原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

先祖の供養より遺族の介護が先決問題

2012年03月21日 | 時事論評
 昨日(3月20日)春分の日の彼岸中日に際し、私は久しぶりに嫁ぎ先の墓参りに参上する事と相成った。


 いきなり私事で恐縮だが、我が嫁ぎ先一族の「お墓」の今後のあり方に関して、5年程前に義父が死去して後、義母と義姉の間で壮絶とも言える見解の食い違いが発生した。

 そもそも原左都子の嫁ぎ先の発祥地とは“お江戸日本橋”近辺の地であり、以後ずっと東京をその生活基盤としている。
 それにもかかわらず、先々代(もっと先代の時代かもしれない)の先祖が伊豆の伊東に別荘を建て、現在の伊東駅の近辺に位置する寺を菩提寺にしたことに我が嫁ぎ先の「お墓」の話が遡る。
 
 義父がまだ存命だった頃、この私も二度程義父母と共に家族旅行がてらに静岡県伊東市に位置するその菩提寺を訪れたことがある。 伊豆の海を展望できる高台にある墓地は、海からの潮風が心地よく届く景観の良い立地にあった。
 当時身内との婚姻後年月がまだまだ浅い私としては、(こんな絶好の観光地に菩提寺があるならば、今後年に2度のお彼岸には墓参りがてらに家族旅行が出来てラッキー!)などと、軽薄な発想をするのが関の山だったものだ……

 その後年月が流れ義父の死去後、身内一族で菩提寺のあり方に関する議論が白熱することとなる。
 特に(身内で実質的に一番の権力を誇る)義姉が提案するには、「伊東という遠隔地に菩提寺がある事により発生する無駄な消費金額が多過ぎる。 今時、先祖の供養に余分な多額の出費をする時代ではない。 早急に伊東の墓を撤退するべきだ!」
 一族にとっては部外者である“嫁”の立場の私としては、この件に関して一切の発言を慎むべきとまず判断した。
 それにしても義姉の提案に目を覚ませてもらえた気もした。 ある意味で義姉がおっしゃる通りである。 伊東の菩提寺に存立する墓への出費は寺からの“強制的お布施”等々が年額にして100万円を超える額だったようだ。 これが一旦葬儀ともなると、もっと多額の一時金を寺がぼってくるらしいのだ…
 (ちょっと、政府の宗教法人対策はどうなっているの??  こんな冒涜ぶりを野放図に放置しておいて許されるの?と言いたくなるようなその“お布施”の多額の実態であるぞ。)

 それでも義母の見解にも耳を傾けねばならぬ、いわば第三者的立場の嫁の私である。
 義母曰く、「私は自分が小さい頃から慈しんできた伊東の墓に死後入りたいし、そう思って後々の“お布施”も後世のために溜め込んでいる。 私が死んだ後はお墓をどう処分してもいいが、少なくとも私のお骨は一旦伊東の墓に納めて欲しい…」 (その義母の気持ちも重々分かるのが辛い……

 結果としては、今後何年生き延びるかもしれぬ義母及びそれに付随して発生する多額の“お布施”総額を考慮して、義姉が最終決断を下した!
 その決断とは、やはり伊東の墓は撤退して身内一族の墓を東京都内に即刻移転することだった。
 そしてこの度「集団墓地」と成り下がったものの、都心の義母の住まいのすぐ近くにその移転が叶ったのである…。


 昨日の春分の日に、義母のお誘いによりその「集団墓地」に初めて墓参りした我が一家である。
 墓地自体は「集団お骨格納形式」ではあるものの、とにかく義母が日々歩いて通える場所を選択してくれた義姉のせめてもの粋な計らいに、部外者の私として感謝したい思いであった。


 さて、この話はこれで終わらない。

 もう既に他界した義父を始めとする他の先代先祖に対しては、遺族とは墓前で献花し線香を燃やし手を合わせて少々の涙でも流しつつ拝めば、それで済ませられるから気楽なものとも判断できよう。

 一方、年老いて生きている遺族(すなわち義母)の対策とは如何にあるべきなのか?
 それを我が身として痛感させられたのが、昨日の墓参りであった。

 と言うのは、義母がしばらく会わないうちに急激に老いぼれて、今や歩行が困難状態にまで落ちぶれていたのだ…
 2ヶ月に一度程の会合を持っている我が家と義母だが、いつも義母が招待してくれる食事処で座って飲み食いする会合を重ね、その後も義母はタクシーを利用して帰宅していたため、不覚にもその足の衰えにほとんど気付かないでいた…。
 義母ご自身はよく電話にて「そろそろケアつき老人施設に入った方がいいかも」と我々一家に訴えていたのに対し、「そんなに急ぐ必要はないですよ」などと適当に返していた私なのだが、昨日一緒に墓参りをしてそうは言っていられない事態に直面させられ驚いた始末だ。
 墓地へ行くに当たり義母の自宅近くの駅で待ち合わせをして、JR山手線の電車に乗るその階段の手すりに身を委ね一歩一歩昇る義母…。 咄嗟にその片腕に手を沿えた私であるが、その手が墓地に到着するまで危なっかしくて離せやしないのだ…。 すなわち義母は、公道を一人で歩行することすら困難状態であったのだ。
 こんな身で日常生活を一通りこなすのは到底無理と判断した私は、今後の対策をそろそろ練るべき旨を勇気を持って義母に直言した。
 今までなら、「何言ってるの!私はまだ一人で生きていける!」と反論するはずだった義母が、「もう本気でケアつき老人施設へ入居したい」と改めて訴えてくる。
 こうなるともう潮時なのかもしれない。
 我が娘が4月に大学に入学したら、早速義母のケア施設見学等に付き添うことになり、私の身にもいよいよ老人介護対応の課題が直撃することになりそうだ。


 先祖の墓のあり方など“待った”をかけられる余裕期間が長いし二の次でよいと思うがが、親族の老人介護対応とは今後の命の短小さを慮った場合、“待った”がかけられない程切羽詰まっているのが現実ではなかろうか?

 「介護制度」の導入により、自宅で老人の介護をする人は減少しているのかもしれない。  それでも我が実親も含めて身近に存在している体の不自由な老人が、出来る限り幸せな老後を送って欲しい思いには変わりない。
 年老いた親の介護を自宅で親族が引き受けるのが一番の幸せとの、ある意味で次世代にとって“脅迫的親孝行押付け道義”も今となっては過去の所産であろう。  そんな時代背景を勘案しつつ、我が親族老人達の今後一番の幸せを願いつつ、生きる場や方策を共に模索したいものである。