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原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ユーミンが太った!?!

2020年12月30日 | 音楽
 (冒頭写真は、先程テレビにて撮影したユーミンの写真。)


 私はそもそもユーミンファンではなかった。

 ただ、ユーミンが未だ「荒井由実」名で活躍していた頃に聞いた「あの日に帰りたい」は、当時のカラオケでよく熱唱した。

 ユーミンの低音歌唱が我が音程にマッチしていて歌いやすかった。


 その後も、「中央フリーウェイ」、「ルージュの伝言」、「卒業写真」、「春よ来い」等々は、その後の我がカラオケ愛唱曲でもある。



 本日先程からテレビにて放映されている“松任谷由美特集”番組を垣間見て、私は愕然とさせられた。


 どうしたことか、国民のアイドルであるべき松任谷由美が太っているではないか!?!
         


         


         


         

 以上、テレビ映像より撮影したもの。 (転載禁止ものでしたら、後程抹消処理をしますが。)


 我が私見だが。

 あくまでも過去に一世風靡したアイドルが、あくまでも“アイドル”として名を売り続けたい場合、決して映像上でみっともない外見を晒すべきではないと私は心得る。


 番組後半に入った今、ユーミンはパンツスタイルに姿を変えたが。
 やはり太ってしまっている姿を否定出来ない。 しかも、大顔に見える…


 ユーミンと言えば、一昔前からそのライブステージが売りだったと私は認識している。

 その映像を今後とも自身の売りにしたい場合、少しでも太ってしまったならそれが続行不能と判断するべきではなかろうか。


 この原左都子は、決して舞台のライブで自身を売りに出そうと目指してはいない。

 ただ、オピニオンブログとして公開し続けている我がブログ上に、長身スリム体型写真を公開している以上。
 それが叶わぬ現実となった際には、ブログスタイルを変更せんと考える程に、自身の長身スリム体型にはこだわり続けている。

 どうかユーミンさまに於かれましても、今後とも大規模ライブを続行される以上、歌唱のみならず持って生まれた長身体型にこだわり続けられる事に期待申し上げたい。


朝日新聞読者が選ぶ「阿久悠トップ10」

2020年11月29日 | 音楽
 (冒頭写真は、昨日2020.11.28付朝日新聞別刷「be」 “今こそ!聴きたい!” コーナーの今回のテーマ「阿久悠」に於いて選抜されていたトップ10。)


          
           朝日新聞当記事より転載したもの。


          
    こちらは、「また逢う日まで」を歌っていた頃の尾崎紀世彦氏。


 冒頭写真の「阿久悠トップ10」を一見すると、1970年代頃のヒット曲に阿久悠人気が集中している印象がある。

 今に至って尚スタンダードナンバーばかりで、(コロナ禍以前は)一人カラオケに行くとこの私も好んで選曲し歌っていた楽曲ばかりだ。


 中でも原左都子なりに特別な思い出があるのは、4位の「時の過ぎゆくままに」なのだが。
 ジュリー(沢田研二氏)が歌ったこの楽曲は、1974年秋のヒット曲と記憶しているが。  ちょうど私が米国UCバークレー大学夏期エクステンション留学を1ヶ月間こなして帰国した時に国内で流行していた。
 留学に出かけたのは未だ初夏の季節だったのが、帰国してみると時は秋へと移ろいでいた。 (当時は今と異なり、8月終盤になると季節が急激に秋へと姿を変えるのが普通だった。) 
 ジュリーが歌うこの曲を耳にし、我が短期留学は既に“思い出”域へと消え去る運命にあることを、その郷愁感と共に嫌でも実感させられたものだ。😪 



 ところで、私は「原左都子エッセイ集」バックナンバーにて幾度か阿久悠氏を取り上げている。

 その中から、2008.10.20付バックナンバー 「転がる石」 を以下に引用させて頂こう。
 このエッセイ、年月の経過にかかわらず皆様にスタンダードにお読み頂いているエッセイだが。 我が(ナルシスト)自己評価でも「名作」に位置付けたい作品でもある。😱 😜  

