幽霊パッション 水本爽涼
第八回
上山が座ったその時、幽霊平林がヒョイ! とふたたび現れた。幽霊だからヒョイなのである。パッ! と云ってもいいだろう。
『僕もこのB定が好きだったんですよ…』
自分の座る対面へ遠慮するでもなく座り、上山に語りかける幽霊平林である。
「君な、ちょっと遠慮してもらえんか。これから食うんだから…」
迷惑顔でなにやらブツブツひとりごとを云いだした姿は当然、他の社員達の目に入っている。誰彼となく、「おい課長、誰もいないのに話してるぜ。どうかしちゃったんじゃないか」という声が流れた。中には、「大丈夫かよ」と上山の体調を危惧(きぐ)する声さえ聞こえだした。視線が自分に注がれていると気づいた上山は、慌(あわ)てて口を噤(つぐ)んだ。しかし、幽霊平林は依然として上山の対面に堂々と座っている。もちろんその姿は他の者に見える筈(はず)もなかった。だから上山が、前に座る幽霊平林を意識すればするほど、他の者に映る上山の姿は奇妙さを増すのである。上山は口を噤んだ後、黙々とB定食を平らげ始めた。
『僕も食べたいなあ…。腹が空いている、ってことじゃないんですけどね』
上山は幽霊平林が語りかけるのを無視して、食べ続けた。今はまずい、まずいぞ…と、ひたすら心に云い聞かせながら…。返答がないと、さすがに幽霊平林もダレてきた。周囲を見回すと、かつての同僚達が上山を見ている。なるほど、これ以上は無理か…と、撤収することにした。幽霊平林がスゥ~っと消えたことで、上山の心配ごとは、ひとまず消え去った。今まで喉を通らなかったB定食も味が感じられるまでになった。しかし、もう味噌汁はすっかり冷えてしまっている。その椀を口へと運べば、理由もなく怒りが込みあげてくる。誰が悪いという訳でもないが、なぜ自分だけに死んだ平林が見えるんだ…と上山はまた想い倦(あぐ)ねた。部下の課員達は、もうとっくに食べ終えて席を立っていた。