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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

都心の郊外に住む私、今年初めての30度の熱さに戸惑い・・。

2023-05-17 12:56:11 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、今朝ぼんやりと天気情報をテレビで視聴していると、
雲ひつとない青空の一日を迎えますが、今年初めての31度前後の熱さとなりますので、
特に65歳以上の高齢者は、熱中症に気を付けて下さい。

高齢者の御方は、暑さや水分不足に対する感覚や、体温の調節機能が低下していますので、
それだけに、のどが渇いたと感じていなくても、水分を取るといった先手を打った行動が
大切になります。
十二分に御注意して、お過ごしして下さい。

このように78歳の私には、聴こえたりした・・。



やがて私は9時半過ぎに、本日は我が家の平素の買物日であったので、
買い物専任者の私は、家内より本日の必須購入品を確認した後、
最寄りのスーパーに行ったりした・・。

私の昨今の容姿は、制服のようになった長袖のスポーツシャツ、長ズボン、
帽子を深くかぶり、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしている。
 
やがて帰路、陽射しは燦燦と我が身を受け、
スポーツシャツの長袖を腕まくりし、両手にレジ袋を提げて歩くと、
何かしら熱さを心身感じて、今年初めての熱さを感じた・・。

やがて帰宅後、洗面所で顔を洗って、着替えた後、
扇風機の冷風に心地よく感じたりした・・。

こうした中、いつものように自宅付近の散策は中止して、
我が家の中で、昨日買い求めた『中央公論』を読んで過ごそう、
と決意した。

もとより
熱中症は、室内でも気温と湿度が高い時は、
十分な注意が必要ょ・・と学んできたので、
扇風機の冷風に身をゆだねて、『中央公論』を読み、
疲れたら、昼寝でもしょう、と微笑んだりした・・。

こうした自由気ままに過ごせるのは、年金生活の特権だよなぁ・・、
と現役サラリーマン時代は、多くの諸兄と共に睡眠時間を削りながら、
奮闘してきたので、何よりもやすらぎのひととき、と私は思ったりしている。

それにしても、急激な今年初めての30度の熱さに、私は戸惑ったりしている・・。
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何かと無知なことが多い78歳の私、せめて月刊総合雑誌を愛読して学び・・。

2023-05-16 15:31:29 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、何かと無知なことが多い私、せめて月刊誌を愛読して、
世の中の出来事を学んだりしている・・。

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39)年の秋に大学を中退し、
映画・文學青年の真似事をしたが、はかなくも敗退し、
やがて1970年(昭和45)年の春に、
この当時、ある大手の企業に何とか中途入社した。

しかしながら社会人として、私は何かと一般常識が欠けていると思い、
せめて月刊総合雑誌の『文藝春秋』ぐらいは、読んだ方が我が身の為と確信を深め、
これ以来、本屋で買い求めて読んできたので、53年間の愛読者のひとりとなっている。

そして月刊総合雑誌の『中央公論』は、特集に魅了された時だけ購読するのが、
ここ53年の習性となっている。

こうした中、『文藝春秋』の今月発売の6月号は、
定例通り5月10日に発売日であったので、最寄りのコンビニで買い求めたりした。



今月の6月号からも多々教示されたことが多かったが、
特にウクライナ戦争に関して、私なりに深く学んだりした。

アメリカの中央情報局長官のW・バーンズさんがインタビューを受けた
『 CIA長官が語る「中露同盟の限界」』、
そして現代史家の大木 毅さんの寄稿文
『 ロシア「大祖国戦争」が歪める歴史認識 』、
この2つの記事は、現代史に関心のある私は、深く思考させられながら、
多々学んだりした。





そして『中央公論』の6月号は、5月10日に発売であったが、
本日、駅前の本屋に寄った時、『中央公論』の表紙を見て、
読んでみたいと思い、買い求めたりした。




【 特集 】なぜ地方では生きられないのか
                       東京再膨張

この日本の難題は、私は都心の郊外に生を受けて、
高校生の頃から思案させられてきた難題であるので、
生きている限りは、避けられないテーマでもある。

もうひとつの【 特集 】ノンフィクションの未来

私は小説よりも、ここ20数年、ノンフィクションの書物を読む方が多い。

こうした中で、愛読してきた佐野眞一さんの著作の『ノンフィクションは死なない』(イースト新書)を読み、
ノンフィクション全体の難題と危機を学んできたので、
今回の《【 特集 】ノンフィクションの未来 》を読んでみたい、

このようなことで買い求めてきた。

そして私は、ただいま『中央公論』の6月号・・読書中・・
果たして、何かとノロマな上、物忘れも時折ある私・・、
果たして・・と微苦笑したりしている。

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やはり『読書』と『映画』、そして『音楽』は、 一生のお友達と思い深めて・・。

2023-05-15 12:50:34 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、



こうした時は、殆どデジカメをネクタイのように首回りから下げて、
颯爽と歩き、 歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら、立ち止まって撮ったりしている。