 コメントの一部も含めて、紹介しよう。


    十五は 胸を患って
    咳きこむたびに 血を吐いた
    十六 父の夢こわし
    軟派の道を こころざす
    
    十七 本を読むばかり 
    愛することも 臆病で
    十八 家出の夢をみて
    こっそり手紙 書きつづけ

    転がる石は どこへ行く
    転がる石は 坂まかせ
    どうせ転げて 行くのなら
    親の知らない 遠い場所

    怒りを持てば 夢破れ
    昂りさえも 鎮めつつ
    はしゃいで生きる 青春は
    俺にはないと 思ってた
    
    迷わぬけれど このままじゃ
    苔にまみれた 石になる
    石なら石で 思い切り  
    転げてみると 考えた
     (以下略)

 上記の詩は、07年8月に70歳で亡くなった作家阿久悠氏の「自伝ソング」であるらしい。02年に歌手の石川さゆり氏が歌い、発表している。

 さて今回の私のブログ記事では、突如として話はインドから淡路島へと飛ぶ。

 阿久悠氏は兵庫県の淡路島の出身である。にもかかわらず、本人曰く“淡路島を意識した歌はひとつもない” らしく、小説「瀬戸内少年野球団」でさえ“舞台が淡路島である必然性はなかった” とのことである。
 “故郷からは意識して逃げ回ってきた。風土という言葉のうち、土の部分が嫌いでね。東京がいい。土のない人がたくさん歩いている。” と1992年のインタビューで阿久悠氏は応えている。
 このように故郷の歌を残さなかった阿久悠氏だが、淡路島を舞台にした自伝的な小説をいくつも残しているという。
 01年、癌闘病中に長編小説「転がる石」を出版し、手術が成功した後に初めて書いた歌の一つが上記の詩「転がる石」だそうだ。
 郷里の淡路島の書店の壁には、次のように応えた阿久悠氏のインタビュー記事が貼られているという。“淡路島の風景、情景とかいったものが、僕の精神形成の基本になったことは間違いないでしょうね。” そして、阿久悠氏が76年から構えた静岡県伊東市の高台の別荘から見下ろす相模灘は、淡路島の穏やかな海にそっくりだそうだ。
 (以上、朝日新聞10月18日(土)別刷記事「うたの旅人」“故郷の歌を残さなかった”より抜粋、要約。)

 私(原左都子)は淡路島に程近い地方の出身で、子ども時代には淡路島を対岸から眺めて暮らしている。
 そんな地方から東京に出てきて“転がる石” となっている私に、この阿久悠氏による「転がる石」は重なる心象風景として訴えてくるものがある。
 胸も患わず、父の夢も特に壊さず、決して愛に臆病でもなく、家出した訳でもなく、はしゃいで生きる青春を十分に全うした私ではあるが。
 そんな私も“故郷の歌は残さない”人種であるような気がする。 風土のうち「土」の部分が嫌いだという阿久悠氏の感覚も理解できる気がする私は、同様に東京がいい。
 土のない人がたくさん歩いている東京で、“石なら石で思い切り転げて生きよう” としている私にも。 実は潜在的に故郷の原風景があって私の精神形成の基本になっているのであろうか、とふと考えたりもする。

 来週インドへ旅立って、日々石として転げながら暮らす東京からも故郷からも一時心がトリップすると、何が私の原風景なのか、ほんの少しだけ見えそうな気もする。


  Comments

 響きます、私の心に。 (ガイア) 2008-10-20 21:43:49

 見事なエッセイですね。心に響きます。
 一寸、石川啄木を思い出しました。
 コメントはこれだけです。


 ガイアさん、この詩の響きと“淡路島”に惹きつけられました。 (原左都子) 2008-10-21 10:31:30

 ガイアさん、ありがとうございます。
 インド旅行の諸準備中で多忙な中、ふと目を通したこの新聞記事の阿久悠氏の詩と“淡路島”に惹きつけられました。
 私が住んでいた家から自転車で行ける距離に海があって、海に行くといつも変わらぬ姿で淡路島が直ぐ近くに浮かんでいました。あの島を見て私は育っています。
 淡路島はもしかしたら私にとって、一つの原風景であるのかもしれません。
 そして、淡路島であれ東京であれインドであれ、人が住み生を営む場は、人々の心に様々な姿、形の原風景を与えてくれるのでしょう。

 (以上、本エッセイ集2008.10バックナンバーより本文及びコメントの一部を引用したもの。)
 

