原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

中学生を叱るのは、やはり私も怖い…

2013年06月08日 | 教育・学校
 集合住宅内にある我が家の住戸の南側に、片側一車線の公道がある。 
 その道路は町内のメインストリートとも言えるのだが、そもそも住宅地域であるため車両をはじめとする通行者はさほど多くはなく、普段は比較的静かな環境下にある。


 この公道は、近くに存在する公立中学校の通学路ともなっている。
 
 学校が新学期を向かえて少し経過した1ヶ月程前から、この“メインストリート”が中学帰宅時に“大騒ぎ”をしでかす男子中学生軍団の“溜まり場”と化しているようだ。
 ちょうど中学生の帰宅の午後3時過ぎ頃から夕方近い時間帯に、当該「原左都子エッセイ集」をパソコンに向かって執筆する機会が多い私だ。 5月に入り夏日を経験するようになって以降南側ベランダの大窓を解放している我が家だが、近頃南側の公道で繰り広げられる男子中学生どもの“大喧騒”にエッセイ執筆の集中力を妨げられる事この上ないのだ。

 いえいえ、原左都子自身に高校教員経験があるため、中高生ぐらいの子どもの中には今時人前で“普通に”騒ぎ散らす人種も存在する事など重々承知している。 単なる“おちゃらけ”等々大抵の事ならば許容範囲とも心得ているつもりだ。
 ところが、どうも我が家前の公道上の男子中学生軍団からは「いじめ」と表現するべきニュアンスの会話も聞き取れるのだ。 しかも日々聞き取るその音声から、“いじめ側”と“いじめられ側”が既に固定化している実態も私は嗅ぎ取った。 ここは元教員でもある私が住居階下へ降りて公道へ出向き、一言注意しようかとも一瞬考えた。 (結果としては残念ながらそれを断念した理由に関しては後に述べよう。)

 一昨日の事だが、上記男子中学生軍団の人数が普段より大幅に増大していた様子だ。
 いつものごとく「原左都子エッセイ集」を綴る我が家の南ベランダ側道路より、男子中学生軍団の馬鹿騒ぎ音声に加えて、車のクラクションも数多く聞こえてくる。 
 (一体、何の騒ぎだ!?)と思いつつベランダに出た私は唖然とした。
 何と、男子中学生軍団20名程が片側一車線道路を横列で塞いで、訳が分からない暴言を吐きつつ大行進しているではないか!!  そこをたまたま通りかかった車が通行妨害をしている中学生軍団にクラクションを鳴らしていたとの実態だ。
 こういう場合、車の運転手氏が「お前ら、迷惑だから集団で車道を歩くとの馬鹿な行動をやめろ!!」とでも説教すればいいのかとも思いつつ、クラクションを鳴らす事しか打つ手立てが無いことにも同情せねばならないのであろう。 
 と言うのも、集合住宅上階ベランダに出てひとまず(何やってんだ、お前らは!!)と公道に向かって叫びたかった私も、その異様な風景を一見するなり一瞬にしてひるんでしまったからだ……  ましてや、階下に降りて20人程の男子中学生軍団相手に「説教」する勇気など皆無だったことを恥じ入るしかない…… 