或いは家内と共通趣味の国内旅行を幾たびも重ねる中、
その地の情景に圧倒的に魅せられて、撮ったりしてきた。
 
そして恥ずかしながら私は、忘れ去ることもあり、
やむなく記憶のかたみ、として撮り続けてきた・・。
 
こうした中、齢を重ねるたびに、体力の衰えを実感させられ、
物忘れも時折あり、やむなく独り微苦笑したりしている。


こうした根底には、やはり






この間に、年金生活を始めて間もない時に、
ブログの世界を知り、パソコンの故障、国内旅行、入院などで自宅不在でない限り、
原則として一通は投稿している。

ブログの大半は、年金生活を過ごしている今、
日々に感じたこと、思考したことなどの心の叫び、思いなど、
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。


こうした日常生活を過ごし、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。


そして何とか80歳を迎える頃まで、
ボケないで過ごせるかしら、と空を見上げたりしている。
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78歳の男性の私だって欲しい、女性の『日焼け対策グッズ』のひとつ・・。

2023-05-14 13:22:51 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、
古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、


そして私は


このように歩いたりしていると、帰宅後、私は洗面所で顔を見ると、
日焼けした顔立ちを見て、
クロちゃんだねぇ、と微笑んだりし、
高齢者は元気が何よりょ・・と微笑む時もある。


しかしながら、過ぎし8年前の頃、
皮膚の乾燥・老化の大敵・紫外線対策も万全に・・
紫外線の刺激は、さらに皮膚がんのリスクを上げるので、日常の中でできる対策、
保湿をして“健康な皮膚”の状態を維持することも重要・・
と知人から教えられたりした。



そして私は帽子をかぶったり、UVカットのサングラスをしたり、
ときには真夏の時は、日傘も差したりしてきた。

或いは紫外線などは老化の大敵であり、具体的な紫外線対策を学んだりした。

そして
高齢者の男性の私でも、
クリーム、ローションの活用の大切さを学んだりした・・。

私は現役サラリーマンの頃は、髭剃(ひげそり)り後には、資生堂の男性化粧品のローション、
朝の洗面後は、資生堂の男性化粧品のクリームを長らく愛用してきた・・。

やがて年金生活の中で、70歳を過ぎた頃から、
ローションとクリーム兼用として、ユースキンのローション『ユースキンS』1種類を愛用している。

          

お値段も従来の3割ぐらいで、《・・さらっと しっとり ベタつかない・・》と明記されている通り、
髭剃(ひげそり)り後、そして朝の洗面後など愛用している。

或いは肌荒れの時は、こっそりと『ユースキンS』を塗るようにして、
10歳ぐらい若いねぇ・・と微笑む時もある。

私は7年前の晩秋に白内障の手術後、
まもなく眼を保護して乾燥を防ぐ『ヒアレイン』点眼液を、

一日二回を点(つ)けてきた。

こうした中、6年前の3月、まばゆい春の陽射しを受けている中、
紫外線の実態を学び、やはり遅ればせながらサングラスが必要だ、と私は気付いたりした。

そしてUVカットのサングラスの中で、紫外線を1%しか通さない紫外線透過率1%を、
平素用は薄いサングラス、都心に外出する時は少し濃いめのサングラス、
ふたつ選定して、これ以来まばゆい陽射しの中を歩く時は愛用している。  

                

いずれにしても眼は大切であり、特に熱い季節の紫外線対策しているが、
私は殆ど毎日歩いているので、 家内より日焼けしているわょ、と私は毎年3月頃から言われたりした。

このように私は、太陽光を浴びることを実行してきたが、
日頃の紫外線対策との兼ね合いは・・と戸惑ったりしている。

このような心情を秘めている私は、ヤフージャパンより配信されたニュースの中で、
『 夏本番の前に買って!【2023年最新】日焼け対策グッズ|美ST 』、
と題された見出し記事があったりした。

恥ずかしながら女性専用の記事であったが、
78歳の男性の私でも、こっそりと見てしまった・・。

この記事を無断ながら転載させて頂く。

 
《・・
magacol
このような記事を無断ながら転載させて頂いた。

こっそりと私は見た中で、
《・・1枚3役!キャンプやリゾートのお供に
ボタンの留め方次第で、アウター、羽織り、ひざ掛けと様々な使い方ができる優れもの。・・》、

これは便利で、万一、天災などで避難場所でも活用でき、
78歳の私だって、欲しいグッズだよなぁ・・と微笑んだりしている。

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我が家の戸締り、点検表を作成して、78歳の私は微苦笑して・・。

2023-05-13 14:48:11 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む78歳の年金生活の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、
古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。


こうした中、我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
夜の9時過ぎには、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認しながら、ボケてはいけないと思い、若き自衛隊の諸兄に負けないように、
元気な声で言ったりしている。

この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりしている。

その直後、 『ご苦労であった!』と家内は私に言うのである。

私の現役時代に於いては、ご苦労さまでした、
と家内は何かと従順で優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、

