原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

セーラー服を脱ぎ捨てよう!

2013年03月16日 | 自己実現
 「制服」と聞いて、現在の原左都子が一番に思い浮かべるのは AKB48 だ。

 だからと言う理由のみでもないが、私は、AKBを筆頭として現在芸能界に掃いて捨てる程存在するそれら類似の“素人もどき女子タレント軍団”の存在が鬱陶しくて仕方がない。

 そもそも、企画販売促進者側の宣伝コンセプトの単純馬鹿さ加減を見透かしてしまえるのだ。
 芸能界デビュー志望の年頃女子達をテキトーに集め、学校の制服もどきのコスプレ衣装を着用させて笑顔を振りまかせりゃ、老若問わず若年少女フェチかつ欲求不満の男どもが舌舐めずりしつつそれに飛びつく図式が見て取れる。 

 ひと昔前の1985年に、「セーラー服を脱がさないで」と題するヒット曲が存在した。 (今回の「原左都子エッセイ集」表題はそこから参照引用させていただいたのだか。)
 これもAKB48創設者である 作詞家 秋元康氏が過去にプロデュースした「おニャン子クラブ」との素人もどき女子タレント集団が歌った曲だ。  秋元康氏とは、長年に及びご自身の人生をかけて女子生徒の“制服フェチ”を貫いておられる人物なのか?!? と昨今のAKBヒットの陰でしみじみ感じる私でもある。


 ここで、原左都子の私事に移らせていただこう。

 実は私も過去においてセーラー服を着用した経験がある。 数十年前に所属した公立中学校の制服がセーラー服だったためだ。
 紺地の生地に太い一本線が施されたセーラー襟だったことが印象深い。 公立ではあるが市の中央に位置し、学業成績、部活動等々様々な分野に於ける生徒の活躍により地方・全国大会等々で輝かしい業績を積み上げてきている中学校だった。  当時はこの「一本線セーラー服」を着用する事が女子生徒にとって一種の名誉でもあった記憶がある。 まだまだ未熟な私は、このセーラー服に“一種の特権意識”を持てた頃のたわいない話だ。

 その後進学した高校時代は、親の希望により自分が欲さない地元国立大学を目指しての受験勉強で苦しめられた記憶しかない。
 そんな我が内面よりの反発心がよほど大きかったのだろうか、(一応県内では名門進学校であり女子羨望の的の)制服を、な、な、なんと!高3の受験間近い頃、大改造する作業に入った私だ!
 当時“スケバン不良”と後ろ指を指されていた巷の女子高生の間では、超ロングひだスカートに短い上着のウェストを細くするスタイルが流行していた。  一夜を徹して制服をそのスタイルに変造する作業を私は実行した!   それはそれは大変な作業だった。 スカートに多くのひだがある。その裾を出来得る限り長くしてアイロンをかけるのに長時間を要した。 上着の裾を短くしてウェストを絞り込む作業は比較的容易だったものの… 
 翌朝、その改造制服を着用した私を見た母親の反応を今尚憶えている… 「それ一晩でやったの!? よくぞそこまで改造したよね!」   そうじゃないだろ! と今尚思う私でもある… 何で私の辛い深層心理を親として理解できないのか…と。 (実は母も我が心理を理解していながら受験間近い時期だった故に、あえて私の心境に配慮してその種のリアクションをするしかなかったとも考えられるが……)
 その恰好で学校に出向いた私に、女子同級生も声をかけてくれた。 「○ちゃん、どうしたの、カッコイイじゃん!!」等々と…  
 もうすぐ高校卒業の頃の我が制服に関する一種“切ない思い出話”である。  その制服は卒業と同時に即刻廃棄処分とした。


 その後上京して医学方面の企業に就職した私の仕事着とは、病院で医師が着用しているものと同じ上に羽織るタイプの「白衣」だった。 当時は「白衣」の下に着用する私服が自由だったものの、医学及び時代の変化と同時進行で着用衣類も進化していくのは必然的であっただろう。
 後に「無菌室」や「放射性同位元素取扱室」での作業も発生した私には、下着に関してまでも着用する作業着が特定される事態と相成った。  ファッションにはとことんこだわる私としては、正直なところ職務中とは言えこれには大いなる抵抗感を抱かされたものであるが、職種の使命から発する要請とあれば致し方ない事であったと後に考察する。


 今回「原左都子エッセイ集」に於いてこのテーマのエッセイを綴る機会を得たのは、朝日新聞夕刊一面下欄で今週より特集されている「制服が好き」と題するコラムによる。
 え~~~!? 本気で制服が好きな人種がこの世に存在し得るの!??  と感じるのがこの記事の題名を一見した私の本音である。  と言うのも、中学校卒業後「制服」を嫌い続けている我が人生である故だ。
 その理由により朝日新聞上記記事の詳細を読もうとも思わない私だが、例えば3月15日のテーマなど「(制服は)3割増しでかっこいい」との事である。

 どうなんだろう?? 
 先日発表された今年の大学生就職率が80%少しに留まっている現在、「制服」がある企業に就職でき、それを着用することだけでも若年層にとってとりあえず“ハッピー”なのだろうか??

 若者世代には少し発想を変えて欲しい思いだ。
 「セーラー服などとっとと脱ぎ捨てて」本気でこの世に飛び立たねば、自分が欲する仕事になど巡り会えないのではなかろうか??

 先進国の企業組織において「制服」を強制化している国とは、(上記で示した特殊作業を行う職種を除外すると)この日本だけではあるまいか?
 「制服」が自分のプライドを保ってくれる時代など当の昔に過ぎ去っている。 それを重々認識し、若き世代には自分の意思と能力で社会へ自由に飛び立って欲しいものだ。