原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ディズニーリゾートに見る若者の“似非”同調志向

2011年02月03日 | 時事論評
 (写真は、原左都子が昨日訪れた 東京ディズニーシー にて撮影したコロンビア号)


 昨日(2月2日)、私は“千葉県”にある 東京ディズニーシー を訪れた。
 いい年をした大人がこんな寒い時期に、一体全体何が目的で“子供が喜ぶ”リゾート施設なんぞへ行ったのだろうかと不思議に思われる読者の方も多いことであろう。

 一昨日の2月1日から東京都内の私立中学の受験が一斉に実施されている。 その煽りで、毎年この時期は我が娘が通う私立中高も全校2連休とならざるを得ないのだ。
 我が娘は決して“ディズニー分野”に興味がある部類ではないのだが “ものは試し” ということで、一度ディズニーリゾートをこの空いている時期に視察しておこうかと言う話になったのである。


 参考のため、ここで原左都子の 東京ディズニー歴 を少し振り返ってみることにしよう。

 東京ディズニーランドが“千葉県”にオープンしたのは1983年の事である。 その頃の私は既に30代手前で、世間から“売れ残り”と後ろ指を指される年代であった。
 オープン当初は、特に首都圏近辺の国民の間ではまるで歴史的出来事かのような大騒ぎだったものだ。
 当時まだ独身だった私も(彼氏を取っかえひっかえしつつ)、カップルで何度かディズニーランドを訪れている。 その頃の印象では顧客層は千差万別であり、特に顧客の年齢層やグループ構成に偏りはなかったような記憶がある。 そしてまだまだ若かりし原左都子は、テーマアトラクションにもよるがそれなりに感激し楽しめたものである。

 その後私が東京ディズニーランドを訪れるのは、我が子を産んだ1990年代半ば頃からの事となる。 その後娘が小学校高学年頃まで親として現地に何度か同行したものだ。 この時代は母である私はあくまで引率者の立場であり、自分が楽しむと言うよりも我が子が好みのアトラクションやショップに付き合ったという感覚である。
 この頃からディズニーリゾートでは、アジア系の観光客が急増しつつあったであろうか?

 そして昨日、何年ぶりかに“ディズニーシー”へは 初めて 母娘で訪れたといういきさつである。


 昨日は東京都内の私立中学受験の煽りか、“ディズニーシー”の顧客層に明らかに偏りがあったと考察できる。
 それが顕著化するのが各アトラクションの待ち時間なのであるが、あの“順番待ち”の列の場とは原左都子にとっては得意の「人間観察」のまたとはないチャンスである。 ところが昨日の場合、周囲の顧客層が上記のごとく(おそらく)私立中高生徒グループばかりなのだ。 「観察」などせずとて“かしましい”年頃の言動が狭い列の間で煩いばかりである…。

 皆が皆、ディズニーキャラのカチューシャやリボン、帽子を頭に被り、手にはその種のぬいぐるみ等を抱いている。 これが女の子の場合はまだしも許される思いの原左都子であるのだが、男子までもが(皆さん、中高生の年齢の男子ですよ!)同じようにディズニーキャラの帽子を被ったりしてはしゃいでいるのだ…  
 (これぞ、男子草食化のはしりか!) などと嘆いている場合ではない。

 さらに、この若年層グループがくっちゃべる会話のその内容とは呆れるばかりにアホらしくて聞いてられないのだ。  何と表現すればいいのだろう、要するに世間の主婦連中の井戸端会議の範疇を抜け出ていないのである。 もちろん、ここはリゾートの場である。こんな所で自分達が抱えている現実課題について語る訳もないであろうし、「今皆で楽しんでいるんだ!」という“場を読む”感覚は重要であろう。
 ただ、原左都子は聞き逃していない。 一見してこの中高生グループは皆仲が良さそうに見えるのだが、会話の中に「えーと? ○○さんは何処に住んでいるんだっけ?」等の会話も交錯するのである。 と言う事は、おそらくこれら若年者グループは“にわか仕立て”のグループであるとも推測できるのだ。(あるいは、この若年層が個人情報に配慮しているのか??
 そうだとすると、この若年層グループがこの場で会話の内容にある程度以上踏み込めない事も理解できるというものだ。 (ただし、順番待ちの狭い列という場をわきまえず集合写真を撮ったり大声ではしゃいで列を乱している様子も合わせて考察すると、彼らが決して周囲の顧客に配慮して会話内容を深くまで踏み込まないよう調整しているというのではなく、ただ単にグループが“にわか仕立て”であるが故なのであろう。)

 加えて興味深いのは、そんな若年層がリゾートの係員の指示には従順だと言う事である。
 例えばあるアトラクションで集団で船に乗った時、係員が「はい、皆さん、チャオと言いましょう!」と声高々に指示すれば、若年層の皆がそれに従うのである。 (いえいえ、もちろん客観力のある原左都子も“場を乱さない”ために一緒にそう叫びましたよ!) そして、やたらと「楽しいね!」「面白いね!」を皆が連発してノリノリであることを集団内で合意し合っているようにも見受けられるのだ。
 だた、これに関しても私は表題に掲げた通り若者のその言動が「“似非”同調志向」の範疇を出ていないと考察して後味が悪いのである。 年齢を重ねた私がリゾートの地で客観力を持って周囲に同調する分には何ら不思議はないのだが、もしもうら若き中高生が自分の居場所を失わないために、ここはリゾート地だと割り切って演技で同調しているのだとすれば、それは若者のストレスを倍増させるのみである。


 私事になるが、私は高校教員経験がある。 20年程前に私が高校教員をしていた頃の子供達(あくまでも生徒の中の一部に過ぎないであろうが)は、大人の私に向かって心の葛藤の本音を大いにぶつけてくれた感覚がある。
 今の中高生はどうなのだろう? 
 少なくとも我が子は(持って生まれた事情も多少はあろうが)学校の教職員相手に自分の本音をぶつけるようなことは決してない様子だ。
 もしも子供達が日々通う学校が、教員にとって一見都合のよい子供のみを“いい子”として歓迎しているとするならば、その他多くの子供達のストレスの発散先は何処に行き着くのか??

 それはもちろん家庭であるべきだが、その家庭にさえ居場所がない“いい子”とはストレスの発散先を“にわか仕立て仲間”との「“似非”同調性」に求めているのかとも捉えられるのだ。
 
 そんな子供たちの“心の逃げ場所”を提供している一つの場が子供たちが集結し易い民間のリゾート地であるとするならば、国内一の集客力を誇る「東京ディズニーリゾート」が今後子供の教育分野において果す役割も甚大であるとも考察できるのである。
   
 
 この長引く不況の時代にもかかわらず「東京ディズニーリゾート」は不況知らずの盛況ぶりだ。
 既に年老いている原左都子にとっては、昨日訪ねた“ディズニーシー”は子供達が同調し合うほど楽しくも面白くもなく、それ程の魅力を感じるコストパフォーマンスを見出せなかったと言うのが、残念ではあるが今回の率直な感想である。
 (あの子達も家に帰り着いて一人になった途端、カチューシャをゴミ箱に放り捨てて 「あ~~、今日もつまんなかった…」 とつぶやいている姿を連想するのは私だけであろうか??)

 それでも今に至って尚活況を続ける「東京ディズニーリゾート」が、将来に夢を抱く子供達に何らかの影響力を及ぼす場であるとするならば、その“社会的責任”を背負うリゾート団体としての使命を重々自覚しつつ今後発展して欲しい思いでもある。
        
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