どうしてなの、と私は不思議に思ったりした。

その後、思い当るとすれば、確か2008年(平成20年)の頃にNHKの連続ドラマの『篤姫』が放映され、
家内は幾たびも視聴していたので、お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。
          

 
 
確か一週間前の頃、最寄り駅のひとつの京王線の『つつじが丘』駅の前にある
路線バスのバス停で私が並んでいる時、前列にいたご高齢の女性ふたりの会話が、
聞こえたりした・・。

何かしら住宅街にお住いのひとりが、近くの『おひとりさま』の女性と仲良しで、
交友していたが、一年前の頃、『おひとりさま』の女性が、
不審火で戸建ての自宅、隣家の家まで延焼して、
それまでの安楽の生活が激変した・・。

そして、賠償できず、困苦し、やむなく親戚の御方が代弁されて救済された・・、
このような会話が私は聞こえてしまった・・。




帰宅後、やがて夕食の時、私は家内にこの話をしたりした。

我が家の周囲は戸建ての住宅街で、万一、我が家が不審火で周囲の家に延焼して、
数億円の賠償要求があったら・・とても支払うことができず、
土下座してお詫びしても・・もとより許されないことである。

これ以前、我が家が火災保険は加入しているが、
我が家が火災にあったら、肝要な日常の食器、衣服・・大切な思いで深い品など、
なくなるのは辛く、困苦する・・。




何よりもこれからお互いにボケることもあり、
我が家の戸締りは、私が指先点検で、台所のガス台、瞬間湯沸かし器などの元栓、
浴室のリモコンのガス制御盤などしてきたが、少しチエックを強化しょう、
と私たちは夫婦は話し合ったりした。

やがて私が定年前、出向時代に物流会社に勤務していたが、
この時の退社時の戸締りは、東京ドームより広い倉庫を
チエック表に基づいて、実施されてきた。

こうした体験を思い浮かべて、我が家なりに点検表を作成して、
戸締りの少しばかりの強化をしょう、と決意した。

もとより、日々の油断大敵、そしていつの日にか、どちらかがボケても、
我が家はご近所の御宅に御迷惑をお掛けしない様に・・、
本日の午前中に点検表を作成して、私たち夫婦はお互いに微苦笑したりした。
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『神代植物公園』を訪ね、78歳の私は、この人生の微笑みを幾たびも頂き・・。

2023-05-12 15:36:38 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私の住む地域の都立『神代植物公園』に於いて、
数多くの薔薇(バラ)が披露される恒例の『バラフェスタ 』が、
春のひととき、そして秋のひととき、毎年開催されてきた・・。

今年の『春のバラフェスタ 』は5月9日より28日まで開催される。



開催
中は、百花繚乱のように多彩なバラの花が彩(いろどっているが、
毎年人出の多い中、ゆっくりと鑑賞が出来ないと思われる上、
バラに疎(うと)い私でも、開催される前の5月2日、そして4日にも、
この後、開催された初日の9日に訪れてきた・・。

本日、ほかの公園を訪ねる予定であったが、
近くにある深大寺に用事を思いだして、散策代わりに、
『神代植物公園』に訪ねたりした・・。

今回の多彩なバラの花は、百花繚乱であったが、
開催される2週間前の頃より、幾たびも5月のような陽気に恵まれすぎて、
開花の勢いも早くなり、関係スタッフの手入れも大変だなぁ・・、
と私は思ったりした・。










こうした中で、御年配の御方、シニア世代、幼児を伴った若きママなど、
多くが訪れていた・・。



こうした中で、少なくとも100名前後の学童が、
野外授業で先生に引率されて訪れ、
それぞれグループに分散されて、鑑賞されていた・・。

何かしら学童は、A4サイズの印刷されたパンフレットを持参され、
10種類前後のバラが印刷されて、バラの正式名称も記載されているのが、
少し離れた私でも見えたりした。
そして何かしら見学したバラには、大きな丸印が付けられていた・・。

それぞれのグループ、少し広いバラ園の中、学びながら廻ったりしていた。

私の住む地域では、平日に於いて学校が下校時になると、
住宅地の高台にある拡声器より、住民に広報がある。

小学6年生と思われる女の子の学童が懸命に、
《・・まもなく下校の時間が始まります。
地域の皆様に・・学童が犯罪にまきこまれないように・・
見守りをお願い致します・・》

