新聞の投書欄を読んで、涙もろい私は久々に目に涙を浮かべた。
何てことはない、どこにでもありそうな運動会での光景の一コマなのであるが、心に訴えてくるものがありホロリとさせられた。
本日の記事では、この投書を取り上げることにしよう。
では早速、朝日新聞10月10日(金)付け朝刊「声」欄に掲載されたその投書の全文を以下に紹介する。 投書者は43歳の男性会社員である。
娘たちの通う小学校の運動会でのこと。プログラムは6年生の借り物競争。一人の男の子が「かっこいい男の人」の札を客席に向かって気恥ずかしそうに掲げていた。事前にいろいろな「借り物」を用意してくれる援軍を頼んでいる児童もいたが、彼はそうではなかったようだ。他の子が借り物を探し当ててゴールへ向かって行く中、彼の焦る気持ちに応える人が出てこない。
「よっしゃ」と思って私は出て行った。彼は安堵の表情を浮かべ、私と手をつないで懸命に走った。ダントツのビリだった。 「もうちょっと顔に自信があったらすぐに出て行ったんだけど、ごめんな」と言ったら、ペコリと頭を下げて「いえ、ありがとうございました」と言ってくれた。
私はわずか何十秒か前のためらいを恥ずかしく思った。彼とのふれあいはわずかな時間だったが、「君のほうがかっこいいよ。こっちこそありがとう」と彼の小さい背中に呼びかけた。さわやかな秋の一日だった。
以上が、朝日新聞「声」欄投書の全文である。
日本人ならば、おそらく小中学校の運動会で「借り物競争」を経験していない人はいないのではなかろうかと思われる。
この私も記憶によると、小6と中3時の2回「借り物競争」を経験している。少しギャンブルっぽくもあるこの運動会の名物競技は、観戦する側としては思わぬどんでん返しがあったりして結構楽しめるのだが、出場する側にとっては大きなプレッシャーだ。特に、この投書の例のように“物”ではなく“人”の札が借り物として当たった場合、すぐさま一緒に走ってくれる人が見つからない場合が多く、“人”の札が当たらないことを祈るばかりである。
ところが、“人”の札とは当たるものだ。
私も、中3時の借り物競争で「中1の女の子」という札が当たった。とっさに、(知らない子は走ってくれない。知り合いを探そう!)と判断し探していると、部活動の後輩の女の子が見つかった。彼女は運動靴を脱いで座っていたのだが、急いで履いて出てきてくれた。これが相当の俊足の女の子で、先輩で長身の私の手をぐいぐい引っ張り一人抜き、二人抜きの快走だ! 私は引っ張られて転びそうになりながら上位入賞した。
今尚よく憶えている出来事である。あれは手をつないで走るからいい。ほんの一時の場面なのだが、人と人とか確かな触れ合いをしつつ共にゴールを目指している感触がある。だから、よく憶えているのだと私は思う。
私の姉も中3の借り物競争で「同級生の男の子」の札が当たったことがあるのだが、その時自分のために出てきてくれた男の子と二人で手をつないで走った感覚が忘れられない、と後々までよく言っていた。
さて、朝日新聞の投書に話を戻すと、この小6の男の子と投書者の男性も、一時ではあるが手をつないで一緒にゴールを目指したことによって、確かな心の触れ合いをしたものと見て取れる。
結果としてビリであろうが何であろうが、心に大きな思い出が残ったことであろう。
「かっこいい男の人」という“粋な”「借り物」を考え付いた学校もなかなか気が利いていて洒落ている。
そして、きちんとお礼を言った男の子と、“かっこいい”という言葉に一旦は躊躇しつつも男の子の心情を察して一肌脱いで観客の前で走り、「君のほうがかっこいいよ」と少年の小さな背中に返した男性。本当にさわやかな秋の日の運動会の光景である。
43歳の会社員さん、男の子の心情を察して走ったあなた、そしてこんな素敵な話を聞かせてくれたあなたこそ、すごく「かっこいい」ですよ!
