若かりし頃より物欲がさほどない方であると自己分析している私には、物品の宝物など何一つないのであるが、そんな私にも我が生涯に渡り保存し続けたい大切な宝物がある。
それは、30歳代に再び学んだ大学及び大学院の授業で自らとった「講義ノート」である。
6年間の私の学問三昧の集大成であるその「講義ノート」の総量は、B5のルーズリーフに約3500枚、表裏のページ数にして7000頁を超える。文字数に換算すると500万字をはるかに超えるのであろうか。
(参考のため、「原左都子エッセイ集」は現時点で記事本数300本を超えているが、一記事文字数の平均を2000字として計算すると総文字数が約60万。コメント返答も加えると倍数の120万。 とにもかくにも文字を綴る事を億劫としない我が習性を再認識である。)
以前、本好きな友人が我が家にやって来た時、私の書棚の一段を占領している(背表紙に見出しをつけないまま保存してある)「講義ノート」のファイルの一群を発見するなり、その友人が私に尋ねるのだ。
「この“膨大な資料”は一体何??」
「ああ、それ、私の大学と大学院の講義ノートなのよ。」
驚きつつページをめくる友人が、「これ、何かに活用できるかもしれないね!」と言ってくれる。
友人に指摘されずとて、実は私はこの「講義ノート」を既に様々な場面で活用してきている。
その内情を明かすと、まずはこの「原左都子エッセイ集」である。 本ブログの“左都子の市民講座”カテゴリー記事のほぼすべては我が「講義ノート」からの引用であるし、また“学問・研究”カテゴリーの記事の多くもこの「講義ノート」より引用している。 その他、外部組織に学術的な投書・投稿をする際や、子どもの学校の自由研究等の宿題を手伝う際にも、我が「講義ノート」を紐解くことは多い。(自分が記した“文献”を公開文書に引用する場合、“著作権侵害”にまで思いを馳せずに済むためその監修作業も至って楽である。もちろん、その中に他者の著述が混ざっている場合は、必ず“参考文献”として追記することは心得ているのであるが。)
我が30歳代の学生時代に話を遡ると、私の授業の“聞き取り書き”の風景は学内でも有名だったようだ。 当人である私としては、いつも若い学生に配慮して最前列は避け2、3列目のなるべく端の座席に位置し、毎授業の内容をせっせか聞き取り書きしたものである。
そんな私の席へ授業開始前に講師の先生が何度かやってきたことがある。「申し訳ないですが前回どこまで講義したのか確認したいので、ノートを見せて下さい」 それに驚く私が「汚いノートなのですが…」と萎縮していると、「いえいえ、大丈夫です。ありがとうございました」 ……
試験前になると学生がわんさかやって来る。「すみません。ノートをコピーさせて下さい!」 最初はこの要望に快く応えていた私であるが、あまりにもその数が多かったり、貸し出したノートの返還が遅れたりする事態に直面したため、私なりにノートを貸し出す基準を設けたものである。 その基準とは“知り合い限定”である。 この私が設けた基準には、まだうら若く世間知らずの学生達に対する私なりの考えがあった。 ビジネス以外で他人の恩恵に授かりたいのであれば、少なくとも普段よりその人物に“お近づき”になっておく程度の努力はしておいた方が社会に出てからも役に立つのではないか、との私なりの教育的配慮である。
(話の趣旨がずれるが、どういう訳か今の世の中“聞き取り書き”が出来ない人物が量産されているようだ。 これは小中高における「板書」(黒板のノートへの写し書き)の弊害であろうと以前より懸念していた私は、我が高校教員時代の授業において「板書」廃止に踏み切ったのである。 「板書」をする代わりに手間暇かけて授業ごとに自作のプリントを生徒に配布し、そこに生徒の能力を勘案して可能と私が判断する“聞き取り書き”を毎時間の授業において促す等の試行錯誤をしてきている。)
本日の「原左都子エッセイ集」においてこのような記事を書くきっかけとなったのは、朝日新聞6月21日(日)の大学進学特集における一記事を目にしたからである。
「東大合格生のノートはかならず美しい」と題する一女性の記事の内容は、大学に入る“前”の受験生に対して“ノートは目的意識を持って書くよう”示唆している。 ノートをとるにも目的意識を持った方が将来の目標達成につながると、今さらながら主張するその若き女性の思いは、私にも多少理解できる部分があるのだ。
立場を変えて尚さらなのではあるが、今後大学を目指す若者には進学をゲットして“入学した暁にこそ”、大学で7000頁の「講義ノート」を取りたいと思える向学心を失うことなく学問に挑んで欲しいものである。
その学問に対する意欲を学生に教授できる大学が今やどれほど存在するのか、嘆かわしい程に移ろいゆく世の凄まじい廃退ぶりに辟易としつつも、 大学の「講義ノート」を自分の人生の後期に垣間見ても興味深いと感じる程、学問の永遠普遍性とは人間が生き延びる上で大いなる後ろ盾になるものと信じる私である。