このような広報が、平日の午後1時半前後にあり、
私たち住民一同は、可愛いい学童が・・と思い、注視しているのが、
実態となっている。

このようなことを思い重ねて、私は学童を微笑ましく見つめたりした。

やがて私はバラ園を辞して、雑木林の歩道を歩いたりした・・。
そして前方に学童の一部のグループが見えて、微笑んだりした。



この後、私は周辺を歩き廻ったりしている中、可愛らしい歓声が、
さざ波のように聞こえ、
その方面を見ると、微笑んでしまった・・。



園児の100名前後が多くの先生に引率されて、広い芝生の中を移動していた・・。

この後、私はいつものように周辺を散策したりした。








やがて私は、『神代植物公園』を辞した後、
隣接した『深大寺』の本堂に寄ったりした・・。



今回、参拝したことは、昨日、家内が大病をして丸4年になるが、
幸運にも転移しなかったことに感謝して、仏様にも・・と思い、
参拝した・・。

このように本日の午前中の大半を過ごしたが、
この人生の微笑みを幾たびも頂き、感謝したりしている・・。

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私たち夫婦は、四半期ごとの幸運の贈り物を頂き、感謝して・・。

2023-05-11 17:18:56 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。


こうした中、過ぎし2019年の4月、家内は初期の膵臓がんに遭遇して、
安楽な年金生活は激変した・・。

そして
家内は2泊3日で検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきた。



もとより、この間の私たち夫婦は、最悪の場合を想定することもあったりして、
震撼しながら揺れ動いたりした・・。

そして転移などで死去する確率も高く、家内は身の回りを整理し、
やがて私たち夫婦は、再入院、葬儀、お墓、ひとり住まいなどを、
人生の晩年期の終活を話し合ったりした。

やがて手術後、丸4年が過ぎた本日の5月11日、

過ぎし4月26日、半年ごとのCTスキャンの精密検査をし、
この検査結果に基づいて、手術して下さった担当医師より家内は受診して、
結果として幸運にも転移がなく、私たち夫婦は安堵をしたりした・・。



この間、3カ月の四半期ごとに検血検査をした後、
手術して下さった担当医師より、家内は受診して、
医師より最適と思われる幾種類かの指定された薬を服用してきた・・。

そして私たち夫婦は、四半期ごとの家内の命の難問を受けるようにきたが、
幸運にも身体に
転移することなく、丸4年の歳月が過ぎて、今日に至っている。

何よりも私たち夫婦は、ささやかな年金生活を過ごすことが出来き、
この世に感謝している。
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人それぞれ永(なが)らえるのは、自助努力も肝要であるが、 こればかり・・。

2023-05-10 17:38:57 | 喜寿の頃からの思い

私が2004年(平成16年)の秋に定年後する直前に、
家内の父が病死され、家内の母は我が家より遠い地で、独り住まいとなっている。

そして家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行ったりしてきたが、
11年ぐらい恒例となっていたが、これくらいは我が家では私は『おひとりさま』の生活となってしまったが、
気分転換で良好と思ったりしてきた。

やがて7年前の頃より、家内が家内の母宅に宿泊数が多くなってきたことは、
私にとっては、まさかの出来事のひとつとなっている。

まもなく家内の母が『要介護2』となり、長女の家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした事情で、我が家では私が『おひとりさま』の生活が加速されて、
私たち夫婦の年金生活の予定事項が定まることが少なくなり、
少し困苦してきたことも事実となっている。

このように私たち夫婦は、年金生活の中、何かと家内の母の状態に左右されることもあり、
家内は老々介護の中で、家内なりに母の思いをできる限り叶えようとして、
疲労困憊になる時もある。

『お義母(かあ)さんは・・娘ふたりに介護されて良いけれど・・
我が家では子供もいないので、頼れる人はいないし、お互いの頑張りだよなぁ・・』
と私は微苦笑しながら、ときおり家内に言ったりしている。

『そうよねぇ・・あたし達が晩年期まで・・しっかりとしないと・・』
と家内は苦笑しながら、私に言ったりしている。



この間、確か16年近い頃だったと私は記憶しているが、
家内の母は年金として月平均14万円前後で貯金を少しづつ崩しているが、長生きを考えると心ぼそいわ、
とこのような意味合いの言葉を、長女の私の家内に言った。

そして私は家内から聞いて、毎月少し融資を受けられる『リバースモーゲージ』を本格的に調べたりした。
『リバースモーゲージ』は、老後資金がどうしても不足してしまう場合には、自宅不動産を活用し、
自宅を担保にお金を借りて、慣れた自宅を手放さず、死亡後に担保を売却して元本を返済する方法である。

まもなく家内は関係先に孤軍奮戦した結果、家内の母の住む市の社会福祉協議会より、
家内の母は、毎月3万円の融資を受けている。

家内の母は、家内に、お父さんの遺(のこ)された一戸建て・・私の老後で喰いつぶしてしまうけれど、
とこのような意味合いの言葉を家内に言った、と後日に私は家内から聞いた。

私は家内に結婚してまもない時に、
お義父(とう)さんとお義母(かあ)さんが築きあげてきた財産に関して、
どのようにお使いになっても、僕は関係ないょ・・と私は家内に言ってきた。

こうした私の根底には、私が結婚する時、私の母から、
男子(だんし)たる者は、奥さんの実家の財産をあてにするのは、最低の男だからねぇ、
と私は叱咤激励されたので、もとより家内の母のいつの日にかの遺産は、あてにしてこなかった。

