夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

台所で皿洗いをする時、楽しきひとときだなぁ、と老ボーイの私は微笑みを重ねて・・。

2018-02-19 13:53:35 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の14年生の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、遠い地に独り住まいをしている家内の母宅に、
家内は家内の妹で交互に、介護に泊りがけで行く日もあり、

こうした時は私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。

食事に関しては、平素と殆ど変わりなく食べたりしているが、
夕食用として家内が準備してくれた料理を主体に食べたりしている。

そして4泊以上になる時は品切れとなり、
私がスーパーのお惣菜(総菜と同意語)売場で買い求めた品を並べて

食べているのが実態となっている。

こうした中で、平素の買物は、年金生活を始めた当初より、せめて買物ぐらいは私がするよ、
と自主宣言をして、家内から依頼される品を求めて、私は独りでスーパー、専門店に行っている
買物メール老ボーイなのであり、苦も感じることなく、ここ数年はベテランかしら、と微笑む時もある。

      

昨日の昼食は、昨年の10月からの定番、ヨーグルトを箱の二分の一を食べた後は、
リンゴを一個ばかり頂いたりした。
     
この後、台所に行くと、大皿、小皿、小鉢、茶碗、グラスなどが散乱していたので、
恥ずかしながら一日一回だけ、台所を整理した・・。

私はカーディガン風のフリースを脱いで、冬用のスポーツシャツを腕まくりして、
家内から借りた可愛らしいエプロンを着たりした。

そして『燃えるゴミ』、『燃えないゴミ』、『プラスチック』などを整理した後、
瞬間湯沸かし器の温かなお湯と石鹸で、手を清めたりした。

まもなく食器専用の洗剤液をスポンジにたらし、大皿、小皿、小鉢、茶碗、グラスなど
丁重に擦(こすっ)たりした後、瞬間湯沸かし器で少し温かなお湯で
盛大に洗い清めたりした・・。

      


こうした時、どうした心情が解からないが、

♪嵐も吹けば 雨も降る・・と大津美子さんの『ここに幸あり』の歌を、かぼそい声で唄っていた。

そして♪・・女の道よ なぜ険(けわ)し  君をたよりに わたしは生きる・・
と唄ったりした。

この数分後、家内や私の妹も団塊世代の人であり、専業主婦が多く、
妻が専守防衛長官ように家庭内を維持管理していたので、もとより発言力も増し、
まして平成の時代になると、共稼ぎの多い時代に変貌してきたので、
この歌の内容は、死語だょねぇ、と苦笑したりしていた。

そして私は微苦笑しながら、確か1956年(昭和31年)の私が小学5年生の時に、
ラジオから盛んに流れていた歌だったので、
俺も古い人間でやはり齢は隠せない・・、と思ったりした。

やがて家内から教えてもらった通り、忠実に食器はもとより、包丁、まな板、スポンジなどは、
丁重に洗い清めて、乾燥できるようにした。

まもなく、台所が少しばかり綺麗になり、独り微笑んだりした・・。

こうした根底のひとつには、過ぎしサラリーマンの時代は何かと悪戦苦闘が多かった為か、
成果が素直に現れるので、私としては楽しい時となっている。

      


こうした独りぼっちの『おひとりさま』の私が、台所で皿洗いをする時は、
何故かしら歌を唄う時が多いである・・。

しかながら、こうした時に恥ずかしい思いを私は秘めたりしている。

確か8年前の4月下旬に於いて、やはり家内が留守なので、昼食後のひととき、 私は台所に立った。

台所のひとつの戸を開け、そして前掛けをして、腕まくりをした後、皿洗いなどをした・・。
こうした中、CDラジカセを持ち込んで、一枚のCDをセットした・・。

少し山積みとなった大皿、小皿、丼ぶり、小鉢などを水道水を盛大に出しながら、
スポンジでこすり洗ったりしながら、心の中は、さぁ~いくぞ・・という心境であった。

私がセットしたCDは、ハードロック・グループの『X JAPAN』のひとつのアルバムであった。
過ぎし1997年(平成9年)の頃に、当時52歳の私でも瞬時に魅了され、
遅ればせながら『X JAPAN』に夢中になり、帰宅するたびに殆ど毎晩、2時間ぐらい聴きこんだりしていた。

こうした体験を秘め、平熱になった定年後の年金生活でも、ときおり余韻のように聴いたりしている。

そして私が唄ったのは、高校野球の応援歌で、演奏されたりしている『紅(くれない)』であった・・。

                  

♪紅に染まったこの俺を慰める奴はもういない
・・・
【『紅』 作詞・作曲 YOSHIKI】

この後、台所専用の洗剤で皿などをこすった後は、水洗いを盛大にしたのであるが、

♪もう二度と届かないこの思い
 閉ざされた愛に向かい
 叫びつづける
・・・
【『紅』 作詞・作曲 YOSHIKI】

この歌に準拠して、ボーカルのTOSHIに負けじと私なりに唄い続けた・・。

私は水洗いをしながら、この歌を『一曲繰り返し』セットし、唄い続けたのであるが、
不思議ながら合致するのである。

もとよりバラードであると、聴き込んでしまうので、
程々のハード・ロックが心身の波長に合うと、小綺麗になった台所で、独り微笑んだりした・・。

                  

この後、台所の戸を更に大きく開け、西陽をぼんやりと眺めていたら、
玄関のチャイムが、コッキラ・・コ~ン!・・、と鳴り出した・・。

私は玄関が見える洗面所の窓から、そぉ~と見たら、
30歳前後の麗(うるわ)しい御婦人が幼児の女の子を伴い、立っていた。

私は自治会の役員の御方が、共同募金の収集でお見えになったのだ、と解かったが、
この御婦人の表情、言葉、しぐさも私は好感していたので、
私は前掛けと腕まくりの容姿としては、少しあわてたりした。

そして、私は『はぁ~い』と明るく大声で言いながら、前掛けを取り、応対したりした・・。

もしも私は15分ほど早かったら、『X JAPAN』と共に、大声で唄っていたので、
もとより見せられる格好でなく、今であってよかったよなぁ・・、
と心の中で呟(つぶや)いたした苦い体験があったりした。
       

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