水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

不条理のアクシデント 第十七話  人間OFF   <再掲>

2014年07月04日 00時00分00秒 | #小説

 鴨田洋二は家の書棚から要(い)らなくなった本を選んで抜き出していた。というのは、少し俄かの入り用で螻蛄(オケラ)になったから、古本買取店へ行って本を売り、少し金を得ようという腹づもりなのだ。そう高くは売れないだろう…とは思えたが、それでも少しの足しにはなるだろうと思ってのことだった。
 小一時間後、適当な本が十冊ばかり選び出された。鴨田はそれを手提げの紙袋に入れると、何食わぬ顔で店を出た。過去にも一度、行った店だったから、そう緊張感はなかった。
 鴨田は店へ入ると、袋ごと受付へ置いた。店員は若い男だった。鴨田は売りたい旨を店員に言った。店員は頷(うなず)くと、袋から本を取り出し、査定し始めた。
『ミステリー・サスペンスが2点、歴史・時代小説が3点、あとは普通の小説が外国も含めて5点ですね…』
 店員も一度、見た顔だ…と鴨田を思ったのか、馴れた口で話し出した。鴨田は黙って首を縦に振った。しばらく値踏みをした店員は電卓を二度、叩(たた)いて確認した。
『結構、いい値が入ってますね。合わせて一万二千五百円です。明細を言いましょうか?』
『いや、いいです…』
 鴨田は店を出て数分したところで財布をポケットから取り出し、手に入れた金を確認した。そして、思ったより多かったな…と少し得した気分に浸(ひた)った。というのも、二束三文の本だろうから、首尾よくいって数千円だろう…と自分の値踏みをしていたからだ。まあ、これで家賃を支払って空(から)になった自分の金がふたたぴ復活したから、年は越せる…と思えた。アルバイトの金が振り込まれるのは五日後だった。そう贅沢(ぜいたく)は出来ないが、普通に使えば一万二千五百円で五日はいけるだろう…と鴨田は思った。
 歳末の舗道をニンマリした顔で歩きながら、少し正月らしいものを買おうか…と、鴨田はリッチ気分になった。鴨田がしばらく歩いていると、知らない店が出来ていた。一週間前には確か、なかったが…とは思えたが、まあ、新しい店が出来ることは、よくあるな…と、鴨田は店の前で立ち尽くした。不思議なことに、繁華街で今まで自分の周りを歩いた人の姿が消えていた。店名を見れば、━ 人間OFF ━ と書かれていた。ふ~ん…と、鴨田はそれほど気に留めず、好奇心で店へ足を踏み入れた。
『いらっしゃいませ! お売りですか!!』
 偉く客当たりがいい店だな…と瞬間、鴨田は思った。
『いや、ちょっと入っただけなんですが…』
 すると、年老いた店員は鴨田を注視しながら電卓を叩き始めた。
『お客さんですと…この値ですね』
『えっ?』
 鴨田は受付へ近づき、その老店員が差し出した電卓の数字を見た。電卓は、8700の文字を蒼白く浮かび上がらせていた。
『いろいろ、いらっしゃいますが、お客さんだと、この売り値ですかね』
 老店員はニタリと笑ったあと、鋭い眼光で鴨田を睨(にら)んだ。鴨田は急に恐ろしくなり、店を出ようと出口へ向かおうとした。だが、足は金縛りをかけられたように動かなかった。鴨田の額(ひたい)に冷や汗が流れた。
「パパ、ママがお夕食だって!」
 鴨田は肩を揺すられて目覚めた。目の前には娘の麻奈がいた。選んで売ったはずの本がフロアの下に置かれたままになっていた。どうも眠ってしまったようだ…と、鴨田はホッと安堵(あんど)した。
 家族三人での賑やかな大晦日の食事が始まった。なにげなく置かれたテーブルの上の電卓が8700の蒼白い文字を浮かび上らせていた。

                                完


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