何てことはない、どこにでもありそうな運動会での光景の一コマなのであるが、心に訴えてくるものがありホロリとさせられた。
本日の記事では、この投書を取り上げることにしよう。
では早速、朝日新聞10月10日(金)付け朝刊「声」欄に掲載されたその投書の全文を以下に紹介する。 投書者は43歳の男性会社員である。
娘たちの通う小学校の運動会でのこと。プログラムは6年生の借り物競争。一人の男の子が「かっこいい男の人」の札を客席に向かって気恥ずかしそうに掲げていた。事前にいろいろな「借り物」を用意してくれる援軍を頼んでいる児童もいたが、彼はそうではなかったようだ。他の子が借り物を探し当ててゴールへ向かって行く中、彼の焦る気持ちに応える人が出てこない。
「よっしゃ」と思って私は出て行った。彼は安堵の表情を浮かべ、私と手をつないで懸命に走った。ダントツのビリだった。 「もうちょっと顔に自信があったらすぐに出て行ったんだけど、ごめんな」と言ったら、ペコリと頭を下げて「いえ、ありがとうございました」と言ってくれた。
私はわずか何十秒か前のためらいを恥ずかしく思った。彼とのふれあいはわずかな時間だったが、「君のほうがかっこいいよ。こっちこそありがとう」と彼の小さい背中に呼びかけた。さわやかな秋の一日だった。
以上が、朝日新聞「声」欄投書の全文である。
日本人ならば、おそらく小中学校の運動会で「借り物競争」を経験していない人はいないのではなかろうかと思われる。
この私も記憶によると、小6と中3時の2回「借り物競争」を経験している。少しギャンブルっぽくもあるこの運動会の名物競技は、観戦する側としては思わぬどんでん返しがあったりして結構楽しめるのだが、出場する側にとっては大きなプレッシャーだ。特に、この投書の例のように“物”ではなく“人”の札が借り物として当たった場合、すぐさま一緒に走ってくれる人が見つからない場合が多く、“人”の札が当たらないことを祈るばかりである。
ところが、“人”の札とは当たるものだ。
私も、中3時の借り物競争で「中1の女の子」という札が当たった。とっさに、(知らない子は走ってくれない。知り合いを探そう!)と判断し探していると、部活動の後輩の女の子が見つかった。彼女は運動靴を脱いで座っていたのだが、急いで履いて出てきてくれた。これが相当の俊足の女の子で、先輩で長身の私の手をぐいぐい引っ張り一人抜き、二人抜きの快走だ! 私は引っ張られて転びそうになりながら上位入賞した。
今尚よく憶えている出来事である。あれは手をつないで走るからいい。ほんの一時の場面なのだが、人と人とか確かな触れ合いをしつつ共にゴールを目指している感触がある。だから、よく憶えているのだと私は思う。
私の姉も中3の借り物競争で「同級生の男の子」の札が当たったことがあるのだが、その時自分のために出てきてくれた男の子と二人で手をつないで走った感覚が忘れられない、と後々までよく言っていた。
さて、朝日新聞の投書に話を戻すと、この小6の男の子と投書者の男性も、一時ではあるが手をつないで一緒にゴールを目指したことによって、確かな心の触れ合いをしたものと見て取れる。
結果としてビリであろうが何であろうが、心に大きな思い出が残ったことであろう。
「かっこいい男の人」という“粋な”「借り物」を考え付いた学校もなかなか気が利いていて洒落ている。
そして、きちんとお礼を言った男の子と、“かっこいい”という言葉に一旦は躊躇しつつも男の子の心情を察して一肌脱いで観客の前で走り、「君のほうがかっこいいよ」と少年の小さな背中に返した男性。本当にさわやかな秋の日の運動会の光景である。
43歳の会社員さん、男の子の心情を察して走ったあなた、そしてこんな素敵な話を聞かせてくれたあなたこそ、すごく「かっこいい」ですよ!