともイケメンだ。
加えて、顧客の自宅にまで訪問してくる担当者とは相当社内で選別されているのか?、肝心要のビジネス本業に関しても確固としたバックグラウンドがあり、私側からの厳しい質問にも適切な回答を返せる能力を備えているのに感心させられる。
この現象とは、就職難(現時点では“歪んだ”アベノミクス政策により一部の大企業に於いては表向き回復がみられるとの事だが)の現在に於ける企業現場が、少しでも“優秀な若者”を採用しようと血眼であろう事を物語る現象と解釈する。
その「優秀条件」の一つが、「外見」ではなかろうか?
女子の採用に於いてこの現象は顕著であろうが、今の時代は男子採用に関しても“イケメン度”が重要視されているのではないかと、私など至る場所で直面する事が多い。
例えば我が家に商談で訪れる若者がもしも“醜男”だった場合、(顰蹙は承知の上で)私など一見してげんなりしそうだ。 それでも醜男度をカバーできる専門力や紳士力が備わっていれば話は別だが…
次に重要なのは「人柄」と捉える。
これは恐らく、企業内教育に於いても変化を遂げにくいのがその特色と理解する。
それだからこそ採用側の企業は、若者の「人柄」を見抜く面談に躍起になっているとも考察可能であろう。 ただそれを見抜く立場の採用側の能力に欠陥がある事の方が、実際上切実な課題とも考察する。
そして極めつけは、やはり「専門力」であろう。
ただしこれに関しては 入社後に「専門力」を“社員教育力”によりカバー可能な業種に於いては、教育担当社員やその後の配属先先輩がその教育力を発揮すれば済む話として片づけられそうにも思う。
ここで私事を語ると、私の場合国家資格取得を条件で新卒にて「医学専門職社員」として民間企業に就職した。 入社直後より既に「専門力」を期待されていた身であり、私の場合は決して「外見」や「人柄」を重視された訳ではなく、当初より「専門力」で入社が叶ったものと心得ているのだが…
いずれにせよ私が賃貸借物件を所有している事が幸いして、若きビジネスマン氏らの活躍の程に“直に”触れる機会を得ることが出来る身として、思う事があるのだ。
例え仕事であれ人と対応して成り立つ職種に就いた若者とは、様々な人間にまみえる事が叶い幸せではないのかと…
それに比し、例えば若き頃より「作家」なる稼業に依存せねばならない若者は、人間関係に於いてとんでもない不幸を背負う運命にあるとも考察できる。
朝日新聞6月10日付コラムに「苦しんだいじめ『孤高な人になる』」 なる、我が見知らぬ27歳“作家”と名乗る女性の記事を見つけた。
その一部を要約して紹介しよう。
私自身は中学の頃までいじめに苦しみ、高校でも友人関係をうまく築けずに悩んだ。 「孤立するんじゃなくて『孤高』になるんだ」「好きなことをやってると、気が合う奴と出会える」 朝日学生新聞社児童文学賞を昨年受賞等を受賞したことが、今後の作家としての意欲に繋がっている。
(以上は、朝日新聞記事を原左都子が大部分省略して要約したもの。)
以下は原左都子の私論だが、「ちょっと待ってよ。わずか27歳の作家初心者さん」 と言いたい気分だ。
未だ27歳ならば、是非共もっと積極的に社会進出する事をお勧めしたい思いだ。
中学生の頃までいじめに遭ったとのことだが、既に朝日新聞から賞をもらった事だし、ここはそれを武器として一旦社会の荒海に出てみてはどうなのか?!
27歳女性は日本語学校で外国人相手に講師を務めているとの話だが、外国人と真のコミュニケーションと取る場合、言葉の壁等様々な垣根を抱えねばならない現実であろうことも想像可能だ。
ここは一旦「孤高」をチャラにして、今一度過去の「いじめ」と真正面から対決する勇気を持って欲しい気もする。
「好きなことをやってると気が合う奴に出会える」のは老後に至った後でも遅くない!(還暦近い原左都子が今現在そんな環境にあることは認めるが、私とてそれ以外の人間関係をも積極的に育くんでいるよ。)
何故自分が「いじめ」を受けたのかを徹底的に自己分析できた後、自分自身が欲する人世を歩んた挙句の果ての遠い将来に於いて、真の輝ける「孤高」が訪れるのではあるまいか?