 そんな身勝手な原左都子が、過去において自宅集合住宅内で幾度か小学生男児集団を叱った経験がある事に関して、2011年5月バックナンバー 「他人の子の“悪さ”をどう叱る?」 とのエッセイにおいて公開している。
 少しだけ、反復させていただこう。
 私が住む集合住宅は公立小学校のすぐ近くに位置している。 周辺は閑静な低層住宅地で一戸建て住居がほとんどという環境の中、我が集合住宅敷地内の駐車場やエントランス、通路空間等々共用持分施設が、公立小学校放課後の児童達にとって“恰好の溜まり場、遊び場”と化しているのだ。
 この住居に入居以来、小学校の下校時間である14時頃から夕方5時半頃(夏季は6時頃)まで、日々児童達の歓声が絶えない運命にある。 共用施設で遊んでいる児童グループとは決まって男の子達である。 
 原左都子とて、何も好き好んで近隣住民であろう男子児童達を叱りたい訳ではない。 むしろ出来ればこんな場面は避けたい思いが強い。 と言うのも、今の時代においては下手をすると子供と言えども“刃物”を持っていたりするとの情報もある。 相手は小学生といえども体格が立派な子もいるし、そんな場面で華奢な私が打ち勝てるはずもないという“我が身息災”の危険性の観点が大きいものがあるのは事実だ。 
 そして子供を叱った後にはいつも“後味の悪さ”が残り、その自己嫌悪感にしばらく苦しめられるのも実に不快なものである。 しかも子供とは、幼い日に“叱られた”経験が将来に渡ってトラウマとなるやもしれないのだ。 叱った相手が親等の保護者であるならば家庭内においてそのフォローがいくらでも可能であろうが、見知らぬ相手に突然叱られた場合の子どもが受ける後々の“トラウマ”を慮って余りある原左都子である。
 今の大都会においては人間関係の希薄化現象が蔓延している。 こんな環境下で他人の子供を叱る行為とは、ひと昔前とは大いにその意味が異なっている事に叱る側の大人は留意するべきとも心得ているのだ。
 ただし子供達を本気で叱ってやらないと、最悪の場合子供達が「死」に至る場面もあることを大人は是非共認識するべきである。 そんな事件・事故が数多く勃発している現状でもある。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより要約引用)


 本日私がこのテーマエッセイを展開したのは、朝日新聞本日(6月8日)別刷「be」“悩みのるつぼ”を一見したからに他ならない。
 今回の相談女性とは、(私に言わせてもらうと“単に”説教好きな)“何か社会にお役に立ちたい”意向の60代女性との事だ。
 
 その相談内容は割愛させていただくが、今回の“悩みのるつぼ”回答者であられる三輪明宏氏が「危険には近づかない方がいい」との適時適合的回答を述べておられるので、その結論部分のみを少しだけ紹介しよう。
 相談者が生きてきた時代とは現在はまったく様変わりしてしまっている。 それをわきまえず、人に説教する事には危険が伴う事を自覚するべきだ。 この相談者が命を失ってもいいとの覚悟まであるなら、見知らぬ相手に説教してもよいのかもしれない。
 もっとも、他者に悪意が無く知らずに間違いを犯している場合には注意ではなく「忠告」をしてあげましょう。 また小学生までの小さな子どもは危険が少ないので、他人がアドバイスをしてあげると良いでしょう。 中学生になると逆恨みもするし、小型ナイフを持っているような場面もありますからやめておきましょう。 相手に注意をしたいのなら、その辺の危険性を見分ける感覚を持っている必要があります。


 朝日新聞“悩みのるつぼ”の回答者であられる三輪明宏さん、的確なご指導を本当にありがとうございます。 
 自宅近くで大騒ぎして市民に迷惑をかける男子中学生連中にはほとほと嫌気がさしていた私である。 それでもその指導を回避したことに関して、三輪氏の回答により肯定して頂けた気分だ。

 そうだとして、この男子生徒団体の公道での悪行を私が当該公立中学に摘発するとの手段もあるのか?
 いや、それを実行したとてその成果の程が期待薄であることは既に経験済みである。 
 現在の公立学校の教育実態を慮ると、在籍生徒の保護者に対してすら対話の機会を持とうとせず、「モンスター」なる危険用語を持ち出して頭から撃退しようとの公教育現場である。
 ましてや保護者でもない一庶民の摘発になど一切関与しない公立学校の体質を、悲しいかな見据えてしまえる私だ…  せめても当該公立中学校内でもしも男子がいじめ自殺でも図った時に、その証言者の一人になってあげられる事くらいしか近隣庶民には残されていない現実なのであろう…