大学受験まっただ中の早春、無精髭に着古したボロ学生服に身を包んだ荻沼健太郎は今年も受験のため、とある大学の門を潜(くぐ)っていた。自慢にもならないが今年で40回を越えているから、試験官の江川とはすでに話し合えるほど親しい仲になっていた。
「今年もですか…、ご苦労さんです」
あんた、よく飽きもせず…と内心では思っていても、さすがにそうは言えない江川は、軽くお辞儀すると試験用紙を配布し始めた。会場は受験番号順に一定数で区切られ別たれていたが、荻沼の教室にはある頃からか江川が入るようになっていた。大学職員の江川は、ふとしたことがきっかけで毎年見る荻沼の姿に興味を持ったのである。二浪、三浪とかはあるが、さすがに二十三浪はいないぞ…と、荻沼の校門を潜る姿を見て気づいたのが、ことの起こりだった。あの若かった荻沼が、今では白髪混じりの男になった…と思いながら自分の薄くなった髪の毛に手をやり、江川は人ごとじゃないなと苦笑した。
昼の休憩を挟(はさ)み、試験は滞(とどこお)りなく終了した。受験生達が雑然と会場から去る中、荻沼は感慨深そうに教室を見回して、まだ座っていた。その席へ江川が近づいてきた。
「どうでした?」
「まあ…」
毎年、繰り返される二人の決まり台詞(ぜりふ)が交わされた。聞いた瞬間、江川は今年も駄目か…と、瞬時に思った。その思いが顔に出た。
「いや、今年は分かりませんよ! 私も、そろそろ…」
江川は、かつて聞いたことのない荻沼の言葉を耳にした。ひょっとすると…と、思えた。
「ですよね! 合格を祈ってます!」
二人は会釈し、笑顔で別れた。
数週間後、掲示板に合格者番号が張り出された。掲示板の前には多くの人だかりがあった。その中に荻沼の姿もあった。荻沼は132012を探し、順に番号を追った。132008…132010…132013。やはり、今年も駄目か…と荻沼はガクリと肩を下げ、地面を見た。やはりな…と思い直し、Uターンして歩き始めたそのときである。
「み、皆さん~~!! 待って下さい! 採点ミスがありました! 繰り上げ合格者を今、貼りますっ!」
どこかで聞いた声だな…と荻沼は立ち止り、振り返った。掲示板の前には試験官だった江川が掲示板に追加の紙を画鋲で貼っていた。荻沼はその小ぶりの紙へ静かに近づいていった。114053…126091…132001…132012…。えっ! 132012! 荻沼は目を擦(こす)った。
「あ~~!!」
荻沼は人目も憚(はばか)らず叫んでいた。そして知らず知らず、涙が頬を伝った。
「ああ! 荻沼さん、ありましたか! よかったですね!」
江川が笑顔で声をかけた。荻沼は流れる涙を拭(ふ)きながら、ただ頷(うなず)き続けた。大学側の採点ミスにより繰り上げ合格となったのは7名だった。
桜が咲き乱れる校門を無精髭を落とした背広服の荻沼が入った。そこには江川が立っていた。
「おめでとうございます。今日は入学式の係員です!」
「そうですか…」
「長いお付き合いになりそうですね!」
「はあ、よろしく! たった一問の採点で拾っていただきました!」
「いやあ~、あなたの実力です! 採点で人生は変わるんですから、この世は恐いですね」
「はあ…」
二人は笑って話しながら、会場の大学講堂へと歩いていった。
完