夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私の散歩道のひとつは、『植物多様性センター』と『神代植物公園』・・。

2023-05-03 23:38:16 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む78歳の年金生活の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、
古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、そして好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。


☆ 掲載したすべての写真は、5月2日に撮った ☆
 

私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に、
農家の三男坊として生を受けたりした。

やがて都心の高校に通学して以来、都心の底知れぬ魅力に圧倒的に魅了され、
通勤を含めて45年ばかり彷徨(さまよ)ったが、
定年後に年金生活を始めて、私の住む3キロ範囲を歩き廻るのが、
何よりも心身安らぎを得ている。
            

そしてここ10数年、デパートに買物、懇親会、冠婚葬祭などで都心に出れば、
人出の多さに疲れ果て、やがて我が家の最寄駅のひとつ『成城学園前』駅に降り立つと、
何故かしら安堵している。

こうした中は、自宅から3キロ範囲にある遊歩道、小公園、住宅街を歩いたりし、
ときには45分ばかり歩くと深大寺があり、隣接した処に都立・神代植物公園があり、
年金生活の中、幾たびも尋ねたりしてきた。


  

過ぎし私の中学時代は、自転車で通学した神代中学校であるが、
この当時、近くに開園する前の都立・神代植物公園になる雑木林の地域があり、
私は自転車で、下校後に学友と周辺を自転車で廻ったりしてきた・・。

やがて私は、1960年(昭和35年)の春に卒業して、
そして1961年(昭和36年)秋に、開園になったりしてきた。


この後、季節の変わるたびに訪れてきた・・。



やがて2004年(平成16年)の秋、ある民間会社を定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めると、
月に2回ぐらい訪れて、季節の移ろいを享受されたりした・・。
 
こうした根底には、小学生の頃までの生家の情景を思い馳せて、
心のふるさとの情景・・思い重ねたりしてきた・・。



こうした思いもあり、昨日の5月2日の午前中のひととき、
市内にある都立の『神代植物公園』に向かった。



いつものように最寄り駅のひとつの京王線の『つつじが丘』の駅前より、
路線バスで調布市の『総合体育館前』で下車した後、

体育館前のゆったりとした広場を通り過ぎたりした。

そして隣接の都立の『植物多様性センター』を散策し、
やがて都立の『神代植物公園』を数時間ぐらい遊学し、
この後は帰路の時に時折、『深大寺』に立ち寄り、参拝したりしている。


こうした中、今年は4月に5月のような陽気もあったりして、
数多く観られる落葉樹は、萌黄色から黄緑色にうつろい、
早くも昨今は新緑色に染められている。

或いは『シャクナゲ』、『ボタン』、『フジ』の花から、
『バラ』、『シャクヤク』、『サツキ』の時節の到来となり、
来る5月9日より28日まで、好例の『春のバラフェスタ』が開催予定となっている。




こうした中、公園内を歩き廻ったりした・・。









このような百花繚乱を鑑賞したりした・・。


 



 


 

このような中を歩き、心も身もゆだねて散策し、
やがて帰路に向かったりした・・。

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『憲法記念日』、憲法改正「賛成」が61%と学び、無力な私は微苦笑して・・。

2023-05-03 14:14:57 | 喜寿の頃からの思い

今朝、ぼんやりとカレンダーを見ると、
『憲法記念日』と朱記で明示されて、私は微苦笑したりした・・。

やがて配達された読売新聞の朝刊を見ると、
『 憲法改正「賛成」が61%
       露
侵略・コロナ影響
              本社世論調査 』
このような大きな見出しとなっていた。



私は1944年(昭和19年)9月下旬、
今住んでいる東京の調布市の近くある実家で、
農家の三男坊として生を受けたりした。

そして翌年の1945年(昭和20年)8月15日に、
日本は連合国に降伏し、敗戦となった時、
一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代のひとりである。

もとより
日本国憲法は、第二次世界大戦後、
日本を占領していた連合軍の総司令部であるGHQの監修下で、
「国民主権」、「平和主義」、「基本的人権の尊重」の三原則が制定され、
特に「平和主義」は、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという強い決意のもとで、
「戦争放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を定められた、
と後年、学んだりしてきた。

そして1946年(昭和21年)の「11月3日」に公布され、
1947年(昭和22年)の「5月3日」に施行となった、
と知ったりした。



私は地元の小・中学校を学んだあと、1960年(昭和35年)の4月、
都心にある高校に入学した。

そして小・中学校は通信簿『3』の多い劣等生だった私は、
初めて授業の楽しさを覚えてたりした。

こうした中で、読書にも目覚めて、岩波、新潮社の文庫本を愛読したりした・・。
しかしながら、6月中旬『新安保条約』阻止、自然成立の頃、
世の中の動きに無関心で、学校が休学となり、私は家で島崎藤村の『夜明け前』を読んでいた、
と記憶している。

まもなく私は、時事に関心を深めて、『朝日ジャーナル』なども愛読して、
1962年(昭和37年)10月の『キューバ危機』の時、
この世が終わってしまう・・と震えながら布団にもぐり、
やがて寝付いてしまった・・、記憶の片隅に残っている。

この後、ベトナム戦争、ケネディ大統領の暗殺、
やがて弟のロバート・ケネディも暗殺され、政治の社会の怜悧に震撼させられたりした。
この後、ベトナムの終末の頃から、政治への関心が薄れてしまった。



やがてアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、中国など
の主要国の歴史を書物で学んだり、

映画、テレビ番組、音楽からも多々教示されてきた・・。

こうした中で、主要大国は、政治、経済、軍事、社会、文化など歴然と保有して、
もとより国益を何よりも優先して、ときには衝突しても、互いに傷つくので、
出来る限り回避してきた。

しかし外交が破綻してしまうと、最悪の場合、戦争になってきた、と学んだりしてきた。

このようなことを漠然と、思い馳せたりした・・。



今回、日本に於いては、今回の読売新聞の世論調査に於いては、
憲法改正「賛成」が61%、と無力な私は学び、ただ微苦笑ばかりしている・・。

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