夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

初めて独りで旅行に思い立ったのは、 昭和35年の高校1年の時、思い馳せたりして・・。

2023-05-07 14:29:43 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
今朝、6時半に目覚めたのであるが、
ぼんやりと布団の中で、まどろんだりしていた・・。

この時に、不意に若き頃の旅先が思いだされた・・。

私が初めて独りで旅行に思い立ったのは、
1960年(昭和35年)の高校1年の夏休みの時であった。



夜、晴海埠頭(はるみ・ふとう)から乗船し、早朝に伊豆大島を訪れた後、
観光船で伊豆半島の下田港に向かい、下田に宿泊する。
翌日は周遊観光定期バスで半島の西岸を北上しながら観光めぐりした後、
修善寺に宿泊した後は、帰京するプランであった。

このプランは、ご近所の旅行会社に勤めていた方から立案して頂き、
クーポン券のような周遊予約済の観光ルートであった。


旅行鞄のボストンバックを提げて、
ワイシャツと黒の長ズボン、革靴と通学とまったく同じ様な容姿で、
東京の晴海埠頭から東海汽船の観光船で、大島行きに乗船した。

確か夜の10時に出航し、翌朝の4時前に大島の岡田港の沖で着いて、
島の朝が動き始める6時頃に入港した、と記憶している。

この間の乗船していた時は、大部屋のゴロ寝のような感じで、
私は大広間の片隅に横たわり、警戒心もありボストンバックを握りながら、
不安げに眠れない深夜を過ごしたりした。

岡田港に下船した時、高波警戒の注意報の掲示板があり、
少し不安げに私は見つめていた。

私は午前中に大島の観光バスで半日周遊をした後、
午後、元町港から下田港行きの観光船に乗り、
下田の観光ホテルに予約済みであった。


このような思いがあったので、うつろな思いで、
初めての大島の情景を車窓から眺めていた。

半日周遊観光の終点は元町港であったが、
下田港方面は本日欠航、
と私は掲示板を見て、小心者の私はどうしょう、
と内心うろたえたりした・・。



しばらくした後、下田港、伊東港は欠航、
熱海港は2時過ぎに出航、と報じられた・・。

私は遠う廻りであったが、熱海港行きの観光船に乗船したが、
観光客で満席となり、私は客室に入らず、
ボストンバックを握り締め、サン・デッキ付近の小さな椅子に腰掛けた。


空一面は、わずかな雲で快晴の青空が拡がり、
私は燦燦と照り昼下りの陽射しを全身に浴び、
果てしなく海原が広がる情景を眺め、
そして潮風を受けながら、私は心身爽快な心となった・・。

この頃の時代は、俳優の加山雄三さんが演じた若大将シリーズ映画が、
盛んに映画館で上映されていた時代であったせいか、
海に魅了される人たちの思いも解かったように心持となったりした。




わずか1時間半ばかり航路であったが、
熱海港を下船後、私は東海バスの下田行きの路線バスの乗車場所を何とか探し、
乗り込んだりした。

この時代は、伊東から下田までの伊豆急行が開通前の時期で、
盛んに工事をしていたので、埃りっぽい中をバスで南下したのを、
おぼろげに記憶している。


下田に着いた後、予約した観光ホテルを探し当て、
大浴場で心身を清めていたが、余り疲れを感じることなく、
何とか予約した観光ホテルに着けた、という思いが強く、安堵したりした。

夕食の時、若き仲居さんから、
『何か・・お飲みものは・・』と私は訊(き)かれ、
『・・サイダー・・お願い・・』
と私は和服を召した綺麗なお姉さんの仲居さんに、
不馴れな浴衣姿で照れながら言ったりした。


この後の周遊は、予定通り順調であった。



私はまもなく16歳を迎える前、独りで初めての旅行をし、
今となっては、愛惜ある旅のひとつとなった。

コメント (2)
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