「パティシエになりたーい!」ブログ。

元パティシエ・オペラのお菓子の話やらオタクっぽい話やらのごちゃ混ぜブログ。

功名が辻おもろい……

2006-06-04 21:00:21 | 感想文

久々に毎週見る大河ドラマが功名が辻なんですが…


これは特におもしろい気がする。テーマ曲も好き♪


 


見るまでは「一豊」なんて、全然知らなくて…京都検定前に行った高台寺の解説文に名前が出てたけど「かずとよ」だって読めもしなくて…


でもその人が信長・秀吉・家康と仕えてた人なんだって知って、めっちゃ興味がわいた。


京都検定の勉強をしてる間に、秀吉がすごい好きになった。


庭園の勉強をしてるときとかに読んだ「京都名庭を歩く」っていう本で醍醐寺の話や智積院の話、聚楽第の話を読んで…なんか、すごいかわいそうになった。それまでも京都を今のように整備したのは秀吉だ、とか…もちろん有名な歴史のこととか…昔大河ドラマで「秀吉」やったときも見てたし…名前はいろいろ聞いてたんだけど、とにかく派手な印象が強かった。だけど最後は、かわいそうでしょうがない。方広寺のあの鐘も、実際に見に行った。まわりもさびしいことになっていて(豊国神社だってめっちゃ派手!とかではないし)、すごく悲しい気持ちになったことを覚えている。


もちろんかわいそうなだけじゃない。百姓出身の秀吉が、信長に仕えて働き、高い地位を与えられた。贅を尽くした生活もしていた。朝鮮出兵もした。向こうの兵士の耳を持ち帰り、埋めたのが耳塚だ。


聚楽第、聚楽第(あ、じゅらくだいと読みます)とテキストには名前ばかり出てくるけど、跡形も残っていない(聚楽周り、とかいう地名は残ってたような気がする)のはなぜなのか。


辞世の句「なにわのことも ゆめのまたゆめ」とはどういう意味なのか…


知れば知るほど、秀吉の派手なイメージがくずれていった。


その上で、「一夜城」のこととか、「高松城の水攻め」のこととかを知って、なんて興味深い人なんだと思った。一豊のドラマの話を知ったとき、なにより秀吉が見れるのがうれしくって絶対見る!って言ってた。


だけど一豊の話だからな~、と心配はしていた。でも、今となっては大満足!いや、知らなかったんですよね!一豊と秀吉があんな長く関わるなんて!しかも秀吉役の人、超うまいし!!もー、大好き!!


秀吉以外も…信長もめっちゃ怖くて、恐ろしいほどのカリスマみたいなのが感じられてよいです。家康、めっちゃいい人にみえるんだけど!いや、いいひとなんかもしれんが。あ、一豊の人も大好きです。かっこいい。あと情けなさとかもしっかり表現できててすごいと思う(←ほめてます)。


他の番組で山内一豊特集やってたときも、はっきり歴史研究家の人に「一豊はこれといって秀でたところがあったわけではないようだ」とか言われてたし!かわいそうだよ!(笑)


つまり、千代がそれだけ偉大だったという話ですね。


あ、千代もかわいいと思います!でもとにかく秀吉に夢中だからあんまり見てない…。


あと…光秀!!


うち、本当に功名が辻見ててよかったと思う。光秀って、教科書では一瞬しか出てきてないし、ずっと「信長をだまして殺して地位をうばおうとしたけどすぐ秀吉に殺されたアホな人」やとしか思ってなかったもん!!全然違ったーーー!!特に今週は…先週の次回予告見てからずっと辛くて、怖くて…かわいそうでたまらなかった。蹴られるシーンとか。あ…そういえばあの「腐ってる魚」は、腐ってたわけではなくて鮒寿司だったって父が言ってたけど、ちゃうかったんやろうか?特に言及してなかったよねえ…。


父はものすごい歴史に詳しくて、本当にすごいと思う。うちら姉弟はどちらも歴史そこまで好きじゃなかったから長いこと気づかなかったんだけど、本当によく知ってるし、知識が整理されてる。ドラマ見ててもわかんないところは父にその場で聞くと、すぐ解説してくれる。しかもそのとき別のところでは~みたいなのもぽんぽん出てくるし。それがいつもで、普通のことだから、うちは「世の中のお父さんというものはみんな歴史をよく知っているものだ」とフツーに信じてたもん!


うちの知識欲とかの部分は、間違いなくこの人の遺伝子なんだろうなあ…。


おっと、かなり話がそれた。光秀ね、光秀。


 


光秀役の人も、すんごく上手いからもう大好き!!濃さんとの話はちょっとハラハラしましたが…とても大人な対応で、感動した。ああいうのはお話のために作ってるのかもしれないけどさ…(「こりん」とかも。うち、こりんだけは嫌で、見るのを一瞬やめた…だから1回だけ完全に見てない回がある。たしか「妻 対 女」…)、でもさ、事実は小説より奇なり!光秀だって、秀吉だって、信長だって、生きてる人間だったんだから、毎日なにかしら思うことがあって、苦しんだり、楽しんだり…いろいろしつつ、大きなことをして、それで死んでいったはず。うちらは大きなことしか知ることはできないけど、もっともっともっと、毎日はいろいろ起こってたはずなんだよね(そこを少しでも埋めるのが歴史小説家さんなのかな?)。そのことを、今さらながら、知りました。


 


「時は今 雨が下しる 五月哉」


ドラマでは天が下しる、となっていて、天下を治めるという意味があると言っていましたね。


あと、今色々見てきたところによると、時はっていうのも「土岐は」って、その土地の土岐氏のことを言っているというのもあるそうです。…というか、本能寺の変自体、いろいろな説があるんですね。光秀像にしても。そうか、あのドラマは、あくまで「司馬さんの小説を」映像化してるんだなあ。


終わってしまった歴史は、誰にも真実はわからない。残されたわずかな資料から、推測するしかない。なるほど、だから歴史はおもしろいんだな。


 


前もチラッと書いたけど、信長の「人生五十年」っていうのは、元々あの、平家物語の平敦盛の舞「人間五十年 下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり」らしい。最期のときにもこれを舞ったという説もあるそうだけど…果たして来週はこれが見れるのか。


それよか「敵は本能寺にあり!」のが注目度高いだろうけど…っていうか、濃!濃さん本能寺にいてたのか……どうするのー!光秀!


あああ、来週怖いよう…でも見逃すわけには!


 


 


 


あ、そういえば今週恵林寺が出てきてギャーってなった!なんだっけ、なんのお寺だったっけ?とあわてて自分の脳内を検索しまくりましたよ!(京都検定以来、自分の歴史の知識は電話帳のようなものに保存されてる…ってイメージです)「心頭滅却すれば…」のお寺だった!そうだよー、あと夢窓疎石の庭があるんだ(ったよな…?)。恵林寺行ってみたいなあ…


あと愛宕山も。光秀のように3回おみくじを引きたい。


しかし徒歩2時間って!!醍醐寺の2倍かよ!!