原左都子自身も晩年期には「孤高」を理想としているのだが、それに及ぶまでには、まだまだ他者とのかかわりに感激したり落胆したり傷ついたりの日々を刻み続けるであろうと予期しているよ。
それに先立ち2ヶ月程前にも、同じく我が賃貸物件修繕工事に際しその打ち合わせのため、おそらく30歳前後と思しき若き男性が我が家にやって来た。
いきなり顰蹙ではあるが、私程の年齢になると若き男性を相対関係で間近に見れるだけでも“目の保養”になるというのが正直なところである。
それだけでも嬉しいのに、彼らの対応は至って紳士的で礼儀正しく、しかも両人ともイケメンだ。
加えて、顧客の自宅にまで訪問してくる担当者とは相当社内で選別されているのか?、肝心要のビジネス本業に関しても確固としたバックグラウンドがあり、私側からの厳しい質問にも適切な回答を返せる能力を備えているのに感心させられる。
この現象とは、就職難(現時点では“歪んだ”アベノミクス政策により一部の大企業に於いては表向き回復がみられるとの事だが)の現在に於ける企業現場が、少しでも“優秀な若者”を採用しようと血眼であろう事を物語る現象と解釈する。
その「優秀条件」の一つが、「外見」ではなかろうか?
女子の採用に於いてこの現象は顕著であろうが、今の時代は男子採用に関しても“イケメン度”が重要視されているのではないかと、私など至る場所で直面する事が多い。
例えば我が家に商談で訪れる若者がもしも“醜男”だった場合、(顰蹙は承知の上で)私など一見してげんなりしそうだ。 それでも醜男度をカバーできる専門力や紳士力が備わっていれば話は別だが…
次に重要なのは「人柄」と捉える。
これは恐らく、企業内教育に於いても変化を遂げにくいのがその特色と理解する。
それだからこそ採用側の企業は、若者の「人柄」を見抜く面談に躍起になっているとも考察可能であろう。 ただそれを見抜く立場の採用側の能力に欠陥がある事の方が、実際上切実な課題とも考察する。
そして極めつけは、やはり「専門力」であろう。
ただしこれに関しては 入社後に「専門力」を“社員教育力”によりカバー可能な業種に於いては、教育担当社員やその後の配属先先輩がその教育力を発揮すれば済む話として片づけられそうにも思う。
ここで私事を語ると、私の場合国家資格取得を条件で新卒にて「医学専門職社員」として民間企業に就職した。 入社直後より既に「専門力」を期待されていた身であり、私の場合は決して「外見」や「人柄」を重視された訳ではなく、当初より「専門力」で入社が叶ったものと心得ているのだが…
いずれにせよ私が賃貸借物件を所有している事が幸いして、若きビジネスマン氏らの活躍の程に“直に”触れる機会を得ることが出来る身として、思う事があるのだ。
例え仕事であれ人と対応して成り立つ職種に就いた若者とは、様々な人間にまみえる事が叶い幸せではないのかと…
それに比し、例えば若き頃より「作家」なる稼業に依存せねばならない若者は、人間関係に於いてとんでもない不幸を背負う運命にあるとも考察できる。
朝日新聞6月10日付コラムに「苦しんだいじめ『孤高な人になる』」 なる、我が見知らぬ27歳“作家”と名乗る女性の記事を見つけた。
その一部を要約して紹介しよう。
私自身は中学の頃までいじめに苦しみ、高校でも友人関係をうまく築けずに悩んだ。 「孤立するんじゃなくて『孤高』になるんだ」「好きなことをやってると、気が合う奴と出会える」 朝日学生新聞社児童文学賞を昨年受賞等を受賞したことが、今後の作家としての意欲に繋がっている。
(以上は、朝日新聞記事を原左都子が大部分省略して要約したもの。)
以下は原左都子の私論だが、「ちょっと待ってよ。わずか27歳の作家初心者さん」 と言いたい気分だ。
未だ27歳ならば、是非共もっと積極的に社会進出する事をお勧めしたい思いだ。
中学生の頃までいじめに遭ったとのことだが、既に朝日新聞から賞をもらった事だし、ここはそれを武器として一旦社会の荒海に出てみてはどうなのか?!
27歳女性は日本語学校で外国人相手に講師を務めているとの話だが、外国人と真のコミュニケーションと取る場合、言葉の壁等様々な垣根を抱えねばならない現実であろうことも想像可能だ。
ここは一旦「孤高」をチャラにして、今一度過去の「いじめ」と真正面から対決する勇気を持って欲しい気もする。
「好きなことをやってると気が合う奴に出会える」のは老後に至った後でも遅くない!(還暦近い原左都子が今現在そんな環境にあることは認めるが、私とてそれ以外の人間関係をも積極的に育くんでいるよ。)
何故自分が「いじめ」を受けたのかを徹底的に自己分析できた後、自分自身が欲する人世を歩んた挙句の果ての遠い将来に於いて、真の輝ける「孤高」が訪れるのではあるまいか?
原左都子自身も晩年期には「孤高」を理想としているのだが、それに及ぶまでには、まだまだ他者とのかかわりに感激したり落胆したり傷ついたりの日々を刻み続けるであろうと予期しているよ。