第5章 『さっぽろ雪まつり』を鑑賞、その後は
2月6日
私たち夫婦が定山渓温泉地に2月2日から15日まで滞在している中、
札幌の市内に於いて、『第65回さっぽろ雪まつり』が5日(水)から11日(火・祝)の7日間で、
大通会場、つどーむ会場、すすきの会場で開催される、旅立つ前から知っていた。
そしてこの間に『雪まつり』を観ようと、この6日に大通会場に向った・・。
私たち夫婦は宿泊している近くの『定山渓車庫前』のバス停より、路線バスに乗り、
地下鉄の南北線の『真駒内』駅に向かい、その後『真駒内』駅から『大通』駅に着いたが、
やはり札幌市内として屈折の『さっぽろ雪まつり』であり、多くの鑑賞客でにぎわっていた・・。
私たち夫婦が初めて『さっぽろ雪まつり』を鑑賞したのは、
確か15年前の頃、勤めていた会社の勤続30年の特別休暇5日間を利用して、
私はオーホック海の流氷、家内は札幌の雪まつりを目的に2月初旬に旅をした時であった。
この時は網走の郊外の能取岬の近くの観光ホテルに2泊し、知床半島の付け根の宇登呂(ウトロ)の近くで、
厳粛な流氷の状景に感銘させられた後、『網走』駅より日中に於いて特急列車で『札幌』駅に着き、
そして小樽でシティホテルで宿泊した後、札幌に移動した後、シティホテルにチェックイン後に、
『さっぽろ雪まつり』の開催前日の状景を鑑賞したりした。
そして翌日の『さっぽろ雪まつり』の開催日に、大通会場で拝見した・・。
人出の多い中、雪像も多かったが、家内が以前テレビで中継された時よりも、
華やかさが足りないわ、と私に言ったりした。
そして私は、以前のバブル時代の経済狂乱記より、少ないのは当然だし・・
このくらい良いのではないかしら、と私は家内に言ったりし、2時間ばかり鑑賞した。
やがて付近の自衛隊の基地でも雪まつりに協賛した祭りがあると学び、
私たちは地下鉄の南北線の『自衛隊前』駅で下車して、
自衛隊の貴地は私たちような国民にも、この祭りの時は解放されていた。
そして自衛隊の歴史の歩みなど多々教示させられたが、
何よりも魅了させられたのは、若き10代、20代の溌剌とした自衛隊諸兄諸姉の言動であり、
私は圧倒的に好感した。
こうした私のささやかな雪まつりの思いが根底にあり、今回の『第65回さっぽろ雪まつり』を
拝見した・・。
そしてそれぞれの雪像は鋭意工夫されていたが、やはり平成の始めの頃までのバブル時代、
やがてデフレの15幾余年・・政治は混迷、経済は衰退、社会は劣化した結果、
何かしらコンパクトになったのは、致しがたい、と私は感じたりした。
こうした中で、札幌市の小学低学年の児童が、社会見学の授業の一環かしら、
数校に及び多くの児童を見かけて、私は好感したりした。
或いは園児と思われる幼い児も見かけて、私は雪像よりも圧倒的に魅了されて、
プライバシー侵害もあるので、こっそりと撮ったりした。
そして園児が幼いなりに創意を秘めたペンギン雪像を見かけて、可愛いよ、と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。
この会場で私たち夫婦が微苦笑させられたひとつがある。
記念写真・・無料ですが、いかがですか?、と勧誘させられて、
私たち夫婦は撮って頂いた。
そして写真の受領場所に移動した時、一枚の写真のバネル状にしたのを頂いたが、
写真は2センチぐらいの長方形であった。
この時、担当された若き男性が、大きな写真を1000円でお渡しできます、
と言いながら、プリントされた大きな15センチ×10センチぐらいの写真を手渡しされた・・。
そして私は見ると、私たち夫婦ふたりだけの写真は確か3年前の最上川船下り以来の記念写真だ、
と思いながら家内に微苦笑しながら、買い求めたりした。
やがて会場を後にした私たち夫婦は、家内が下調べした『こんぶ屋』に向った。
何かしら家内の話に寄ると、昨年の秋にテレビの番組で、
こんぶの多彩に加工した販売品であった。
私たちは三越デパートの前近くある市電の『西四丁目』駅より乗車して、
街中の駅を幾たびか通り、確か『西線11条』駅で下車して、数分探したりして、
やがて『こんぶ屋』の店の看板を視えた。
何かしらご夫婦だけで、幾種類のこんぶを多彩に加工して販売する店であり、
家内は4種類のこんぶを加工したを確か15個ぐらい買い求めたりした。
そして私たちが食べる品、ささやかな土産品として購入した、
と私は帰館する中で、家内から伝えられた。
そして翌日の午後、滞在している部屋で、
三時のおやつ代わり、この中のひとつを食べたりした。
《つづく》
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村
