私は遅ればせながら読書に目覚めたのは、高校に入学してまもない時期であり、
1960〈昭和35〉年の春であった。
創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力であった。
これ以来、小説、随筆、ノンフィクション、近代史、歴史書など乱読をしているので、
早や50数年過ぎている読書好きのひとりである。
年金生活をしている私は、過ぎし2008〈平成20〉年の初夏の頃、
たまたま石原慎太郎、瀬戸内寂聴の両氏に寄る『人生への恋文~往復随筆~』(文春文庫)を読み、
両氏から人生の哲学のようなことを数多く学んだりした。
この中で、特に瀬戸内寂聴さんの一節が深く心に残り、
温かみのある助言を頂ただけた、と私は今でも心の片隅に残り、感謝している。
私は瀬戸内寂聴さんとは、未知の人であり、
東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年の頃には、
この当時は瀬戸内晴美さんの名で綴られた初期短編集を読み終えた後、
この後の『夏の終り』の作品は、友人、知人に絶賛したひとりである。
その後、1970〈昭和45)年に大手の民間会社に中途入社する時までは、
ある程度このお方の作品を読んでいたが、
その後は私なりに企業戦士の一員となり、このお方の作品から離れていた。
2004〈平成16〉年の秋に定年退職した後、
水上 勉さんとの共著の『文章修業』(岩波書店)で、
両氏の純文学の熱く深い思いを改めて学んだりしたのである。
このように決して愛読者とはいえない立場の私であるが、
『人生への恋文~往復随筆~』を読んでいる一節に深く考えさせられ、
限りない人生の助言を頂けた、と思っている。
無断であるが、この『人生への恋文~往復随筆~』の中からの一節には、
《・・
人間はひとりひとりがこの世に自分ひとりしか持っていない、
かけ替えのない個性と資質に、誇りを持って、世俗の常識に巻きこまれず、
わが道を独りでも行くという気概を失わないことが大切だと、
わたしもかねがね思っていました。
お釈迦さまの教えの中にも
「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
というのがあります。
わたしはの大好きなことばです。
・・》
注)「心に光を」ページ224から引用。原文よりあえて改行を多くした。
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
この一節の文章から、つたない身ながら、
残された人生の日々に陽光を頂いた、と思ったりしたのである。
そして、私は高校生の初め、読書に熱中し始めた頃、
古文の先生が授業の合間で、どのような本でも必ず学ぶ一行はあり、読書は心の栄養である、
と私たち生徒に明言されたことを思い馳せながら、
確かにそうですよねぇ、と齢を重ねた私は、心の中で呟(つぶや)いたりしている。
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1960〈昭和35〉年の春であった。
創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力であった。
これ以来、小説、随筆、ノンフィクション、近代史、歴史書など乱読をしているので、
早や50数年過ぎている読書好きのひとりである。
年金生活をしている私は、過ぎし2008〈平成20〉年の初夏の頃、
たまたま石原慎太郎、瀬戸内寂聴の両氏に寄る『人生への恋文~往復随筆~』(文春文庫)を読み、
両氏から人生の哲学のようなことを数多く学んだりした。
この中で、特に瀬戸内寂聴さんの一節が深く心に残り、
温かみのある助言を頂ただけた、と私は今でも心の片隅に残り、感謝している。
私は瀬戸内寂聴さんとは、未知の人であり、
東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年の頃には、
この当時は瀬戸内晴美さんの名で綴られた初期短編集を読み終えた後、
この後の『夏の終り』の作品は、友人、知人に絶賛したひとりである。
その後、1970〈昭和45)年に大手の民間会社に中途入社する時までは、
ある程度このお方の作品を読んでいたが、
その後は私なりに企業戦士の一員となり、このお方の作品から離れていた。
2004〈平成16〉年の秋に定年退職した後、
水上 勉さんとの共著の『文章修業』(岩波書店)で、
両氏の純文学の熱く深い思いを改めて学んだりしたのである。
このように決して愛読者とはいえない立場の私であるが、
『人生への恋文~往復随筆~』を読んでいる一節に深く考えさせられ、
限りない人生の助言を頂けた、と思っている。
無断であるが、この『人生への恋文~往復随筆~』の中からの一節には、
《・・
人間はひとりひとりがこの世に自分ひとりしか持っていない、
かけ替えのない個性と資質に、誇りを持って、世俗の常識に巻きこまれず、
わが道を独りでも行くという気概を失わないことが大切だと、
わたしもかねがね思っていました。
お釈迦さまの教えの中にも
「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
というのがあります。
わたしはの大好きなことばです。
・・》
注)「心に光を」ページ224から引用。原文よりあえて改行を多くした。
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
この一節の文章から、つたない身ながら、
残された人生の日々に陽光を頂いた、と思ったりしたのである。
そして、私は高校生の初め、読書に熱中し始めた頃、
古文の先生が授業の合間で、どのような本でも必ず学ぶ一行はあり、読書は心の栄養である、
と私たち生徒に明言されたことを思い馳せながら、
確かにそうですよねぇ、と齢を重ねた私は、心の中で呟(つぶや)いたりしている。
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瀬戸内寂聴さんはいいですね!
