原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

職業に於ける「肩書」の意味合いを問う

2012年03月15日 | 仕事・就職
 (写真は、朝日新聞3月10日別刷「be」に掲載された 山科けいすけ氏による漫画 「らいふいずびうちふる」より転載させていだたいたもの)

 いつもならが不鮮明な写真を掲載して恐縮である。


 早速、朝日新聞に掲載された上記山科けいすけ氏による「らいふいずびうちふる」の漫画の内容を以下に改めて紹介しよう。
 息子曰く   「お父さん“自称占い師”って言うけど、自称じゃない占い師っているの?」
 応えて父曰く   「ん? そりゃあ、協会とか団体に所属しているとか…」
 それに息子が応じるに   「じゃあフリーの占い師はみんな自称なの?」
 父は困惑しつつ   「いや… お客がついて料金をもらって、それで生活してればプロだってことだから…」
 さらに息子が迫って曰く   「他に仕事やってたらダメなの? どこから“自他共に許す占い師”になるの?」
 その会話のやり取りを聞いていた街頭の占い師曰く   「占いが目的じゃない人はあっち行って!!」  「最近、あーいうのが多くて困るな……」


 この山科けいすけ氏の漫画を、朝日新聞紙上で拝見するのを毎週楽しみにしている原左都子だ。
 現代の社会病理とも言える(一種くだらないとも表現できそうな)諸現象を、山科氏が漫画という描写技術を通すことにより、やんわりコミカルに風刺されているところが実に素晴らしい。 

 今回山科氏が漫画の中で掲げたテーマである“自称占い師”に関して論評するならば、占い師とは“自称”以外にあり得ない職業分野であろうと原左都子も捉える。

 私も子どもの頃(高校生位の思春期まで)は、“星座占い”や“血液型占い”等に多少の興味があった。 周囲の友達が「今日は恋愛運がいい」だの、やれ「私はB型だからちょっと自分勝手なところがあるかな?」等々と面白おかしく騒ぐのに同調出来る時代が私にもあった。
 その後医学関係の分野に進み、例えば血液型に関して科学的に理解可能となった後は、その種の占いを好む人との会話とは、あくまでも人間関係円滑化の“会話術”の一種と自然と心得るようになり、そのように対応してきた。

 現在に至っても朝パソコンを立ち上げると、インターネット初期画面で「星座占い」を一応チェックするミーハーな私である。 こんな事を書くと原左都子も結局“単細胞”であることがバレバレだが、“星座占い”でいい事が書かれているとその気になって一時ウキウキ気分にさせてもらえるのだ! 
 反面、マイナーな占いを目にした時には “ちょっと待てよ、私に限ってそんな訳ないよ!” と占い師に反発しつつも直ぐに忘れ去れる身勝手な性格でもある。
 さらには「今日は異性から愛の告白を受けるでしょう」などとのあり得もしない占いを目にした場合、一瞬困惑させられるものの 「私が尊敬申し上げる男性の誰かからメールでも届くのかな~?」と我が身息災に解釈する事にしている。

 それにしても、繰り返すが「占い師」なる職業とは、大変失礼ながら“自称”以外にあり得ない分野に位置することは間違いない事実であろう。
 山科氏の漫画の中に登場する父親がおっしゃる通り、顧客がつき労働対価が得られ、それで「占い師」と自称する人物の生活が成り立っているのであれば、それは「プロ」として認められてもよいと言うことにはなろうか?
 そのように考察すると、私が日々インターネット画面で検索している“星座占い”の「占い師」とは、ネット検索数が収入の一部に直結しているとの事実なのだろうか??

 それを承知した上で「占い師」と名乗る皆さんに提言したいのだが、「占い師」の使命とは庶民に日々の活力を“一瞬”のみでも与えてくれる事、ただそれだけで十分ではなかろうか。 星座や血液型等々占いの分野の如何にかかわらず、「占い師」の“お告げ”を見聞した顧客が“一瞬”でも活気付けるような提言をする事こそが、今現在混乱した世の中において「占い師」と名乗るべく職業の使命を果せるという話であろう。


 現実問題として今の時代、“自称”“他称”にかかわらず一見しただけで「訳が分からない」職業が満ち溢れている。

 近年知人より頂戴した名刺より“訳の分からない”職種をここで列挙すると、「○○プロデューサー」「○○コーディネーター」「○○プランナー」「○○スペシャリスト」「○○エンジニアー」「○○クリエーター」「○○ソムリエ」……  このような外来語が溢れている職業社会の現状である。
 いえ、もちろん名刺のご本人と既に十分接点がある場合は、その職業で如何なる活躍をされているのかはある程度把握出来る。  そうではなく、初対面でこの種の名刺を差し出された場合には、誰とて困惑し「何をされているのですか?」と問い質したくなるのが実情ではなかろうか?
 これが“自称”なのか、あるいは上記山科氏の漫画のごとく「協会とか団体に所属して」その名称を使用しているのか一切不明である。  もしかして、その種の資格名を、名も無き民間団体による資格試験受験合格の後にご自身の“肩書”として使用しているのかもしれない。

 現在の日本に於いては無数の資格取得団体が存在し、それら団体が営利目的で市民にその資格取得を煽っている現状である。
 これら“資格取得の流行”に関してどれ程国政が関与しているのかは不明だが、その多くは政府とその天下り団体や民間団体との癒着により、“ろくでもない資格”取得を国民に煽り、多額の収益を得ている現状ではなかろうか。
 それが証拠に、我が子が中学校入学以来幾度も所属中高から受験を奨励された「日本漢字能力検定協会」も、過去に於いてその暴利の実態を叩かれた有様であることは皆さんも記憶に新しいであろう。  このような資格関連において暴利をむさぼる団体の存在を、政府はその癒着により他にも数多く容認している恐れを、我々国民は是非共危惧せねばならない。


 資格や肩書きを得たからと言って、易々とこの世に生き延びれるはずもないことを市民は肝に銘じるべきである。
 自分の職種の協会や団体に所属したならば、即我が身の今後が保障されるなどあるべくもない。

 ここはやはり自称であれ他称であれ「肩書」に囚われることなく、自分が目指す分野の専門力を日々高めつつ、世や顧客が何を欲しているのかを見定めながら各人が精進を続けるしかこの世を行き抜けるすべはないのではなかろうか。