「踊り子」考 - vol.2

2020年08月11日 | 音楽
 昨夜、民放テレビにて歌番組を斜め見していると。

 久々に、村下孝蔵氏の「踊り子」が画面に流れた。

 この村下孝蔵氏の「踊り子」を、私は過去に「原左都子エッセイ集」内で取り上げた事を思い起こした。


 早速、当該2009.12.23公開の「『踊り子』考」と題するエッセイを以下に再掲載させていただこう。

 2009年の年末は、私の趣味の一つである「バレエ観賞」を2本、立て続けに楽しめることとなった。

 そのうちの1本は、我が娘が幼少の頃よりの我が家における年末恒例行事である「くるみ割人形」観賞なのだが、今年はレニングラード国立バレエ「ミハイロフスキー劇場」版を選んで、東京国際フォーラム公演の座席を予約した。(20日に既に観賞済)
 そして、もう1本は地元の小バレエ団による「コッペリア」である。 「コッペリア」はバレエを習っていた我が娘の古典全幕ものの舞台デビュー作品であるのだが、近くの劇場で公演があるのを発見したため、今週末に娘と共に出かけることにしている。

 ここで突然話を歌謡曲に移すが、私の知る限り「踊り子」と題する歌謡曲が2曲存在する。
 その一曲はフォーリーブスが踊って歌った「踊り子」であり、もう一曲は今は亡きシンガーソングライターの村下孝蔵氏による「踊り子」である。
 両者共に、なかなかの秀作と私は評している。

 それら「踊り子」の歌詞の一部をかいつまんで、以下に紹介してみよう。
 
 まずは、フォーリーブスが歌って踊った阿久悠作詞の「踊り子」から。
  ♪私は踊り子よ ふるまいのお酒にも気軽く酔うような 浮き草の踊り子
   愛してくれるのはうれしいと思うけど あなたはうぶなのよ 何一つ知らない
   このまま別れていきましょう 短い恋と割り切って
   港の酒場ではらんちきの大騒ぎ あなたもあの中で酔いどれておいでよ
   私は踊り子よ うらぶれた灯の下で踊っていることが大好きな踊り子
   ほんとは少しだけまごころに打たれたわ けれどもあなたとは暮らしてはゆけない…

 続いて、村下孝蔵作詞の「踊り子」。
  ♪答を出さずにいつまでも暮らせない
   つま先で立ったまま 君を愛してきた
   踊り出すくるくると 軽いめまいの後 写真をバラまいたように心が乱れる
   拍子のとれている愛だから 隠し合い ボロボロの台詞だけ語り合う君が続き
   坂道をかける子ども達のようだった 倒れそうなまま二人走っていたね
   つま先で立ったまま 僕を愛してきた
   狭い舞台の上で ふらつく踊り子
   愛してる 愛せない 言葉を変えながら
   かけひきだけの愛は 見えなくなってゆく…
   つま先で立ったまま 二人愛してきた
   狭い舞台の上で ふらつく踊り子
   若過ぎた それだけがすべての答だと
   涙をこらえたまま つま先立ちの恋…


 同じ題名の「踊り子」でも、前者は旅芸人の「踊り子」との恋を描いたものである。 川端康成の「伊豆の踊り子」における出逢いを彷彿とさせ、また一方で酒場の“舞妓、芸奴”や“ストリッパー”等にも思いが及びそうな、はかなき“浮き草”の恋物語である。

 片や、後者はクラシックバレエのトーシューズで踊る女性ダンサーの「踊り子」をイメージしつつ悲恋を語った歌であろう。 トーシューズを履いて踊るバレエの「踊り子」と若かりし恋との“不安定感”を交錯させつつ、切ない恋物語が崩れそうに綴られている。 

 「踊り子」にはその踊りのジャンルを問わず、共通項が存在するように私は捉える。
 あらゆる芸術の中でも、自らの「身体」を表現手段としてその芸なり技なり美を訴える芸術は「踊り」しかないのではあるまいか。 (「声楽」もその一種であろうが。)
 
 私事になるが、我が家の娘は幼少時よりクラシックバレエを習ってきている。 小学校高学年にさしかかった頃に、初めて“トーシューズ”を履かせてもらえた時には、一家でお祝いをして喜んだものである。 (「つま先立ち」などという不自然な体型を強要することが、我が子の身体的成長に悪影響を及ぼさないのか??) などという親ならではの懸念も頭の片隅に無きにしもあらずだったのだが、それよりも (これで我が子も子どもから娘として成長できる) がごとくの一種の通過儀式のような感覚が、親の私にも初めて手にしたトーシューズに感じ取れたものだ。