2月6日
私たち夫婦が定山渓温泉地に2月2日から15日まで滞在している中、
札幌の市内に於いて、『第65回さっぽろ雪まつり』が5日(水)から11日(火・祝)の7日間で、
大通会場、つどーむ会場、すすきの会場で開催される、旅立つ前から知っていた。
そしてこの間に『雪まつり』を観ようと、この6日に大通会場に向った・・。
私たち夫婦は宿泊している近くの『定山渓車庫前』のバス停より、路線バスに乗り、
地下鉄の南北線の『真駒内』駅に向かい、その後『真駒内』駅から『大通』駅に着いたが、
やはり札幌市内として屈折の『さっぽろ雪まつり』であり、多くの鑑賞客でにぎわっていた・・。
私たち夫婦が初めて『さっぽろ雪まつり』を鑑賞したのは、
確か15年前の頃、勤めていた会社の勤続30年の特別休暇5日間を利用して、
私はオーホック海の流氷、家内は札幌の雪まつりを目的に2月初旬に旅をした時であった。
この時は網走の郊外の能取岬の近くの観光ホテルに2泊し、知床半島の付け根の宇登呂(ウトロ)の近くで、
厳粛な流氷の状景に感銘させられた後、『網走』駅より日中に於いて特急列車で『札幌』駅に着き、
そして小樽でシティホテルで宿泊した後、札幌に移動した後、シティホテルにチェックイン後に、
『さっぽろ雪まつり』の開催前日の状景を鑑賞したりした。
そして翌日の『さっぽろ雪まつり』の開催日に、大通会場で拝見した・・。
人出の多い中、雪像も多かったが、家内が以前テレビで中継された時よりも、
華やかさが足りないわ、と私に言ったりした。
そして私は、以前のバブル時代の経済狂乱記より、少ないのは当然だし・・
このくらい良いのではないかしら、と私は家内に言ったりし、2時間ばかり鑑賞した。
やがて付近の自衛隊の基地でも雪まつりに協賛した祭りがあると学び、
私たちは地下鉄の南北線の『自衛隊前』駅で下車して、
自衛隊の貴地は私たちような国民にも、この祭りの時は解放されていた。
そして自衛隊の歴史の歩みなど多々教示させられたが、
何よりも魅了させられたのは、若き10代、20代の溌剌とした自衛隊諸兄諸姉の言動であり、
私は圧倒的に好感した。
こうした私のささやかな雪まつりの思いが根底にあり、今回の『第65回さっぽろ雪まつり』を
拝見した・・。
そしてそれぞれの雪像は鋭意工夫されていたが、やはり平成の始めの頃までのバブル時代、
やがてデフレの15幾余年・・政治は混迷、経済は衰退、社会は劣化した結果、
何かしらコンパクトになったのは、致しがたい、と私は感じたりした。
こうした中で、札幌市の小学低学年の児童が、社会見学の授業の一環かしら、
数校に及び多くの児童を見かけて、私は好感したりした。
或いは園児と思われる幼い児も見かけて、私は雪像よりも圧倒的に魅了されて、
プライバシー侵害もあるので、こっそりと撮ったりした。
そして園児が幼いなりに創意を秘めたペンギン雪像を見かけて、可愛いよ、と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。
この会場で私たち夫婦が微苦笑させられたひとつがある。
記念写真・・無料ですが、いかがですか?、と勧誘させられて、
私たち夫婦は撮って頂いた。
そして写真の受領場所に移動した時、一枚の写真のバネル状にしたのを頂いたが、
写真は2センチぐらいの長方形であった。
この時、担当された若き男性が、大きな写真を1000円でお渡しできます、
と言いながら、プリントされた大きな15センチ×10センチぐらいの写真を手渡しされた・・。
そして私は見ると、私たち夫婦ふたりだけの写真は確か3年前の最上川船下り以来の記念写真だ、
と思いながら家内に微苦笑しながら、買い求めたりした。
やがて会場を後にした私たち夫婦は、家内が下調べした『こんぶ屋』に向った。
何かしら家内の話に寄ると、昨年の秋にテレビの番組で、
こんぶの多彩に加工した販売品であった。
私たちは三越デパートの前近くある市電の『西四丁目』駅より乗車して、
街中の駅を幾たびか通り、確か『西線11条』駅で下車して、数分探したりして、
やがて『こんぶ屋』の店の看板を視えた。
何かしらご夫婦だけで、幾種類のこんぶを多彩に加工して販売する店であり、
家内は4種類のこんぶを加工したを確か15個ぐらい買い求めたりした。
そして私たちが食べる品、ささやかな土産品として購入した、
と私は帰館する中で、家内から伝えられた。
そして翌日の午後、滞在している部屋で、
三時のおやつ代わり、この中のひとつを食べたりした。
《つづく》
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村