原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

人間って若返らなきゃいけないの?

2008年04月19日 | 医学・医療・介護
 「もし、あなたが若返れるとすると何歳位に戻りたいか?」この種の質問をよく投げかけられる。
 これに対する私の答は、一貫して「その必要はなし」である。 若返りたいなどという発想は私には一切ない。

 昔から“才色兼備”という言葉があるように、才能と美貌を兼ね備えていられるならばそんなにすばらしいことはない。
 ところが近年、この“美しさ”の基準が画一化しているような現象によく出くわす。(当ブログの“その他オピニオン”カテゴリー「美の呪縛」において、この現象に関するオピニオンを既に述べておりますのでご参照下さい。)

 この私とて美しくありたいとは常に考え、そうあるべく行動しているつもりではある。(結果の如何はともかく…)

 その美しさの基準の画一化現象のひとつとして、表題の“若返り”があげられる。“アンチエイジング”などと体裁のいい言葉で語られて美化され、運動生理学、栄養学、美容外科、等多分野においてもっともらしく“研究”され、マスメディアやメーカーが利潤追求のためにこの“アンチエイジング”を世間にあおっているようであるが、早い話がその実態は“若返り”である。


 その中で、今回は美容整形を取り上げてみよう。

 これはどうしたことか。近年の芸能界では30代後半以降の女性タレントは皆、しわ伸ばし整形をして不自然なテカテカ顔をしている。私よりもずっと年上のお婆ちゃん女優ですら見るからに故意にひっぱったテカテカの不気味な顔をマスメディアで披露している。

 このしわ伸ばし整形のひとつとして「ボトックス注射」という方法がある。これはしわの部分にボツリヌス菌の毒素を注射することによりしわを目立たなくする方法であるのだが、ボツリヌス菌といえば食中毒の原因となるグラム陽性嫌気性細菌だ。生物兵器としての研究開発が試みられた事もある程殺傷能力の強い細菌である。このボツリヌス菌の神経毒で末梢神経を麻痺させることによりしわをとるのが「ボトックス注射」であるが、末梢神経は再生力があるため、しわなし顔を維持し続けるには定期的にこの注射を繰り返す必要があるという。
 一応安全性は確保されているということだが、毒素を体内に注入して抹消神経を麻痺させてまでしわをとりたいと考える女性(男性も?)の神経とはどれ程太いのであろうか?

 また、皮膚を切り取って引っ張るという方法もあるらしい。この方法による場合もテカテカ顔を維持し続けるためには定期的に繰り返す必要があるということなのだが、度々繰り返していると耳の位置が後方にずれてくるらしい。(美容院の待ち時間に読んだ女性週刊誌情報のため、その信憑性は不明であるが。)    それで、何だかエイリアンのような不気味な顔つきなのか???!!


 このように涙ぐましい努力をしてまで“若返ろう”とする女性(男性も?)達は一体どんな価値観を持ち、何を目指そうとしているのか。
 おそらくその思想の根底には “若さ=美しさ”という等式が成り立っているのであろう。 その理論は一見正しい。単純に比較した場合“つるつるすべすべ”の方が“しわだらけ”よりも美しいと感じる人が圧倒的多数であろう。
 だが、もう少し深い思慮があれば、それがまさに単純な評価でしかないことに気付きそうなものなのだが…。

 本来の人間同士の付き合いとは全人格的な関係であり、それが人間関係の醍醐味であると私は実感し、その喜びを享受しながら今まで生きてきている。

 外見だけを繕いたい人達というのは、それまでの人生において、もしかしたら人間としての全人格的付き合いの経験に乏しく、単に表面的な事柄で評価されてしまうという偏った経験しかしてきていないのかもしれない。そんな薄っぺらな人生経験に基づく貧弱な発想が、美容整形という突拍子もない行動へと駆り立てるのではなかろうか。

 繰り返すが、この私とて“美しく”ありたい。この思いは私の思想の根底に常に根強く存在する。“美しさ”の本来の意味合いを再認識しつつ、顔にボツリヌス菌など注入せずに、今後共私らしい美学を貫いていきたいものである。 
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