私は東京の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
昨日の昼食後、冬晴れの風もない恵まれた中、 自宅の近くに流れている野川の遊歩道を散策した・・。
そして付近にあるベンチに座り、お正月の行事も終わり、
心身ともに日常の生活に戻った、と暖かな陽射しを受けて、ぼんやりと思ったりした。
そして働いて下さる諸兄諸姉に感謝しながら、
こうしてのんびりと時間を共に過ごせることに、この世の最上のひとときかしら、
実感を深めたりした。
こうしてぼんやりとしていると、確か今日は1月7日だったなぁ、
と何かと緊張感を失くしている私は思い、そして確か昭和天皇がご逝去された日だった、
と思いだして微苦笑したりした・・。
そしてこうした大切な日を遅ればせながら気づいたりしたので、
少しボケてきてしまったのかしら、
私自身も昭和の時代も遠くになってしまったのかしら、と独り微苦笑したりした。
そしてベンチから立ち上がり歩きだした・・。
私は1944年〈昭和19年)の初秋に東京郊外で農家の三男坊として生を受け、
天皇家には何かと敬(うやま)う空気の中で家庭で育ち、
昭和天皇に関しては、私の40代かばまで『昭和』の時代で過ごしたので、
もとより自己形成、歴史観などで、多大な影響を受けていた。
1988年(昭和63年)の晩秋、この当時の私は、音楽業界のあるレコード会社に勤務して15年が過ぎ、
管理部門の情報畑で、翌年の4月より実施される『消費税』のシステム対応の開発に追われていた。
こうした中で、昭和天皇が病状が悪化し、社会は何かと自粛の空気につつまれていた・・。
そして、私の勤めていた会社でも、音楽の世界では世界的な有名な『ボン・ジョヴィ』と命名したロック・グループが、
日本のある大手家電メーカーが強力なスポンサーとなり、
年末に日本で公演されることになり、テンカウントダウンを華はなしく実施する予定が、なぜか中止となり、
せっかくのチャンスだったのに、と私なりに落胆をしたりしていた・・。
そして1989年(昭和64年)の1月7日の朝、
私は昭和天皇が崩御された、とNHKのテレビのニュースで視聴し、
とうとう陛下様は亡くなわれてしまった、というのが率直な思いであった。
私はいつものように出社し、社内の恒例の朝礼の時、
専務取締役の指示で、フロアーを共にした各部署の一同は、皇居の方面に向かい、黙祷をささげた。
その後の私は、4月から『消費税』の対応策で多忙な身である上、
更に『昭和』から新たな『平成』と制定されると、
コンピュータの和暦の表示を『請求書』に至るまで改定したので、慌しい日々を過ごしていた。
こうしたこともあるが私の心情は、平成元年といわれるより、
昭和64年といった方が心身の波長が合うので、何かしら戸惑ったのは事実である。
もとより平成の時代は、昭和天皇がご逝去されたのが1989年(昭和64年)1月7日により、
平成元年は1月8日から初まり、早くも本年は平成26年を迎えている。
私は平成の時代の始まりを思う時、
何故かしら1989年(平成元年)11月9日から東ドイツが
市民に寄る『ベルリンの壁』を実質的に撤去の出来事と重ねてしまう・・。
この後、米ソの冷戦構造が終結され、世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済、
やがて社会が一変したからである。
このした中で、私たち日本の生活に於いて急速に変貌したのは、アナログからデジタルに変貌したこと、
そして水をペットボトルなどで購入したことなどを思い馳せたりした・・。
音楽愛好者からすれば、音楽の録音品のレコード、カセットはCDに普及して平成を迎え、
録画のビデオ・テープは平成になってまもなくDVDに変貌し、昨今はブルー・ディスクも普及している。
そして音楽配信が携帯電話が主流で普及し、昨今はスマートフォンに活性化の時代を迎えている。
何よりも国民全体すれば、圧倒的に社会を変貌させたことはパソコンが普及し、インターネットの急激な浸透である。
1995年(平成7年)の秋に『Windows 95』が発売され、
それまでのパソコン愛好者、専門職を領域から、一般の方も買い求めて、大衆化したことである。
そして、これに連動して、インターネットが急激に普及し、やがてネット通販の隆盛となっている。
もうひとつの変貌は、モバイル情報の発生であり、携帯電話の急激に普及であり、
そしてここ3年前の頃からは、スマートフォンに活性化の時代を迎えている。
映画のオリバー・ストーン監督の『ウォール街』は、1987年(昭和62年)にアメリカで公開された作品であるが、
