水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

思わず笑える短編集 -66- 花見

2022年05月21日 00時00分00秒 | #小説

 気候も暖かくなり、寒気が遠慮するように、『ご迷惑をおかけいたしました…』と言うではなく楚々(そそ)と去ると、いよいよ春爛漫(はるらんまん)となる。
「馬糞(まぐそ)君、場所は取れたろうねっ!」
 馬糞は課長の飼葉(かいば)に諄(くど)く念を押された。
「はっ! それはもう…」
 馬糞は萎(しお)れた小声で返した。
「君は毎年、それだけでいいんだから…」
 飼葉が買い出しを任せないのは馬糞だからだ。馬糞の何が悪いのかっ! と馬糞は最初、思ったが、それもそうだな…と、最近では納得している。花見の食料調達に馬糞・・これは、誰が考えてもいただけない。馬糞が悪い訳でもなかったが、改姓でもしないかぎり、この不幸は続くように思えた。馬糞は初代のご先祖にひと言、言いたかった。言うまでもなく、馬糞という姓(せい)についてである。初代がなぜそんな姓を名乗ったかだ。その疑問がある夜、夢となって現れた。ご先祖が夢の中に登場したのである。
 頃は、ちょうど春爛漫で、桜が満開だった。どういう訳か、桜の下ではご先祖の方々が、ワイワイと花見をしていた。どの顔も馬糞の知らない顔ばかりだった。
『おう! その方が子孫の…』
『はいっ! 馬糞と申します』
『はっはっはっ…某(それがし)も馬糞じゃぞ』
『なぜ、馬糞などと…』
『馬糞、馬糞と申すでない。馬糞は乾かしてのう、夜冷えを防ぐ非常の折りの薪(たきぎ)がわりにもなるのじゃからな』
『はあ…。それと、どういう関係が?』
『鈍(にぶ)いやつじゃ。殿に褒(ほ)められ、馬糞の姓を授(さず)かったのよっ!』
『あの、それまでは…』
『蹄(ひずめ)じゃ、はっはっはっ…』
 そこで突然、馬糞は目が覚めた。危うくベッドから落ちそうになっている自分がいた。ただ、夢の内容は鮮明に残っていた。花見もいいが、蹄だったらなおいいのに…と馬糞は口惜しそうに思った。

                    完


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