やがて家内の母は、年金に毎月3万円頂くので助かるわ、と家内に言ったと、
と私は家内から聞いたりして、悦んだりした。

そして家内の母は、自身の葬儀代を預けるから、と家内に程ほどの金額を振り込んだ、
と私は家内から聞いたりして、私は微苦笑しながら、
お義母(かあ)さんらしいねぇ、と家内に言ったりした。




しかしながら私は家内の母に対して、たったひとつだけ困惑することがある。

年末年始の時節になると、独り住まいの家内の母に年末に我が家に来宅してもらい、
私たち夫婦と共に新年を我が家で過ごした・・。

こうした過ぎし11年前のある日、
居間の炬燵に入り、食事をしたり、談笑したりすることが多かったが、
ある時、家内の母が、『あたし・・やっぱり・・百まで生きたいわ・・』
と呟(つぶや)くように家内に言ったりした。

まもなく家内から私は聞いたりした時、私は家内の母が100歳になる事は、
私は86歳、家内も81歳の高齢者となるので、
私は困り果てて、勘弁してょ、と心の中で思いながら、笑ってごまかしたりした。

家内の母が百歳まで生きられたら、老々介護以前に、
私たちのどちらかは片割れになるか、或いは夫婦ふたりとも死後の世界、
と思ったりしたのが根底であった。

人それぞれ永(なが)らえるのは、自助努力も肝要であるが、
こればかりは神様か仏(ほとけ)さまの采配による、
と私は思い深めているひとりである・・。



そして家内の母は、娘ふたりに介護されている中、
『私・・このようになること・・思ってもいなかったわ・・』
と6年前の頃、私に電話で詫びたりしたことがあり、私は微苦笑したりした。

この後、家内は大病した後、体調はおぼつかなく、
やむなく家内の妹に介護をお願いして、
やがて家内の母は介護施設に入居して、月の数日だけ自宅に戻り、
この時は家内の妹が、宿泊しながらお世話をしている。

そして私たち夫婦が、どちらかがいつの日にか介護・要になったり、
やがてどちらかが死去して、おひとりさまになった時・・
予測した以上に多事多難があると思われる・・。

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都立『神代植物公園』、バラに疎い私でも、『春のバラフェスタ 』を鑑賞

2023-05-09 15:27:34 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私の住む地域の都立『神代植物公園』に於いて、
数多くの薔薇(バラ)が披露される恒例の『バラフェスタ 』が、
春のひととき、そして秋のひととき、毎年開催されてきた・・。

今年の『春のバラフェスタ 』は5月9日より28日まで開催されるが、
もとより開花中は、百花繚乱のように多彩なバラの花が彩(いろどっているが、
毎年人出の多い中、ゆっくりと鑑賞が出来ないと思われる上、
バラに疎(うと)い私でも、開催される前の5月2日、そして4日にも、
訪れてきた・・。



こうした思いは、過ぎし5月4日に、投稿してきた・・。

『 都立『神代植物公園』の麗しき多彩なバラ、78歳の私は鑑賞して、微笑みを重ねて・・。』
https://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/040b53336b3496fa837bc3e66038c04a


そして本日は開催日であったので、バラの花の咲いている状況が、
地元のひとりとして、少し心配であったので、訪れたりした。

写真は10数枚だけ撮ったりしたので、バラに関心のある御方に、
ご報告を兼ねて、掲載する。

ただし私は、つたない感性で、園内の一部だけ撮ったりしましたので、
数多くの不足分は、御勘弁下さい。





























このようなバラを、燦燦と陽射しが照らす青空の中で、30分前後鑑賞したりした。
 
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新型コロナワクチン・令和5年春接種、78歳の私でも、揺れる思いとなり・・。

2023-05-08 14:12:21 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む78歳の年金生活の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、
古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。


こうした中、確か4月中旬の頃、私の住む調布市より、
『 調布市 新型ワクチン
  令和5年春接種のお知らせ(12歳以上の方) 』、
と明記された書類が郵送されてきた。

私は新型コロナワクチンの接種に関して、確か5回目を
昨年の2022年12月初旬に接種したので、
何かと無知なことが多い私は、またかよ・・と思ったりした。



やがて居間に戻り、郵送された封書を開封すると、
下記のようなことが明記されていた。

《・・春開始接種(5月8日から8月まで)

対象者
初回(1・2回目)接種を完了し、
前回接種から使用するワクチンに応じた接種間隔を経過した以下の方です。

  • 65歳以上の高齢者
  • 5歳以上65歳未満の基礎疾患を有する方
  • 5歳以上65歳未満の医療・高齢者施設等の従事者

5歳以上65歳未満のその他重症化リスクが高いと医師が認める・・》



このようなことが明記されていたが、
私の知人などから、一部の方にはワクチンは効果はない、むしろ害がある、
と私は聞いていたので、戸惑ったりした・・。

やがて4月下旬、私は糖尿病の予備軍で通院している病院に行った時、
医院長より、いつもの問診の最後に、
『XXさん・・今度のワクチン接種・・受けられますか』
と私は医院長より問われた。
 