寂聴さんの書籍は読んだことがないですが、最近 中日新聞(関東では東京新聞)に伊藤野枝、大杉栄を主人公にした小説を連載されていたのを拝読し、この頃の文化人の自由奔放な生き方に驚かされたり、感心したりしました。
伊藤野枝さんは名前だけしか知らなかったのですが、とても強烈な生き方をされた女性だったことを初めて知りました。
石原慎太郎さんは、彼のベストセラーを読んだ記憶があります。
以前月刊新潮に有名文士との交流を書かれていましたが、かの評論家の神様 小林秀雄に才能を誉められたとか、川端康成に可愛がってもらったとか、ほんまかいな?と思うほど、自画自賛の文章を書いていました。(笑)
私は彼は小説の才能が枯渇してしまったので政治家に転身したと思いますし、作家としては買っていません、また人間として鼻持ちならないので嫌いです。(笑)
ただ東京都知事に再選されているのを見ますと、東京人にはあのような傲慢なタイプが好かれるのかと奇異に思っています。(笑)
>寂聴さんの書籍は読んだことがないですが・・
どのような本でも必ず学ぶ一行はあり、読書は心の栄養である、と名言もありますので、
貴兄の場合は、寂聴さんの小説より随筆をお読みなることを勧めます(笑)
>石原慎太郎さんは、彼のベストセラーを読んだ記憶があります。
>以前月刊新潮に有名文士との交流を書かれていましたが、かの評論家の神様 小林秀雄に才能を誉められたとか、
>川端康成に可愛がってもらったとか、ほんまかいな?と思うほど、自画自賛の文章を書いていました。(笑)
石原慎太郎さんは、若き大学在学中の1956 (昭和31)年 に文壇デビュー作である『太陽の季節』が芥川賞を受賞され、
「太陽族」が生まれる契機となったり、弟・裕次郎を映画デビューさせたりしています。
この作品は単に文壇だけでなく、社会現象まで影響をもたらし、
小説の商業ジャーナリズムを躍進させた原動力のお方ですので、
多くの高名な作家たちから可愛がえられたことは事実です。
こうした社会現象をもたらしましたので、一部の財界人まで注目されて、
交遊を広めることのできた稀な方です。
もとより彼の才能と高度成長に向う躍進した時代が、融合した結果で、
時代の寵児となった次第です。
>私は彼は小説の才能が枯渇してしまったので政治家に転身したと思いますし、作家としては買っていません、
>また人間として鼻持ちならないので嫌いです。(笑)
>ただ東京都知事に再選されているのを見ますと、東京人にはあのような傲慢なタイプが好かれるのかと奇異に思っています。(笑)
自治体の首長である知事、特に東京都はニューヨーク市より大きな人口で、
ともすれば国の一極集中地ですので、さまざまな人の願いをたばねて、実行し、
未来を提示するのですから、行政を怜悧に運用できる方が絶対必要とされています。
かって青島幸雄さんが知事をされた時期もありましたが、
在職中、何も成果ができず、時間の浪費だけでした。
このことは彼は市民運動的なことができても、行政を怜悧に運用できなかったことが主因です。
かっての美濃部亮吉さんの時代も同様で、うわべの平和ムードだけで、行政の手腕もなく、
都の財政悪化をさせ、責任も感じない学者のひとりでした。
このようなこともあり、都民は怜悧に行政を運用できる石原慎太郎さんが、
都民から賛意されているのが現状です。
昨年の2011年の4月、都知事選の立候補者の氏名を私は、石原慎太郎、記載しました。
私は政治にも疎(うと)く、東京都の行政も無知に近いひとりでありますが、
今後の首都・東京都の4年間の行政の首長として、託(たく)すことができる人は、
多くの立候補者の中から、無念ながらこの方しか、値(あたい)しなかったのです。
つたない私なりには、これまでの石原慎太郎さんの都政に関して、
功罪としては、功績は7割、汚点は3割、と評価してきました。
しかし石原慎太郎さんは、都知事3選の12年間の重責を果たしているので、
どのような方でも、よどみが発生するのは、行政の歴史をふりかえれば、もとよりです。
過ぎし日々に、神奈川県の知事の方が、東京都の知事選に立候補することを新聞などで知り、
私は秘かに期待していたひとりでありました。
このような心情でいたので、神奈川県の知事だった人は立候補せず、
やむえず怜悧に都政の首長として相応しい方は、石原慎太郎さんしかいなく、
記入した次第です(笑)