原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

嫌な飲み会は行かぬが一番

2008年04月08日 | 
 4月に入り、新入生や新人を迎えた大学や職場では新人歓迎会が催されていることであろう。

 先週の4月4日の朝日新聞声欄に、新入生歓迎会を皮切りにサークルや学科の友人との飲み会の多さに辟易としているという趣旨の、「お酒なしでも交流できぬか」と題する大学生からの投書があった。
 この投書を以下に要約してみよう。
 飲み会のほとんどが飲み放題で意識がなくなるまで飲んだり、「一気」コールで盛り上がったり、朝までハシゴ…。大学生は未成年者も多いのに当たり前のように飲んでいる。自分は全く飲めないのに、勧められたりして飲まざるを得ない状況になってしまうことも多く苦痛である。金銭的にも痛い。しかし、断れば付き合いが悪いと思われるのでなるべく行っている。社会人も含めて酒なしでは深い交流関係が持てないのは寂しいことだ。
 
 この大学生の投書を読んだ私見の結論を端的に述べよう。 嫌な飲み会に行く必要などまったくない。進んでパスしよう。
 

 本ブログの“酒”カテゴリーのバックナンバーで再三述べてきているので読者の皆さんは既にご存知であろうが、私は自称“飲兵衛”を宣言する程の相当の飲兵衛である。
 行きましたよ、行きました。自慢じゃないけど娘18の頃から(ごめんなさい、見逃して下さい。)新入生歓迎会、新人歓迎会、ありとあらゆる飲み会に顔を出しては、駆けつけ三杯から始まり朝になるまでハシゴ…、率先して主体的にとことん飲んだくれましたよ。

 そんな私にも、この投書者の大学生とはまったく逆の立場から嫌な飲み会というものがある。
 既にバックナンバー「飲兵衛はつらい?!」においても述べているが、私のような飲兵衛にとっては、自分のペースで飲めない飲み会というものほどつらいものはない。自分を押し殺して、飲むスピードをゆっくり目に、飲む量を少なめに周りに合わせなければいけない飲み会というのがたまにあるのだが、これは飲兵衛にとっては究極のストレスが溜まる飲み方である。
 大勢で飲む場合は大抵飲めない人から順に帰っていって、会が進むにつれ自然淘汰され、“飲んだくれ”仲間だけが残るので、結構最後まで楽しめる。 ところが、さほど親しくない少人数の飲み会においては、上記のような“究極ストレス飲み会”となることが少なくない。過去において何度か経験があるのだが、これは本当につらい。 今となってはそれを十二分に悟っているため、その種の飲み会は口実をつけて必ずお断りすることに決めていて、まかり間違っても参加しない。

 そしてもう一点、この大学生の投書で気になるのは「飲み会」の位置づけである。
 失礼ながら、大学生と言うとまだまだ人生経験が浅い人達の集まりであるため、飲み会を断れば付き合いが悪いと思われる、という貧弱な発想もやむを得ないのかもしれない。
 だが、「飲み会」というのは元々信頼関係がある者同士で設けるべき会であり、「飲み会」によって深い交流関係を作るという性質のものではない、と私は捉えている。「飲み会」とは酒を飲んで一定時間皆で馬鹿になることを楽しむ会なのだ。そのように醜態をとことんさらす全人格的付き合いである会合において、見知らぬ人や付き合いの浅い人と場を共有するのは元々極めて危険である。信頼関係があるからこそ皆で馬鹿になり切れ、美味しい酒が楽しめるというところが「飲み会」の使命であるのだ。

 そういう意味ではこの投書者のおっしゃるように、まずはお酒のない別の場で人と人との深い交流関係をもち、人間同士の信頼関係を築くことが先決問題であろう。

 下戸であれ、飲兵衛であれ、嫌な飲み会には行かぬが一番である。
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