原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

酒の適量と周囲への迷惑度との相関関係

2011年02月19日 | 
 先だって我が一人娘が高校の修学旅行でフランスに旅立ち、束の間の“独身”を謳歌する原左都子である。
 昨日も昼間、とあるコンサート(また機会があれば「原左都子エッセイ集」で紹介しましょう。)に出かけた帰りに、夜一人でイタリアンレストランに立ち寄った。

 (余談になるが、こういうシチュエーションの場合何十年も連れ添っているご夫婦は滅多にない2人だけの時間を大事に共有するのだろうか??  一方見合いで晩婚に至った我が夫婦の場合は、当初よりお互いのライフスタイルを尊重し合っていることに関しては「原左都子エッセイ集」バックナンバーでも再三既述している。)
 今回の一人娘“外遊”の間のお互いの行動に関しても、 私曰く「夜多少帰りが遅くなってもいいよね?」 亭主応えて「どうそ。どうぞ。」 との快諾を得ている原左都子なのだ。
 (それ程に普段より原左都子に対する亭主からの信頼が厚いという訳なのよ!?! いや、ほんと!!)

 という訳で、私は昨夜コンサート帰りに“お一人様”の身分で某イタリアンレストランへ夕餉を楽しみに行ったのである。
 原左都子程の年齢になると、外部の食事処で“お一人様ランチ”を食する程度に関してはもう“お手の物”である。  それでも、ことディナーとなると(飲兵衛であるから当然ながらお酒を嗜みたい私であるため)、女一人であるが故の多少の躊躇感は否めないのが実情である。 今回はその種の躊躇感を抱かなくて済むとの知人から得た情報を元に、このレストランを訪ねたのだ。
 ところが、お酒を注文するに当たってやはり“躊躇”した私である。
 お酒は「シャルドネ種スパークリングワイン」と自分の好みで即決!したのだが、これをフルボトルで頼むかあるいはハーフボトルにするか大いに迷ったのだ。 (飲兵衛の原左都子にとってはフルボトル1本でも足りないアルコール量なのだが、女一人であることが周囲に見え見えの立場でフルボトルを注文したら、きっと目立つよな~~。 かと言ってハーフボトルを何本もお替りするのももっと目立つし……) 
 と言うのも、持ち前の客観力で周囲を見渡すと、同年代の女性客達が“しらふ”で料理のみを注文して“喋り力”のみで長時間居座っているようなのだ。
 その様相を観察して、結局ハーフボトルわずか一本のみでそそくさとその場を退散した私である。

 
 要するに、酒の適量とはTPOに応じてわきまるべき事を“我が意に反して”再確認させられたという訳だ。
 そうしたところ本日(2月19日)付朝日新聞「悩みのるつぼ」においてタイムリーに、「酒の適量が分かりません」と嘆く30代既婚女性の相談を発見した。

 その相談によると、会社員である30代既婚女性はご亭主の理解も得つつ普段友人等と酒の会合を楽しんでいる様子である。 そんな恵まれた身分であるようだが、時折記憶を失う程に飲み過ぎるらしいのだ。 現在のところ、それで今の生活を失う事はないようなのだが、いつか取り返しのつかない大失態を演じそうで怖いから故に、「酒の適量」を知りたいとの相談内容である。

 
 ここで私事に入って恐縮だが、生まれ持っての飲兵衛体質の原左都子など長い独身時代には余りある酒の醜態を周囲に晒して来ている。 
 それらのすべてが自己責任の範囲内だという事を私は当時から十分自覚出来ている故に、その醜態をきっかけとして友や恋人を失う事になろうとて、あくまでも自分自身で解決してきたものである。(そんな私に対して皆さん好意的に対応してくれ、結果として真に大事な友は失わずに済んだものだ。)
 今回、車谷長吉氏が回答欄で述べておられるような、警察官等の第三者にお世話になったアクシデント(新宿歌舞伎町で朝方補導されかかったことがある)に関しても原左都子はバックナンバーで述べている。 既に成年に達している私にとってはまさに“自己責任の範疇”であり、自分で対処すれば片付く程度の失態だったと振り返る。

 とにかく酒に酔っ払った挙句の“過ち”を酒から覚めた後に自分で善処できてこそ、末永く「飲兵衛」として生き延びられることであろう。
 (もちろん、飲酒の沙汰が飲酒運転等人命を奪うごとくの法に激しく反する罪深い事象を避けられないならば、当然直に飲酒人生を更生するべきであるが。)


 ただ、今回の“悩みのるつぼ”相談者と同じく底なし飲兵衛である原左都子も、酒による大きな“過ち”をしでかす前に、自分自身の酒の適量を把握しておきたいとの気持ちは分かる。
 自分らしく酒を楽しめて周囲に迷惑をかけない酒の量ぐらいは、飲兵衛個々人が把握できているべきなのである。 おそらく真正飲兵衛の方々とは家庭においては愛飲するお酒が決まっていることであろう。その純アルコール量を正確に計算して、その量を超過しない酒量を測りつつアルコールを楽しめばよいのだ。
 
 ところが、外部の飲み処でこれを実行するのは多少の困難が伴うのが事実である。
 一緒に飲む相手やその目的、飲む酒の種類、そして場の雰囲気により大いに飲む量が左右されるのが飲兵衛の宿命である。 それでも、私の場合は自分が摂取する純アルコール量をある程度計算しつつ、周囲に流されず自主的にお酒を注文するのだけどね。 そしてアルコール純量が計算できなくなった時点で既に飲み過ぎだからもう止めようね。

 「原左都子エッセイ集」において、「嫌な飲み会は行かぬが一番!」なるバックナンバーも披露しているが、職業人の立場としては仕事上の飲み会を回避できない等々、好まない飲み会に出席せねばならない時もあることは心得ている。
 事実上記のごとく、私の年齢にして外部の飲み処で一人で飲む場合にすら周囲をはばからねばならぬ場合もあるし…。


 それでも、飲兵衛にして自分が気持ちよく飲める量をある程度把握出来ていて尚、周囲にはばかれる客観性を持ち合わせているのであれば、きっと何処の飲み会においても「酒の適量が分からない」と嘆く事もなければ、記憶を失うまでに深酒してしまうこともないと思うのだけど……

 それにしてもこの朝日新聞「悩みのるつぼ」の相談女性は、今現在は酒に理解のある亭主に恵まれている身であるからむしろ、30代にして自らの“飲兵衛気質”に苦悩しているのかとも捉えられる相談と推測する。 
 やはり酒とは人間関係において災いをもたらし易い厄介物であり、30代相談女性がこのまま“記憶を失う”程の大酒を浴び続けた場合、果たしてご亭主と長続きするのだろうかと、(自分を棚に上げて)要らぬお節介をする原左都子である…        
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