 一方で、私が今現在スポーツジムで楽しんでいるヒップホップやエアロビクスというのは、クラシックバレエとはまったく異なるジャンルの「踊り」である。 “コンテンポラリーバレエ”と名の付く、クラシックバレエから発展したそれに近いバレエが存在するが、その後庶民の間で発生したと思われる上記のヒップホップ等までも含めて、それらの共通点は“トーシューズ”を履かないことにあろう。

 特に私が2009年頃勤しんだ「ヒップホップ」など、例えば“猫背”状態で踊ったり、“つま先”よりも“かかと”が中心の踊りと言えそうだ。 (それ以前の問題として、バックの音楽が踊りのジャンルによってすべて異なるのは皆さんもご承知の通りであろうが)
 これはこれで十分に整合性があると捉えて、現在「ヒップホップ」を大いに楽しむ私である。 生活に密着している、と表現すればよいのだろうか? むしろ、歳を重ねた人間にとっては、“猫背”のままで踊っていいと言ってもらえた方が開放感があって自然体で踊れそうなのである。
 要するに“現代舞踊”とは、観賞する「踊り」から自分が楽しむ「踊り」へと変遷の道程を歩んでいるようにも捉えられる。 皆が自分自身で「踊り子」を演じてこその快感享受の時代なのであろう。

 話を戻して「クラシックバレエ」観賞の魅力とは、やはり女性の「踊り子」が“つま先立ち”のトーシューズで踊る研ぎ澄まされた“繊細さ”が醍醐味であるように私は思う。 あの“つま先立ち”の緊張感こそが何百年に及ぶバレエの伝統であり、クラシック音楽とマッチして後世に伝えられるべく正統な芸術なのではなかろうか。

 それにしても「恋」とは、いつの世も、老若を問わず、繊細で不安定ではかなくて“つま先立ち”の存在であるように思えるよね……

 (以上、2009年12月バックナンバーを再掲載させていただいたもの。)




 このバックナンバーには、複数のコメントを頂戴しているのだが。

 その中から、その頃いつも「原左都子エッセイ集」コメント欄に“アカデミックな風を吹き込んで下さっていた “空乏層”氏とおっしゃるコメンテイターとのやりとりを以下に掲載させていただこう。

 つま先の芸術 (空 乏層)2009-12-24 13:19:36
 40を過ぎる頃だったでしょうか、男のバレー・ダンサーを正面から見れる様になれました。そのきっかけが、映画「ホワイト・ナイツ」に主演した屈強なる男の躍動感溢れるダンスでした。ストーリーがそうさせたのかもしれませんが、以来、新体操、体操競技、シンクロナズド・スイミングなどを見るときには、つま先が随分気になる様になったのを覚えています。そうそう、ワールド・カップ日韓大会でのジャパンがベスト16進出を決めた対トルコ戦のあの”One foot”シュートも芸術的シュートでしたね。日本の古武道などはみな裸足ですが、つま先には相当の神経を使います。あれも、もはや芸術の域なのでしょう。お能の足運びに通じる日本古来の地に付いた躍動美かもしれません。
さてさて、バレエの話しですが、ロンドン駐在時代に、ただの一回だけロイヤル・バレエ団を観劇(?)できるチャンスがありました。バレエそのものには疎い私、組曲、「くるみ割り人形」、「白鳥の湖」くらいしか知らないのですが、それでもロンドン交響楽団のチャイコフスキーの哀愁に満ちた演奏には大変感激しました。特に、「情景」と日本語での表題が付けられた曲が演奏されたときには、思わず涙が溢れてしまい、プリマドンナのダンスが歪んで見え、ブースのバイオリンやビオラの弓が湖の葦がたなびく様にさえ見えるほどでした。バレエはとんちんかんでも、「白鳥の湖」というロシア抒情詩は十分堪能できた様な気がします。
最近、日本人ダンサーがロイヤルバレエ団のプリマドンナを務めることがあるそうですが、もうそれを観賞する機会もないでしょう、ロンドンは遠くなってしまいましたから、・・・。