『・・』
私としては珍しく、返答を濁したりした。

『確か調布市より郵送で、接種券が着いているはずですょ・・
早めに申し込まれた方がよろしいですょ・・』
と医院長から私は言われたりした。

私はワクチン接種に関して、昨年の2022年12月初旬に、
5回目までは積極果敢に接種してきたが、
やはり知人からワクチンの光と影を学んできたので、返事にためらったりした。

ここ数日、家内と一部の方にはワクチンは効果はない、むしろ害がある件で、
話し合ったりした。

そして大半の方には、多少効果があるならば、
私の糖尿病の予備軍、そして家内の大病後の状況・・配慮して、
私たち夫婦は、それぞれ第6回目の接種をしょう、と決断した。

そして本日、私は糖尿病の予備軍で通院している病院に行き、
第6回目の接種を、私は5月26日、家内は5月27日、
予約確定をした。



しかしながら新型コロナワクチンで、78歳の私は揺れる思い・・、
ためらいながら決断したことは、確かだよなぁ・・
と微苦笑したりしている。

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初めて独りで旅行に思い立ったのは、 昭和35年の高校1年の時、思い馳せたりして・・。

2023-05-07 14:29:43 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
今朝、6時半に目覚めたのであるが、
ぼんやりと布団の中で、まどろんだりしていた・・。

この時に、不意に若き頃の旅先が思いだされた・・。

私が初めて独りで旅行に思い立ったのは、
1960年(昭和35年)の高校1年の夏休みの時であった。



夜、晴海埠頭(はるみ・ふとう)から乗船し、早朝に伊豆大島を訪れた後、
観光船で伊豆半島の下田港に向かい、下田に宿泊する。
翌日は周遊観光定期バスで半島の西岸を北上しながら観光めぐりした後、
修善寺に宿泊した後は、帰京するプランであった。

このプランは、ご近所の旅行会社に勤めていた方から立案して頂き、
クーポン券のような周遊予約済の観光ルートであった。


旅行鞄のボストンバックを提げて、
ワイシャツと黒の長ズボン、革靴と通学とまったく同じ様な容姿で、
東京の晴海埠頭から東海汽船の観光船で、大島行きに乗船した。

確か夜の10時に出航し、翌朝の4時前に大島の岡田港の沖で着いて、
島の朝が動き始める6時頃に入港した、と記憶している。

この間の乗船していた時は、大部屋のゴロ寝のような感じで、
私は大広間の片隅に横たわり、警戒心もありボストンバックを握りながら、
不安げに眠れない深夜を過ごしたりした。

岡田港に下船した時、高波警戒の注意報の掲示板があり、
少し不安げに私は見つめていた。

私は午前中に大島の観光バスで半日周遊をした後、
午後、元町港から下田港行きの観光船に乗り、
下田の観光ホテルに予約済みであった。


このような思いがあったので、うつろな思いで、
初めての大島の情景を車窓から眺めていた。

半日周遊観光の終点は元町港であったが、
下田港方面は本日欠航、
と私は掲示板を見て、小心者の私はどうしょう、
と内心うろたえたりした・・。



しばらくした後、下田港、伊東港は欠航、
熱海港は2時過ぎに出航、と報じられた・・。

私は遠う廻りであったが、熱海港行きの観光船に乗船したが、
観光客で満席となり、私は客室に入らず、
ボストンバックを握り締め、サン・デッキ付近の小さな椅子に腰掛けた。


空一面は、わずかな雲で快晴の青空が拡がり、
私は燦燦と照り昼下りの陽射しを全身に浴び、
果てしなく海原が広がる情景を眺め、
そして潮風を受けながら、私は心身爽快な心となった・・。

この頃の時代は、俳優の加山雄三さんが演じた若大将シリーズ映画が、
盛んに映画館で上映されていた時代であったせいか、
海に魅了される人たちの思いも解かったように心持となったりした。




わずか1時間半ばかり航路であったが、
熱海港を下船後、私は東海バスの下田行きの路線バスの乗車場所を何とか探し、
乗り込んだりした。

この時代は、伊東から下田までの伊豆急行が開通前の時期で、
盛んに工事をしていたので、埃りっぽい中をバスで南下したのを、
おぼろげに記憶している。


下田に着いた後、予約した観光ホテルを探し当て、
大浴場で心身を清めていたが、余り疲れを感じることなく、
何とか予約した観光ホテルに着けた、という思いが強く、安堵したりした。

夕食の時、若き仲居さんから、
『何か・・お飲みものは・・』と私は訊(き)かれ、
『・・サイダー・・お願い・・』
と私は和服を召した綺麗なお姉さんの仲居さんに、
不馴れな浴衣姿で照れながら言ったりした。


