夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

マスク外したいが、気弱な78歳の私は、周囲の視線が気になり・・。

2023-05-31 13:28:41 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む78歳の年金生活の身であるが、
過ぎし3月13日より、屋外・屋外でも、
マスクの着用が個人の判断に委ねられるようになりました、
とテレビのニュースで報じられて、私は微苦笑した・・。

やがて
5月8日以降、感染法上の分類で「2類相当」に位置づけられていた新型コロナウイルスが、
季節性インフルエンザなどと同じ「5類」へと移行する、
と新聞などから学んできた。

しかしながら駅前の街中に、私は買い物に行ったりすると、
殆どの人が、従来通りマスクをしているので、
何かと気弱な私は、周囲の視線が気になり、マスクを付けて、
歩いたりしている。



過ぎし2020年2月より、新型コロナウイルスの烈風に伴い、
マスクの苦手な私は、外出する時は、やむなく生まれて初めてマスクをしてきた・・。


そして新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、
おひとりおひとりが、「相手と身体的距離を確保すること」、
「マスクの着用」、「三密(密集、密接、密閉)」を避けるといった、
国民の責務と思いながら、独りぼっちで出来る限り人影の少ない道を
選定して歩いたりしている。




こうした中、国が推薦するワクチン接種を6回受けたりして、
私は『新型コロナワクチン予防接種』を受けてきた・・。


そして各関係の専門の御方が一致団結して、医療体制を万全にして、
撲滅化を図り、
やがて政府より『新型コロナの終息』宣言を私は待ちわびている。


こうした根底のひとつには、私は園児、学童がマスクをしている状況は、
余りにも行動が制約され、痛ましく感じ、閉塞感を深めてきた・・。

もとより私だって、新型コロナ烈風の以前のように、
おおらかにマスクなしで、街中の食事処で、談笑しながら、
頂いたりすることを念願してきた・・。




私は我が家の平素の買物専任者で、スーパー、専門店に、
独りで行ったりしている。

ここ一週間、10分前後のスーパーに行き時は、
マスクを左手に提げて、大通りの歩道を歩いていく・・。

そして若い母親がベービー・カーを押してくる時、
或いは人出の多い時は、やむなくマスクをしている。

やがてスーパーの店内は、お店のそれぞれのスタッフの方達はもとより、
私たち買物客も、強制ではないが、暗黙の良識に従い、
マスクをしている。



帰路、幼稚園の近くを通ると、園内のグランドでは、
マスクなしに歓声をあげながら動き回っている園児たち・・、
先生、関係者のスタッフなどはマスクをして、数多くの園児を
あたたかく見守っている。

こうした数日後、この幼稚園の園児たちは、少し離れた公園に行く時は、
同じようにマスクなしで、歩いていた・・。
もとより先生、関係者のスタッフなどは、人出の少ない歩道を選定して、
園児が程々に列を乱さないように、誘導していた。

私は少し離れて、微笑ましく見守って、
やっと本来の園児たちのしぐさだ・・、と好感してきた。

しかしながら、新型コロナウイルスの烈風の以前のように、
マスク着用などは、風邪の人以外は見かけない世界だったが、
あの新型コロナウイルスの襲来から、たとえば人出の多い電車の車内、スーパーの店内など、
やはり私だって、周囲の視線が気になり、やはり同調してマスクを付けている・・。



これから何かのきっかけがなければ・・、
たとえば熱い日々が続き・・口の周りが汗ばみ・・、
マスクをはずす方が見られ、やがて街中の3割前後になった後、
お互いの黙認しながら、解放感も加わり、マスクなしの状況になる・・。

このようなことを夢想したりして、念願したりしている・・。
コメント (2)
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