水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

思わず笑える短編集 -60- 想い出話

2022年05月15日 00時00分00秒 | #小説

 暮らしにくくなったり辛(つら)いいことが多くなってくると、人は過去のそうでなかったいい時代を懐(なつ)かしみ、想い出話を語りたくなる。
「いやぁ~あの頃はよかったですよ、あの頃はっ!」
「そうそう、あの頃はねぇ~!」
 過田(かだ)と今畑(いまはた)の二人が過去を懐かしんで語り合っている。だが、二人の想いは違っていて、少しずれていた。過田の想いは金利がよかった頃の、利子で物が買えた平成初期の時代であり、今畑の場合は遥(はる)か昔の、牛が田を鋤(す)いていた昭和30年代の長閑(のどか)な時代だった。
「あの頃の国は、皆、頑張ってましたからなぁ~」
 過田の想いは、バブル景気が崩壊したあとの国民の頑張りを意味した。
「そうそう、あの頃は皆が必死でしたな」
 今畑の想いは、終戦後の荒廃したあとの国民の頑張りを意味した。
「いや、必死かどうかは分かりませんが、頑張ってました…」
 過田はバブル崩壊で国民が必死になっただろうか…と、少し今畑の言い方に疑問を感じたが、深くは考えず聞き流した。今畑は今畑で、あの頃は国民全員が必死だったぞ…と、過田の言葉に少し疑問を感じたが、過田と同じように深くは考えず聞き流した。二人の共通認識は、想う頃は違うものの、過去のいい時代だった。それが唯一(ゆいいつ)、二人の話が噛(か)み合う思い出話の起点だった。
「牛でしたからな…」
 今畑は牛を追って田を鋤く農業風景を想い出していた。
「そうそう、牛を買いましたよ」
 過田は預貯金の利子で買った牛皮の財布を想い出していた。
「ほう! 買いましたかっ」
「はいっ! 買いました」
 二人の話は、妙なところで噛み合った。

                    完


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