定年を数年先に迎える吉野は、この日も残業に明け暮れていた。片方の手で霞(かす)む書類の字に目を凝らしながら、もう一方の手で首筋を揉(も)んでグルリとひと回りさせた。そして、フゥ~~っと、なんとも切ない溜息を吐いた。どうにかこうにか書類は完成したな…と、帰り仕度(たく)を始めた。机の上を整えたあと、鍵をかけ、鞄(かばん)を持って立った。そして、忘れ物はないな…と、吉野はもう一度、机の周りを確認し、凝った肩をグルグルと回した。どうも最近、肩の動作が増えたような気がした。課では、いつの間にか自分が一番、年上になっていた。課長も吉野に対しては尊敬の念で敬語を使った。というのも、吉野は現場が好きだった。管理職になれたものを固辞(こじ)し続け、この年になっていた。社長や取締役さえ自分より年下になった…と、吉野はやや気弱になっていた。年老いたとはいえ、仕事は人並み以上に熟(こな)していたから苦情は出なかった。その吉田が最近、肩こりに悩まされていた。だが妙なもので、肩がこると不思議なことに仕事が捗(はかど)り、結果が出た。契約もOKとなり、上層部の覚えもよかった。逆に肩が凝らないと結果が悪かった。吉野は、肩こりは嫌だが結果は出したいというジレンマな気分に苛(さいな)まれた。
ある日、若手社員の関谷がしきりに肩を揉(も)み始めた。
「どうした、関谷君! 入社して二年目の君が…」
吉野は関谷の席に近づき、軽く元気づけた。
「ああ、吉野さん。どうも肩が凝って困ってるんですよ」
「おおっ! 課長に言われた企画書は出来てるじゃないか!」
「そうなんですよ、それが不思議なんです。スラスラと企画が湧いて仕上げた途端、コレです」
吉野は肩を片手で叩いた。そのとき、吉野は妙なことに肩がいつもより軽く感じた。俺の肩こりが関谷に? …そんな馬鹿なことはないな、と吉野は含み笑いをした。
「吉野さん、どうかしました?」
「いや、べつに…」
関谷の問いかけに、吉野は軽く返した。
それ以降、吉野の課では、誰彼となく肩こりが伝染するかのように課員達に移っていった。ただ、その前兆はなく、突然、現れた。それと同時に肩こりに襲われた者の仕事は100%の確率で結果を出した。いつしか、吉野の会社はこの現象を肩コリズムと名づけるようになった。
完