この後の周遊は、予定通り順調であった。



私はまもなく16歳を迎える前、独りで初めての旅行をし、
今となっては、愛惜ある旅のひとつとなった。

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ときにはブログの投稿も拒否され、78歳の私は困苦して・・。

2023-05-06 23:29:11 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
本日の昼下り、私が所属しているブログの【 goo blog 】に於いて、
いつものように投稿文を書こうとしたが、なぜかしら編集画面の直前、
エラーと、困苦したりした・・。

やがて【 goo blog 】の管理元であり、『goo事務局 』宛に、
電子メールを送信した後、やがて回答を頂けたが、
齢ばかり重ねた私の理解不足の為、修正できずに、いる・・。

先程、なぜかしら通常通り編集画面より、
いつものように投稿文が記載できて、どうしたのかしら、
と思ったりしている。

いずれにしても、早めに完全復旧して、
明るく楽しい投稿文を日々投稿したいなぁ・・と思ったりしている。




今回、何よりも困苦したのは、平素は遅くても夕方まで、
私として一通は投稿しているので、読んでくださる御方に連絡する方法がなく、
ご心配をお掛けしている・・ことであった。

このような事情で、深くお詫びいたします。

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『こどもの日』、皐月(さつき)晴れとなり、天上の気候の神々も祝福して・・。

2023-05-05 17:12:33 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む78歳の年金生活の身であるが、
今朝、ぼんやりとカレンダーを眺めると、
『こどもの日』と朱記されていた・・。

そして小庭を眺めると、眩(まばゆ)い陽射し受けた朝を迎え、
小庭の樹木の枝葉は、清々しい潤(うるお)いのある情景となり、
数多くの新緑の葉はキラキラと光り帯びたりしていたので、
齢ばかり重ねた私でも、新緑に心まで染められたりしていた。

そして雲もなく澄み切った青空の皐月(さつき)晴れを眺めて、
『こどもの日』を迎え、天上の気候の神々も祝福して、何よりの贈り物をしてくれた、
と私は微笑んだりした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、息子、娘もいなく、
もとより孫もいなく、たった2人だけ家庭であり、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

そしてこの時節、『鯉のぼり』の情景を眺めると、
どのご家庭も楽し気に御過ごしていると思いながら、
微笑んだりする時もある。




こうした中で、そして好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。



本日は、近くに流れている野川の両岸には遊歩道があり、
この付近を下流に向かって、散策した・・。




こうした中、陽射しに向かい歩いているので、逆光であるが、
情景は一期一会であるので、撮ったりした。

そして遊歩道の片隅に、この季節にふさわしい草花を撮ったりした。










そして18年前の頃、10数棟のマンションが建った中、
広い小公園を提供して下さり、私の好きな散歩道のひとつとなっている。










まもなく野川のひとつの橋を渡る時、私は微笑んだりした・・。




ご家族で川遊びをされて、微笑ましく、こっそりと撮ったりした。

やがて対岸にある公園に立ち寄ったりした・・。













このような情景を見たりして、のんびりと一時間ほど散策した後、
帰路、スーパーに立ち寄り、柏餅のこしあん、つぶあんの詰め合わせ、そして草餅、
家内専用にモンブランのショートケーキを買い求めて帰宅した。
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都立『神代植物公園』の麗しき多彩なバラ、78歳の私は鑑賞して、微笑みを重ねて・・。

2023-05-04 21:24:52 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。 

今朝の4日の朝、ぼんやりと天気情報をテレビで視聴すると、
朝の6時は14度、昼下がりは24度、夜の6時は22度が予測され、
本日は『みどりの日』に相応(ふさわ)しく、雲ひとつない爽やかな晴れの間の一日となります、
と私には聞こえたりした。


私は午前中のひととき、独りで自宅の周辺3キロ以内にある遊歩道、小公園などを散策しているが、
過ぎし2日は都立の『神代植物公園』で、多彩なバラを撮ったりしたが、
ときおり風が強く、片思いのように花が傾いていることもあったりしたので、
敗者復活戦だ、と思いもあり、出かけたりした


 

★ 今回、掲載した写真のすべては、本日の4日に『神代植物公園』で撮ったものである ★


私の住む地域の都立『神代植物公園』に於いて、

数多くの薔薇(バラ)が披露される恒例の『バラフェスタ 』が、
春のひととき、そして秋のひととき、毎年開催されてきた・・。

もとより開花中は、百花繚乱のように多彩なバラの花が彩(いろどっているが、
毎年人出の多い中、ゆっくりと鑑賞が出来ないと思われる上、
今年の『春のバラフェスタ 』は5月9日より28日まで開催されるが、
事前に2日に訪れ、4月には5月のような陽気が幾たびもあり、満開の花もあったりした・・・。

 


私は1944年(昭和19年)の秋に、農家の児として長兄、次兄に続いて三男坊として生を受け、
そして妹ふたりの間に育ち、長年サンドイッチのような中で、過ごしてきた。

