原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「赤プリ」 の落日

2010年04月29日 | 時事論評
 一昨年のリーマンショック以来、我が国の経済界においても大手企業や老舗デパート等が経営難にあえぐ姿の報道を見聞することが日々珍しくもない現実である。
 その種の報道に日々接している国民の一人である原左都子も、このニュースには驚かされた。
  
 大都会東京の一等地赤坂紀尾井町に煌びやかな存在を誇っていたあの 「赤プリ」 が、来年3月末に閉館するのだという。


 「赤プリ」こと、赤坂プリンスホテル(2007年4月より「グランドプリンスホテル赤坂」に改名)がバブル時代にトレンディスポットとして脚光を浴びたのは、1983年に建築家 丹下健三氏設計による40階建ての超高層新館が誕生して以降のことである。

 当時、まさに花の独身貴族真っ盛りだった私もこの「赤プリ」には何度か訪れている。

 私が「赤プリ」を一番最初に訪れたのは、新館誕生後間もない1984年のことである。
 当時、医学(免疫学)の仕事に従事していた私は、「赤プリ」の直ぐ近くに位置する 日本都市センター に於いて開催された「日本臨床免疫学会総会」に出席した。 その際の昼食、夕食、休憩場所として「赤プリ」を利用したのが事の始めだった。 丹下健三氏の設計による新館のゆったりとした寛ぎの空間に一歩足を踏み入れ、広々とした大理石のロビーに置かれている椅子に腰掛けただけでも心が癒される思いだったものである。

 その後、我がデートスポットとして、新館最上階の(紫が基調色だったような記憶がある)バー「トップオブアカサカ」や、別館旧館のバー「ナポレオン」や仏蘭西料理レストラン「トリアノン」も何度か利用している。

 当時の若かりし私としては丹下健三氏設計による煌びやかな新館が断然好みだったのだが、“通”にとっては旧館こそが「赤坂プリンスホテル」の真骨頂だと主張する彼氏等の好みに合わせて、旧館にも足を運んだものだ。

 30代後半の独身時代最後の頃に知人と新館の「トップオブアカサカ」を訪れて以降、「赤プリ」とは疎遠となっている。
 数年前に我が子を連れて赤坂近辺の美術館を訪れた際に、「赤プリ」が間近に展望できる食事処で昼食を取った。 その際に “このホテルは昔から「赤プリ」と呼ばれているんだけど、この母にとっては色々と思い出深い場所なのよ…” などと独り言のごとく我が子に語ったのが「赤プリ」とのかかわりの最後である。


 今回の「赤プリ」閉館に関する報道によると、閉館の理由は新館の老朽化であるそうだ。
 老朽化と言えども、新館は1983年の建設だからまだ開館後27年…。 超高層ビルがそれ程に短命であるとは到底思えないのだが、この新館を取り崩す方針とのことは、要するに今後の維持管理のメンテナンスに莫大な資金投入を要するからそれを回避した方が得策との理由によるのであろうか? 
 どうやら都心一等地におけるホテル業界の競争が激化している昨今であるし、「赤プリ」の経営が芳しくない現状を考慮した場合、いっそ取り崩して新たな跡地利用計画を展開しようとの意図のようである。 
 今後は大都会の一等地であることを利用し、新たな高級ホテルやオフィスビル、商業施設などの再開発を目指す、との報道でもある。


 話が変わって、昨日私用で渋谷を訪れた際に 東急bunkamura に立ち寄り、ついでに隣接する 東急デパート本店 でショッピングをした。
 この 東急デパート本店 (ここで実名を挙げて誠に申し訳ないが)が、連休前の夕方の時間帯であるにもかかわらず“閑古鳥”状態なのである。 各フロアーに数えるほどしか顧客がいない。 その顧客の数倍いると思われる店員の“いらっしゃいませ”の声のみが閑散としたフロアーに響き渡っている。 その人件費に加えて、“閑古鳥”であるにもかかわらず空調や照明等の光熱費や立派に飾り立てられたディスプレイ、それらの維持管理に一体如何ほどの経費を要しているのか??   過去において経営学も学んでいる原左都子としてはおちおち買い物している場合ではなく、まずはそろばんをはじきたくなる思いであった。


 今回の「赤プリ」新館の閉館、取り崩しの“勇断”は、その辺の今後の経営収支を見越した結果であることには間違いない。

 ただし、当然ながら問題点は大いに残る。

 まず、建設に膨大な費用がかかったであろう超高層ビルを築27年という短命で取り崩すという決断は、例えば今“流行(はや)り”の「エコ」観点から如何なる影響が出るのであろう? 
 あるいは、(あくまでも一時代においてではあろうが)都会に住む人々のトレンディブームを創り上げたその文化的貢献に対して、それを解体して無にすることによる何らかの喪失観が一企業として一切ないのであろうか?

 今回の「赤プリ」閉館は、この不況下においてまだ経営基盤に多少の余裕のある(?)一大手巨大企業グループの社命にかけた“勇断”であるのかもしれない。 
 たとえそうだとしても、今後の末長い未来に渡って経済社会の一員としての存在を持続したいのであれば、その収支バランスの判断においてもよりグローバルな観点から今後の世の動向を見極めることこそが真の企業の存続に繋がるのではないかと、原左都子は今回の「赤プリ」の閉館、取り崩しに直面して考察するのである。 
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