それは、30歳代に再び学んだ大学及び大学院の授業で自らとった「講義ノート」である。
6年間の私の学問三昧の集大成であるその「講義ノート」の総量は、B5のルーズリーフに約3500枚、表裏のページ数にして7000頁を超える。文字数に換算すると500万字をはるかに超えるのであろうか。
(参考のため、「原左都子エッセイ集」は現時点で記事本数300本を超えているが、一記事文字数の平均を2000字として計算すると総文字数が約60万。コメント返答も加えると倍数の120万。 とにもかくにも文字を綴る事を億劫としない我が習性を再認識である。)
以前、本好きな友人が我が家にやって来た時、私の書棚の一段を占領している(背表紙に見出しをつけないまま保存してある)「講義ノート」のファイルの一群を発見するなり、その友人が私に尋ねるのだ。
「この“膨大な資料”は一体何??」
「ああ、それ、私の大学と大学院の講義ノートなのよ。」
驚きつつページをめくる友人が、「これ、何かに活用できるかもしれないね!」と言ってくれる。
友人に指摘されずとて、実は私はこの「講義ノート」を既に様々な場面で活用してきている。
その内情を明かすと、まずはこの「原左都子エッセイ集」である。 本ブログの“左都子の市民講座”カテゴリー記事のほぼすべては我が「講義ノート」からの引用であるし、また“学問・研究”カテゴリーの記事の多くもこの「講義ノート」より引用している。 その他、外部組織に学術的な投書・投稿をする際や、子どもの学校の自由研究等の宿題を手伝う際にも、我が「講義ノート」を紐解くことは多い。(自分が記した“文献”を公開文書に引用する場合、“著作権侵害”にまで思いを馳せずに済むためその監修作業も至って楽である。もちろん、その中に他者の著述が混ざっている場合は、必ず“参考文献”として追記することは心得ているのであるが。)
我が30歳代の学生時代に話を遡ると、私の授業の“聞き取り書き”の風景は学内でも有名だったようだ。 当人である私としては、いつも若い学生に配慮して最前列は避け2、3列目のなるべく端の座席に位置し、毎授業の内容をせっせか聞き取り書きしたものである。
そんな私の席へ授業開始前に講師の先生が何度かやってきたことがある。「申し訳ないですが前回どこまで講義したのか確認したいので、ノートを見せて下さい」 それに驚く私が「汚いノートなのですが…」と萎縮していると、「いえいえ、大丈夫です。ありがとうございました」 ……
試験前になると学生がわんさかやって来る。「すみません。ノートをコピーさせて下さい!」 最初はこの要望に快く応えていた私であるが、あまりにもその数が多かったり、貸し出したノートの返還が遅れたりする事態に直面したため、私なりにノートを貸し出す基準を設けたものである。 その基準とは“知り合い限定”である。 この私が設けた基準には、まだうら若く世間知らずの学生達に対する私なりの考えがあった。 ビジネス以外で他人の恩恵に授かりたいのであれば、少なくとも普段よりその人物に“お近づき”になっておく程度の努力はしておいた方が社会に出てからも役に立つのではないか、との私なりの教育的配慮である。
(話の趣旨がずれるが、どういう訳か今の世の中“聞き取り書き”が出来ない人物が量産されているようだ。 これは小中高における「板書」(黒板のノートへの写し書き)の弊害であろうと以前より懸念していた私は、我が高校教員時代の授業において「板書」廃止に踏み切ったのである。 「板書」をする代わりに手間暇かけて授業ごとに自作のプリントを生徒に配布し、そこに生徒の能力を勘案して可能と私が判断する“聞き取り書き”を毎時間の授業において促す等の試行錯誤をしてきている。)
本日の「原左都子エッセイ集」においてこのような記事を書くきっかけとなったのは、朝日新聞6月21日(日)の大学進学特集における一記事を目にしたからである。
「東大合格生のノートはかならず美しい」と題する一女性の記事の内容は、大学に入る“前”の受験生に対して“ノートは目的意識を持って書くよう”示唆している。 ノートをとるにも目的意識を持った方が将来の目標達成につながると、今さらながら主張するその若き女性の思いは、私にも多少理解できる部分があるのだ。
立場を変えて尚さらなのではあるが、今後大学を目指す若者には進学をゲットして“入学した暁にこそ”、大学で7000頁の「講義ノート」を取りたいと思える向学心を失うことなく学問に挑んで欲しいものである。
その学問に対する意欲を学生に教授できる大学が今やどれほど存在するのか、嘆かわしい程に移ろいゆく世の凄まじい廃退ぶりに辟易としつつも、 大学の「講義ノート」を自分の人生の後期に垣間見ても興味深いと感じる程、学問の永遠普遍性とは人間が生き延びる上で大いなる後ろ盾になるものと信じる私である。