空 乏層さんは、英国本場でロイヤル・バレエ団公演を観賞なさったのですね! (原左都子)2009-12-24 16:20:17
 それは、重々羨ましい限りです。
 この私も、英国ロイヤルバレエとパリオペラ座バレエ、そしてウィーン学友会館に於けるウィーンフィルニューイヤーコンサートを一度でいいので現地の劇場で観賞して、「ブラボー!!」と叫ぶのが夢なのです。
娘が育った暁には娘を現地に同行して、是非夢を叶えたいものです。
 空さんはサッカーもお好きなのですね?(実は私はサッカーにはほとほと疎い人間なのですが)空さんがおっしゃる通り、確かにサッカーもつま先でボールを蹴り込みますよね。あれってもしかしたら、バレエでつま先で立つよりも一瞬ずっと巨大な負荷がつま先にかかりそうです。 靴(やトーシューズ)の性能が急激に向上しているからこそ、どのような分野においても研ぎ澄まされた技や芸が可能となっているようにも推測できます。
 空さんがおっしゃる通り、バレエ公演の魅力はオーケストラの生演奏を堪能できるところにあることに私も同感です。 
私は中学生時代にブラスバンド、高校生時代にオーケストラ部を経験しているのですが、バレエ公演の開幕直前にオーケストラが“音合わせ”をしているところから既に涙が出そうなほど音楽には思い入れがありまして、私にとりましてはあの音合わせを聴くのもバレエ観賞の楽しみの一つです。
 訂正とお詫び (原左都子)2009-12-24 16:41:50 
 上記(↑)空乏層さんへの返答コメント内の「ウィーン学友会館」との記載は、正確には「ウィーン楽友協会大ホール」です。
 訂正してお詫び申し上げます。
         
 (以上、バックナンバーコメント欄より一部を引用したもの。)


 この空乏層さんとのハンドルネームは、半導体用語から引用されたものだ。
 物理学研究者であられた空乏層さんからは、実に博学かつ文学的なセンスも身につけられた素敵なコメントをいつも頂戴していた。 
 東京都在住でいらっしゃった様子で、「今度上野の美術館でもご一緒に観賞しませんか?」 なるお声もおかけ頂いていた記憶があるのだが…。  残念ながら2011年に東日本大震災勃発後、東北地方ご出身の空さんがその支援に多忙となられたのをきっかけに、その後音信不通状態に入り現在に至っている。

 数多くの“つま先立ちの恋”を経験し、既にその領域は卒業している私だが。
 今でもクラシックバレエ鑑賞をする都度、心切ない“踊り子”に戻れる気分である…

安倍首相に言われずとて “うちで踊って” いるぞーー!

2020年04月12日 | 音楽
 (写真は、現在自宅でのコロナ対策としてダンスエクササイズを実施しているのだが、その際使用しているウオークマン。)


 冒頭より先程ネット上で見た情報を引用しよう。

 「うちで踊ろう」安倍首相もインスタ投稿 賛否、次々          朝日新聞社  
      2020/04/12 13:32                      
                         
    安倍晋三首相は、星野源さんの動画に合わせて自宅でくつろぐ様子を投稿した=首相官邸インスタグラムより
 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、政府が外出自粛を呼びかける中、安倍晋三首相が12日、ミュージシャンの星野源さんが歌う「うちで踊ろう」の動画に合わせ、愛犬を抱いたり、読書したりするなど、東京・富ケ谷の自宅でくつろぐ様子を首相官邸のインスタグラムや自身のツイッターなどに投稿した。
 首相官邸のインスタグラムには、「友達と会えない。飲み会もできない。ただ、皆さんのこうした行動によって、多くの命が確実に救われています」と自宅待機を呼びかける首相のメッセージも添えられた。
 首相の投稿には「ゆっくり休んで下さい」など、首相を気遣う投稿が相次いだ。 一方、「くつろいでる場合じゃない人が日本にはたくさんいますよ」といった批判的なコメントも多数寄せられた。
 立憲民主党の蓮舫氏は自身のツイッターで、「自宅でくつろいでいる様子で、国民も自宅待機をして欲しいと言うのか」と疑問を示した上で、「自身の自宅映像や芸能人映像ではなく『自粛と補償はセット』の政策を」と苦言を呈した。
 動画は11日に私邸で撮影された。 首相は同日午後3時前に首相官邸に出邸し、午後4時からの政府対策本部に出席。 午後5時ごろ帰宅した。 この日は、午後11時45分時点で新たに740人以上の感染が確認され、1日あたりでの過去最多を更新した。
 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)