やがて小学2年生の頃から、父の妹である叔母が未婚だった当時、
都心に住んでいる友人が来宅して、私は言葉、しぐさ、表情に魅了されて、
素敵な綺麗なお姉さん・・と感じたりして以来、何かしら女性に憧憬を深めたりしてきた・・。  


       
     
私は幼年期に農家の児として育てられた為か、父の妹である叔母が畑の一角に、花壇を作り、
仏様とかお墓にささげる花を育てるのを見たりしてきたので、
里花には愛惜を秘めているひとりである。


或いは田圃(たんぼ)とか遊歩道の片隅に咲いている野花も恋しく、
長年に見惚(みと)れたりしている。


そして家内は中学生の頃から茶事を習ってきたので、私は婚約の頃から茶花を教えられて、
魅了されたりしてきた・・。

このように里花、野花、茶花に関しては、少しばかり知っているが、
洋花に関しては、殆ど無知な男である。


          

こうした中で、薔薇(バラ)の花に関しては、
何かしら気品のある女性が高価なドレスを召したような、

或いは裕福な家庭で育っている高嶺の花のような女性と感じたり、
私は定年退職した60歳の頃まで、近寄りがたく気後(きおく)れしまい敬遠してきた・・。

そして何かと卑屈と劣等感を秘めてきた私でも、
遅ればせながらイギリス、フランスなどの文化を知る為には、
やはり薔薇(バラ)は欠かせない、と確信を深めたりした。







やがて年金生活の60代に国内旅行で『バラ園』があった時、鑑賞する時もあったりし、

私の住む地域の都立『神代植物公園』に於いて、恒例の『春のバラフェスタ 』、『秋のバラフェスタ 』などで、
数多くの美麗な薔薇(バラ)を鑑賞して、感性の衰えた私でも、魅了されてきた。

何かしら公園のパンフレットには、
春のバラは409品種5,200余本、秋のバラは約300品種5,000余本、花期は年2回。
春は5月下旬の頃が盛りで、秋は10月中旬からです、と記載されていた。


          

今回、この時節に彩(いろど)る春のバラを鑑賞するのは、
ここ一カ月としては、地元の身の気安さから開催前に少し鑑賞してきたが、
     
やがてバラ園に着くと、お待ちしていましたわょ、と微笑まれたような
数多くの麗(うるわ)しきバラに、めぐり逢えた・・。




それぞれのバラの花形が美しく、
やはり高貴な女性の容姿だよねぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、

私は下男のように跪(ひざまず)いて、撮ったりした。
          


周辺にいる私と同世代の10数人は、カメラの愛好家にふさわしく、
一眼レフの中でも高価なカメラ、優れた望遠レンズを使用して、撮られたりしていた。

私の所有しているデジカメの性能、そしてデジカメの技量の乏しい私は、
せめてバラに魅了された若葉マークのような初心者として、
心の思いは誰よりも・・、と思いながら30数枚を撮ったりした。
                  


こうした中で、恥ずかしながら少しポケてしまった写真は3枚もあったりしたが、
こうしたことは高貴の女性の前では、私は幾つになっても、オドオドしてしまい平常心をなくしていた、
と後で気付いたりして、独り苦笑をしたりした。


                 


このように一時間半ばかり、麗(うる)しい数多くのバラに、

綺麗な高嶺の人、と思い深めて過ごしたりし、
感性の衰えた私でも、身も心も春麗なひとときを過ごせたなぁ・・
と心の中で呟(つぶや)いたりした。

 

 
この後は、園内でいつも鑑賞している野花、里花などを
遊学し、
やがて『神代植物公園』に別れを告げて、帰宅した。

余談てあるが、本日は『みどりの日』に伴い、都立の『神代植物公園』は、
無料の入園だっだ影響もあり、多くの御方が入園されていた。

そしてバラ園も多くの御方の一部の御方が、
バラに近寄ってスマホで撮影され、気弱な私は離れて撮らざるえなくなり、
幾たびも苦笑したりした。
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『みどりの日』、78歳の私は、由来を学び、やがて敬意を表して・・。

2023-05-04 15:41:30 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む78歳の年金生活の身であるが、
今朝、ぼんやりとカレンダーを眺めると、
『みどりの日』と朱記されていた・・。

私は何かと無知なことが多いので、遅ればせながら、
『みどりの日』の由来を調べたりした・・。

何かしらフリー百科事典として名高いウィキペディアによれば、
《・・小渕恵三官房長官私的諮問機関で有識者らによる
「皇位継承に伴う国民の祝日に関する法律改正に関する懇談会」で、
「昭和天皇は植物に造詣が深く、自然をこよなく愛したことから『緑』にちなむ名がふさわしい」
とする大勢の意見により定められた・・
》、
と初めて学んだりした。



やがて畏(おそ)れ多くも昭和天皇が、国民に願っていたことは・・
無力な私なりに思案したりした・・。
















このようなことを夢想したりした・・。
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