夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

団塊世代の諸兄諸姉、70代の仲間入りが多くなり、73歳の私は微笑みを重ねて・・。

2018-02-20 14:43:27 | ささやかな古稀からの思い

本日の午前中のひととき、私はいつもの通り、野川の遊歩道を散策していると、
ご近所のご主人が奥様と散策されて、偶然に逢って立ち話をしたりした。

ご主人は、昨日に古希を迎えられた、と照れながら私に打ち明けて下さり、
私は70歳になられたご主人に、
おめでとうございます・・70代も楽しき日々ですよ・・私は微笑みながら言ったりした。

やがて私たちは別れて、私はこのご夫婦の仲良し後ろ姿に好感しながら、
70代の仲間入りが、また増えた、と私は微笑んだりした・・。

       

私は1944年(昭和19年)の9月に農家の三男坊として、生を受けた身である。

やがて私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、

この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
                          
そして年金生活は、現役サラリーマン時代は何かと悪戦苦闘が多かった為か、
予測した以上に安楽な生活を享受して、早や14年目となっている。

       

過ぎし2012年(平成24年)の晩春の頃、団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年、
と雑誌を読んで教えられ、思わず微笑んだりした。

私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くの御方は60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳になった今日、セカンドライフと称せられる年金生活を迎えられた、と私は解釈したりした。

こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。

もとより60代は、ゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。

私は25歳の時に中途入社し、何かと職場に団塊世代の諸兄諸姉の新卒の方が多く、
時代の空気を共にしてきたので、何かと親近感が増し、好感したりしてきた。

その上、私の妹のふたりは1947年(昭和22年)の1月生まれ、
1948年(昭和23年)の10月生まれ、そして私の家内も1949年(昭和24年)の12月生まれであり、
私は何かと団塊世代の御方には、注視したりしてきた。

             
私たち夫婦の日常に関しては、このサイトで幾たびも投稿を重ねてきたで、
今回は省略する。

       

過ぎし2017年3月15日に総合教養雑誌『サライ』がネットで配信された記事の中に於いて、
70代は「黄金の10年」、一節があり、私も微笑んだひとりである。

《・・子育てや親の介護といった困難を乗り越えた安心感もあり、
幸福感は70代に入ってからも上昇し続けます。
生活の自由度が増し、夫婦関係も心地よく、良い意味でお互いを頼りにする年代です。

老いを実感する瞬間は、たまにあるかもしれませんが、日常のほとんどのことは支障なくこなしていけます。
その上で「円熟期」に入った手応えがあれば、老化に対する漠然とした不安に悩むことはないでしょう。

祖父母としての務めを果たしたり、ボランティア活動をするなど、目的意識を持つことが、
この世代の幸福感につながります。
             
豊かな人生経験に裏打ちされたあなたの意見や考えに、多くの人が耳を傾けるでしょう。
あらゆる場面で意見を求められるかもしれません。

その反面、若い時に加齢への偏見が根付いている人は、
自らの偏見が自分へ向かい、老人性うつ病のリスクが高まることもあります。

その他、一般的な幸福度は健康の問題に直結し、健康管理ができる環境や信頼できる医師がいるかどうかで、
生活の満足感が左右されます。

健やかに長生きする秘訣は、自分のライフスタイルに目を配り、見通しを持つことです。
刺激を求めたり、人づきあいや親密な触れあいを持つことで、余生はいっそう楽しいものになります。・・》

       

或いは昨年の9月、楠木新さんが著作された『定年後』(中公新書)を読んだりすると、
《・・60歳が定年だとすると、家族の扶養義務からも解放されて、
かつ他人の介助も受けずに裁量をもって活動できる75歳位までは案外と長い。

それを「黄金の15年」にできるなら、人生の締めくくりとして素晴らしい。
では、その15年をどのように生きるか。・・》

何はともあれ、私は70代を三年ばかり過ごしているが、
裕福には無縁な私でも、年金生活を過ごす中で、楽しき日々を享受している。


こうした中で、私は団塊の世代に関しては、
過ぎし2006年〈平成18年〉8月下旬、年金生活丸2年を迎えようとした時、
山口文憲(やまぐち・ふみのり)さんの著作『団塊ひとりぼっち』(文春新書)を読んだりした。       

その後、三浦展(みうら・あつし)さんの著作『団塊格差』(文春新書)を読んだりした。

そして不運にも生活に困窮される御方、或いは充実感のない御方の実態は学んだり、私の知人もいるし、
すべて団塊の世代の御方が、バラ色とはいえない人生を過ごしている御方も少し知っている。。

       

私は今年の9月の誕生日を迎えると、恥ずかしながら74歳となる。

過ぎし年にゴールデン・イヤーズと称される60代を卒業し、
定年退職をするまで、何かとつたないサラリーマン航路を歩んだ為か、
我が人生として、予測した以上に安楽な期間を享受できたりしてきた・・。

そして70代を過ごし始めると、ときには60代の日々に愛惜を重ねたり、
これから到来する日々に期待を膨らましたり、微笑んだりしている。

或いは、ときおり物忘れもあり、やむなく人生は気合だ、と自身を叱咤激励をしりしてきた。

こうした中、70代を迎えてからは、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるようにと願いながら
プラス思考で過ごしているのが実態となっている。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。

       

こうした中、私と同世代の御方が、不運に大病されて亡くなわれた御方は、
私の友人、知人にも8名いたり、或いは大病で入院されている御方もいる。

私はそれぞれの御方がこの世を去る御歳は、確かに日頃の自助努力も大切であるが、
こればかり神様か仏様の采配に寄るものだ、と友人や知人の御通夜、告別式に参列して、
うなだれながら思い深めたりしてきた。

しかしながら長寿社会の今日、殆どの70代の御方は、身体の衰えを実感しながらも、
溌溂と日々を過ごしているのが実態と思えて、私なりに70代の仲間として、
ときには友人、知人と談笑したりして、私は楽しい日々を享受している。


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