 我が感想だが。

 安倍さんが家で寛いでいる姿など、想像しただけで気持ち悪くて反吐が出そうだが…😱 
 よくぞまあそんなプライベート映像を、世が“コロナウィルス戦禍”のまるで世紀末がごとくの混乱渦中に公開したものだ。 
 上記情報内にある通り、    「くつろいでる場合じゃない人が日本にはたくさんいますよ」といった批判的なコメントが、当然多数寄せられるであろうし。
 また、立憲民主党の蓮舫氏がツイッターで苦言を呈して、「自宅でくつろいでいる様子で、国民も自宅待機をして欲しいと言うのか」と疑問を示した上で、「自身の自宅映像や芸能人映像ではなく『自粛と補償はセット』の政策を」。
 皆さんがおっしゃるとおりだ。

 言っちゃ悪いが、安倍さんて基本的にセンスがズレていると言うのか。
 自分では国民のためを思っている“フリでもしたい”のだろうが、こういう場面ではどうも思考力が浅いのがバレる言動が目立つ気がする。


 そんな安倍さんと我が趣味が同じ(??)だったことに嫌気がさすが。😵 

 実は我がコロナ対策として「自宅室内でのエクササイズ」を採用したのだが、まさに “うちで踊ろう!” を日々バリバリに実行している。
 いや、私の場合は安倍さんのごとく愛犬は元々いなければ、読書をしながら踊るなどとの、そんな“柔な”ダンスではない!

 
 冒頭写真のウオークマンに関して、少し説明しよう。
 これは、12年程前にランニング練習中音楽を聴くために購入したものだ。 イヤホンのみはつい最近故障し、亭主が持っていたものをちゃっかり貰って使用している。 
 本体は至って丈夫で、12年の年月に及ぶ酷使にもかかわらず何らの故障も無い。
 この中に購入直後に入れたダンスミュージックが保存されているのだが、それに合わせて一人で30分間のダンスエクササイズを日々黙々と実行している。


 一体如何なる楽曲で踊っているのかと言えば。

 70年代ディスコサウンド (アラベスク、 ボニーM、 コモドアーズ、 ダイアナ・ロス、 ドナ・サマー、 アース・ウィンド&ファイアー、 グロリア・ゲイナー、 クール&ギャング、 クインシー・ジョーンズ、 サンタ・エスメラルダ、 etc……)

 ピンク・レディ、モー娘。 その楽曲だが。 (ピンク・タイフーン、 黄色いお空でブンブンブン、 恋愛レボリューション21、 カメレオン・アーミー、 モンスター、etc.…… ダンスが激しめの楽曲を採用している。)

 特にエクササイズの効果を考慮した場合、後半のピンク・レディ、モー娘。 が有効性が高く、そちらを愛好している。


 政府や都のコロナウィルス自粛指導に合わせ、この室内ダンスエクササイズを実施開始して2週間程が経過した。 
 元々スリム体型の私だが、このエクササイズにより“腰回り”が以前より少しスッキリしてきたように感じるのだが、単に我が希望的観測か??  😓  

“Cherry Bomb” この楽曲を覚えておられるだろうか? 今でも腹が立つとこの曲が脳裏に浮かぶ私だ

2020年03月15日 | 音楽

Can't stay at home, can't stay at school Old folks say, ya poor little fool Down the street I'm the girl next door

I'm the fox you've been waiting for Hello Daddy, hello Mom I'm your ch ch ch ch ch ch cherry bomb Hello world I'm your wild girl I'm your ch ch ch ch ch ch cherry bomb Stone age love and strange sounds too Come on baby let me get to you Bad nights cause'n teenage blues Get down ladies you've got nothing to lose Hello Daddy, hello Mom I'm your ch ch ch ch ch ch cherry bomb Hello world I'm your wild girl I'm your ch ch ch ch ch cherry bomb Hello Daddy, hello Mom I'm your ch ch ch ch ch ch cherry bomb Hello world I'm your wild girl I'm your ch ch ch ch ch ch cherry bomb Hey street boy, what's your style Your dead end dreams don't make you smile I'll give ya something to live for Have ya, grab ya til you're sore Hello Daddy, hello Mom I'm your ch ch ch ch ch ch cherry bomb Hello world, I'm your wild girl I'm your ch ch ch ch ch ch cherry bomb Cherry bomb Cherry bomb Cherry bomb Cherry bomb Cherry bomb


 米国の若き女性ロックグループ “ランナウェイス” が1977年に発表した 「Cerry Bomb」の歌詞を紹介させて頂いた。


 こんなところで突然名指しで実に恐縮なのですが。

 音楽ブログの bark yellows さんなど、この楽曲をご存じないでしょうか??