怜悧で貪欲な投資銀行家が、浜辺で大きな携帯電話を持ち、会話しているシーンがある。
確か、この頃は大きめのラジカセのような形の携帯電話であり、破格な高価な品であった。
平成になると、形も性能も向上、価格も廉くなり、昨今は日本で一億台突破となり、
殆どの日本人が愛用し、ここ数年は高性能のスマートフォンの急速に普及となっている。
こうした世情を見てきた私は、20世紀の時代はテレビと原子爆弾の世紀だった、といわれたりしているが、
こうしたことを流用すれば、
平成の時代は、ネットとモバイルの代表の携帯電話、と秘かに断言している。
こうした中で、何よりも変貌の実感をさせられたことは、
一部の専門のマスコミ、著名人などから発信できる時代から、
誰でも簡易に発信できる時代となり、こうしたことは文明史上初めてのことである。
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職し、ホームページの開設を思案したりしていた。
しかしながらネットの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、と躊躇していた時に、
偶然、11月の上旬に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知ったのである。
『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、別冊インターネット・マガジンであった。
そして私はブログの多くは匿名制度であるが、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のこと、日々思い思索していること、果てには政治の分野まで自在に発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると決意したのである。
これ以降、ブログ、ブログに準じたサイトに、4つばかり加入し迷走しながらも、
このサイトに日々投稿して、早くも9年か過ぎている。
もとより、大手のメディアのテレビで報じられるニュースは編成権、
新聞、総合月刊雑誌、週刊誌などの活字分野に於いても、専門知識を有した人たち、
これに準じた記者、編集者などが綴られた上で、厳然たる編集権の下で、公表されている。
ブログの世界は、大手メディアの良悪の自己規制で公表されるのと違い、
個人のあらゆる分野のあふれだす思いを自由自在に発露された内容と思え、
このようにブログの投稿者自身は、たとえ匿名制度が多い中でも、
程ほどの理性と感情を交えながら、自由自在に自己責任の下で、投稿できるのが本来の意義である、
と思っているのである。
もうひとつの日常生活に於いて、水を買い求める時代である。
『缶』から『ペットボトル』に変貌しているが、私は日常の外出先とか旅先で、
自動販売機で煎茶のペットボトルを買い求めることが多い。
これも平成の時代の始まりの頃からと記憶している。
そして私は煙草の愛煙家のひとりであるが、日本に嫌煙ブームが始まったのも平成になってからである。
喫茶店でテーブルの上には、灰皿と喫茶店独自のマッチが置いてあったりした。
飛行機の機内でも水平飛行になれば、スーモキング・ランプが点(つ)いたり、
そしてJR(旧・国鉄)長距離列車の車内の座席の脇に灰皿が設置されたりして、
ときおり煙草を喫う方が見られたりした。
私がギックリ腰が酷く入院生活を1991年(平成3年)の当時は、
整形外科のフロアーの片隅に喫煙コーナーがあり、
煙草を吸わない人でも、何かと寂しいのか、憩いの場として団欒し、談笑を重ねたりした。
私は定年退職した2004年〈平成16年〉後は、
年金生活をしているので社会状況に疎(うと)く、もとより若き諸兄諸姉はご存知であるから、省略する。
私はかの大戦の一年前に生を受け、悲惨な戦争の実感は無知であるが、
その後の敗戦後から昭和の時代は45年ばかり過ごしてきたので、
もとより多々の思いでもあり、愛惜を秘めているひとりである・・。
こうした心情のある私は、思いつくまま馳せたりし、とりとめなく綴ってきた・・。
昭和の時代が終わり、平成の時代になってから大きく変貌したことは、
私は何より社会が劣化し、言葉、しぐさが雑になった、と憂(うれ)いたりしている。
そして平成の時代に育ち、現在は10代、成人となられた世代の方たちに、
たとえば映画の小津安二郎・監督の『東京物語』(1953年=昭和28年)を観た時、
どのように思われるかしら、と齢ばかりを重ねた69歳の私は限りなく関心があり、
微苦笑を重ねたりしている・・。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪strong>
にほんブログ村
昨日の昼食後、冬晴れの風もない恵まれた中、 自宅の近くに流れている野川の遊歩道を散策した・・。
そして付近にあるベンチに座り、お正月の行事も終わり、
心身ともに日常の生活に戻った、と暖かな陽射しを受けて、ぼんやりと思ったりした。
そして働いて下さる諸兄諸姉に感謝しながら、
こうしてのんびりと時間を共に過ごせることに、この世の最上のひとときかしら、
実感を深めたりした。
こうしてぼんやりとしていると、確か今日は1月7日だったなぁ、
と何かと緊張感を失くしている私は思い、そして確か昭和天皇がご逝去された日だった、
と思いだして微苦笑したりした・・。
そしてこうした大切な日を遅ればせながら気づいたりしたので、
少しボケてきてしまったのかしら、
私自身も昭和の時代も遠くになってしまったのかしら、と独り微苦笑したりした。
そしてベンチから立ち上がり歩きだした・・。
私は1944年〈昭和19年)の初秋に東京郊外で農家の三男坊として生を受け、
天皇家には何かと敬(うやま)う空気の中で家庭で育ち、
昭和天皇に関しては、私の40代かばまで『昭和』の時代で過ごしたので、
もとより自己形成、歴史観などで、多大な影響を受けていた。
1988年(昭和63年)の晩秋、この当時の私は、音楽業界のあるレコード会社に勤務して15年が過ぎ、
管理部門の情報畑で、翌年の4月より実施される『消費税』のシステム対応の開発に追われていた。
こうした中で、昭和天皇が病状が悪化し、社会は何かと自粛の空気につつまれていた・・。
そして、私の勤めていた会社でも、音楽の世界では世界的な有名な『ボン・ジョヴィ』と命名したロック・グループが、
日本のある大手家電メーカーが強力なスポンサーとなり、
年末に日本で公演されることになり、テンカウントダウンを華はなしく実施する予定が、なぜか中止となり、
せっかくのチャンスだったのに、と私なりに落胆をしたりしていた・・。
そして1989年(昭和64年)の1月7日の朝、
私は昭和天皇が崩御された、とNHKのテレビのニュースで視聴し、
とうとう陛下様は亡くなわれてしまった、というのが率直な思いであった。
私はいつものように出社し、社内の恒例の朝礼の時、
専務取締役の指示で、フロアーを共にした各部署の一同は、皇居の方面に向かい、黙祷をささげた。
その後の私は、4月から『消費税』の対応策で多忙な身である上、
更に『昭和』から新たな『平成』と制定されると、
コンピュータの和暦の表示を『請求書』に至るまで改定したので、慌しい日々を過ごしていた。
こうしたこともあるが私の心情は、平成元年といわれるより、
昭和64年といった方が心身の波長が合うので、何かしら戸惑ったのは事実である。
もとより平成の時代は、昭和天皇がご逝去されたのが1989年(昭和64年)1月7日により、
平成元年は1月8日から初まり、早くも本年は平成26年を迎えている。
私は平成の時代の始まりを思う時、
何故かしら1989年(平成元年)11月9日から東ドイツが
市民に寄る『ベルリンの壁』を実質的に撤去の出来事と重ねてしまう・・。
この後、米ソの冷戦構造が終結され、世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済、
やがて社会が一変したからである。
このした中で、私たち日本の生活に於いて急速に変貌したのは、アナログからデジタルに変貌したこと、
そして水をペットボトルなどで購入したことなどを思い馳せたりした・・。
音楽愛好者からすれば、音楽の録音品のレコード、カセットはCDに普及して平成を迎え、
録画のビデオ・テープは平成になってまもなくDVDに変貌し、昨今はブルー・ディスクも普及している。
そして音楽配信が携帯電話が主流で普及し、昨今はスマートフォンに活性化の時代を迎えている。
何よりも国民全体すれば、圧倒的に社会を変貌させたことはパソコンが普及し、インターネットの急激な浸透である。
1995年(平成7年)の秋に『Windows 95』が発売され、
それまでのパソコン愛好者、専門職を領域から、一般の方も買い求めて、大衆化したことである。
そして、これに連動して、インターネットが急激に普及し、やがてネット通販の隆盛となっている。
もうひとつの変貌は、モバイル情報の発生であり、携帯電話の急激に普及であり、
そしてここ3年前の頃からは、スマートフォンに活性化の時代を迎えている。
映画のオリバー・ストーン監督の『ウォール街』は、1987年(昭和62年)にアメリカで公開された作品であるが、
怜悧で貪欲な投資銀行家が、浜辺で大きな携帯電話を持ち、会話しているシーンがある。
