原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

男に翻弄される人生の行く末

2010年04月03日 | 恋愛・男女関係
 今の世の中には、結婚相手の選択に当たって複数の対象者を量りにかけて、「ど・れ・に・し・よ・う・か・な ?」 と商品を選ぶがごとくの感覚で決めようとする人種も存在するようだ。


 2週間前の朝日新聞の記事になるが、3月20日(土)別刷「be」の“悩みのるつぼ”の相談は、45歳バツイチ女性による 「再婚するならA、Bどっち?」 であった。
 早速この相談を以下に要約して紹介しよう。

 現在付き合っている彼が2人いてどちらかと結婚したいが、選ぶことができないでいる。 2人をA、Bとすると、メーンはA。 Bは元彼で私にAという存在の男がいることを承知の上で付き合ってくれている。 Aは頼りがいがあり仕事上でも尊敬されていて結婚相手としては申し分ないが、肝心な「好き」という気持ちが少ない。少しEDの気もあり抱かれたいという気持ちがあまり持てず時々しか関係を持たない。 逆にBは五つ年下で夫にするには不安な面が多々あるが、とにかく「好き」で、会いたい、抱かれたい相手である。 来年、私の息子が結婚するのを機に結婚して新たな人生を歩み出したいのだが、肝心の相手が決められないでいる。無いものねだりだろうか?  結婚せずに二股でダラダラ付き合っていくつもりはなくキチンとしたい。 こんなわがままな私は2人共別れて1人になって考えた方がいいのか?


 私論に入ろう。

 相談の文面の中の “結婚せずに二股でダラダラ付き合っていくつもりはなくキチンとしたい” のくだりが大いに気にかかる原左都子である。

 この辺の自身の心理に関して相談者ご本人は「我がまま」と自己評価しておられるようだが、私がこの相談を読む限り、「我がまま」と言うよりは失礼ながら 「軽薄」 「思慮不足」 と表現した方が正しいのではないかとの感想を抱く。
 相談女性が再婚願望が強いことは相談から重々理解できるが、この女性の再婚の“目的”が何処にあるのかが把握し難い。  経済的安定であるのか?  「抱かれる」すなわち“SEX”の保障を日々得たいのか?  あるいは息子が結婚して独り身になる“寂しさ”を再婚により紛らそうとしているのか? 
 ご本人がおっしゃるところの “キチンとしたい” とは、一体全体何を持って“キチンとする”べく整合性を取ろうとの思想をお持ちなのだろうか。 もしや「結婚」という結論 イコール “キチンとする”ことなどとの図式を描いているとするならば、この世を45年も生きて来ている人間が導いた結論だとは到底信じ難いのだが…

 こういう相談を目にさせられると、再婚選択者が再婚を何度も繰り返す傾向にあるという定説が理解できる気もする。 
 そこには「結婚」に対する確固としたポリシーが微塵も感じ取れないのだ。 自己中心的な観点から、法的に手厚く保護される「結婚」というバックアップによって“キチンと”できるがごとく自身を正当化しようとしているに他ならない。  その再婚に巻き込まれる当事者である結婚相手や息子さん等、周囲への責任や配慮や自分を取り巻く諸環境への客観視がまるで抜け去っているのだ。


 そこまで厳しい考察をして尚、原左都子はこの相談者が男に関して自己中心的であっていいとも思える。 
 ただし相談者が今後も自己中心を貫くためには、新聞の相談コーナーに投稿して見識者の回答を仰ごうとする以前に、息子さんが結婚により旅立った後の自身の独り身における人生設計を、今一度冷静に手探りする作業を行ってみる事が先決問題であろう。 「再婚」願望にがんじがらめにならずに、とりあえずは息子さん不在の後にご自身が目指すべく未来を見つめ直してみると、自ずと結論が導き出されてくるのかもしれない。
 息子さん自立の後に何年間か母としての“喪失感”を身に滲みて経験した後に、少し時間をかけてご自身の「再婚」の本心を再考しても少しも遅くはないし、よりよい結論が導かれるのではなかろうか。

 もしも“そんな後まで再婚を待てない”と相談者がおっしゃるとするならば、相談者の「再婚」の意図とは、単に自身の“寂しさ”を紛らす目的だとの結論が自ずと導かれて来る。
 要するに相談者は自分が付き合っているA氏、B氏の特徴を相談において上げ連ねたにもかかわらず、本人も認識していない深層心理の真意とは、自己の心と体の“寂しさ”解消目的故の「再婚」の魂胆であったという結論に達しそうである。
 そう考察した上で相談の回答を導くならば、結局再婚相手はA氏でもB氏でも他の誰氏でもいいという結論に達するのではなかろうか。

 今回の“悩みのるつぼ”の回答者でいらっしゃる評論家の岡田斗司夫氏も述べておられるが、この相談女性にとっての今後の再婚のキーポイントは、母として今まで心身共に心の支えであった息子さんの自立による“喪失感”であろうことは、原左都子も同感である。


 ただし岡田氏の回答と私論が大いに食い違うところは、45歳とは高齢であるから今後“モテぢから”が減るとの回答部分である。
 岡田氏の論理によると、この相談女性は既に45歳であるが故にもう今までのようには男にモテないだろうから、今後は男性以外からも幸せをもらえるように自分で幸せを見つけるべきだとあるのだが、 岡田さん、この発言は高齢女性に対する大いなる認識不足であり侮辱ではないですか~~?

 私論は、この相談女性が「結婚」という法的形態を選択するか否かの如何にかかわらず今後も男性に翻弄されつつ生きたいのであれば、それは本人の勝手ではないかと考察する。(ただし上記の私論の通り、あくまでも自己責任の範疇の下でご自由にどうぞとの話であるが。)

 45歳なんて、まだまだ“女盛り”である。
 岡田氏はどうやら若い世代の評論家先生とお見受けするが、高齢者女性は男女関係においてもう先が無いがごとくの回答をメジャー新聞で平然と公表することで、女性が年老いて尚“女”として男とかかわる事をナンセンスとするような歪んだ認識は撤回して欲しい思いである。
 (高齢女性の“女”としての存在要素を否定する男など、ご自身の来たるべく老後において女に捨て去られる運命にあることをここで警告しておきましょうかね!) 
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