確か、この頃は大きめのラジカセのような形の携帯電話であり、破格な高価な品であった。
平成になると、形も性能も向上、価格も廉くなり、昨今は日本で一億台突破となり、
殆どの日本人が愛用し、ここ数年は高性能のスマートフォンの急速に普及となっている。
こうした世情を見てきた私は、20世紀の時代はテレビと原子爆弾の世紀だった、といわれたりしているが、
こうしたことを流用すれば、
平成の時代は、ネットとモバイルの代表の携帯電話、と秘かに断言している。
こうした中で、何よりも変貌の実感をさせられたことは、
一部の専門のマスコミ、著名人などから発信できる時代から、
誰でも簡易に発信できる時代となり、こうしたことは文明史上初めてのことである。
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職し、ホームページの開設を思案したりしていた。
しかしながらネットの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、と躊躇していた時に、
偶然、11月の上旬に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知ったのである。
『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、別冊インターネット・マガジンであった。
そして私はブログの多くは匿名制度であるが、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のこと、日々思い思索していること、果てには政治の分野まで自在に発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると決意したのである。
これ以降、ブログ、ブログに準じたサイトに、4つばかり加入し迷走しながらも、
このサイトに日々投稿して、早くも9年か過ぎている。
もとより、大手のメディアのテレビで報じられるニュースは編成権、
新聞、総合月刊雑誌、週刊誌などの活字分野に於いても、専門知識を有した人たち、
これに準じた記者、編集者などが綴られた上で、厳然たる編集権の下で、公表されている。
ブログの世界は、大手メディアの良悪の自己規制で公表されるのと違い、
個人のあらゆる分野のあふれだす思いを自由自在に発露された内容と思え、
このようにブログの投稿者自身は、たとえ匿名制度が多い中でも、
程ほどの理性と感情を交えながら、自由自在に自己責任の下で、投稿できるのが本来の意義である、
と思っているのである。
もうひとつの日常生活に於いて、水を買い求める時代である。
『缶』から『ペットボトル』に変貌しているが、私は日常の外出先とか旅先で、
自動販売機で煎茶のペットボトルを買い求めることが多い。
これも平成の時代の始まりの頃からと記憶している。
そして私は煙草の愛煙家のひとりであるが、日本に嫌煙ブームが始まったのも平成になってからである。
喫茶店でテーブルの上には、灰皿と喫茶店独自のマッチが置いてあったりした。
飛行機の機内でも水平飛行になれば、スーモキング・ランプが点(つ)いたり、
そしてJR(旧・国鉄)長距離列車の車内の座席の脇に灰皿が設置されたりして、
ときおり煙草を喫う方が見られたりした。
私がギックリ腰が酷く入院生活を1991年(平成3年)の当時は、
整形外科のフロアーの片隅に喫煙コーナーがあり、
煙草を吸わない人でも、何かと寂しいのか、憩いの場として団欒し、談笑を重ねたりした。
私は定年退職した2004年〈平成16年〉後は、
年金生活をしているので社会状況に疎(うと)く、もとより若き諸兄諸姉はご存知であるから、省略する。
私はかの大戦の一年前に生を受け、悲惨な戦争の実感は無知であるが、
その後の敗戦後から昭和の時代は45年ばかり過ごしてきたので、
もとより多々の思いでもあり、愛惜を秘めているひとりである・・。
こうした心情のある私は、思いつくまま馳せたりし、とりとめなく綴ってきた・・。
昭和の時代が終わり、平成の時代になってから大きく変貌したことは、
私は何より社会が劣化し、言葉、しぐさが雑になった、と憂(うれ)いたりしている。
そして平成の時代に育ち、現在は10代、成人となられた世代の方たちに、
たとえば映画の小津安二郎・監督の『東京物語』(1953年=昭和28年)を観た時、
どのように思われるかしら、と齢ばかりを重ねた69歳の私は限りなく関心があり、
微苦笑を重ねたりしている・・。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪strong>
にほんブログ村