団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

息子が子ども達3人の結婚費用を心配していました。

2024-09-19 01:33:48 | 日記

 先週の日曜日 息子が大判を持って来ました。

 別に手ぶらでいいのに。

 大判は御座候に比べてあんこが少なかったです。

 ここで私は黙っていればいいのに「この大判、御座候に比べてあんこが少ない」と言ってしまいました。

 いくらなんでも言ってはいけないでしょう、親しき中にも礼儀ありと言いますから。

 息子が子ども達3人の結婚費用を心配していました。

 まだ大学生と、高校生なのに。

 かみさんが「あなたの預金を、結婚費用に使ったよ」と、言いました。

 私もえぇです、てっきりうちからお金を出したと思っていました。

 私の結婚費用は、私が貯金していなかったのでほとんど両親から出して貰いました。

 うちは貧乏していましたので、相当両親は苦労した様です。

 私のお金が貯まるまでなんて先延ばししていたら、きっと結婚出来まかったと思います。

 新婚旅行の費用や、カメラの費用は、かみさんが出してくれました。

>結婚してる人が幸せとも限らない 。結婚してない人が不幸でもない 。子供がいる人生が幸せとも限らない。 子供がいない人が不幸でもない。 自分で幸せと思える人生を 生きていくことが大事だと思います。

 と、どなたかが言ってました。

 子供達が結婚するとは限らないので、息子もあまり早くから結婚費用の心配をする必要はないと思います。




愛の讃歌
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怒られるかも知れませんが、私はどうしてもこの方の変わり様にいつも驚いています。

2024-09-18 00:22:30 | 日記

 怒られるかも知れませんが、私はどうしてもこの方の変わり様にいつも驚いています。

 まずは加山雄三さん、若い頃加山さんに憧れていました。

 

  これが現在の写真。同じ方とは思えません。

 松山千春さん、若い頃は女性に大人気でした。
 松山さんのコンサートの切符入手は難しかったでしょうね。

 私は今の姿になってから、2度ばかりコンサートを観に行ってます。
 若い頃と違って、そんなにコンサートのチケット入手は難しくないと思います。


さださんの若い頃は、何か神経質そうでした。
「精霊流し」の歌が、似合っていました。

 今の姿になられてから、2度コンサートに行ってます。
 歌は若い頃と同じです。
 面白い話も聞かせます。
 



でも「生さだ」を見ていると、どうしても若い頃とは別人に思えます。


ザ・スパイダース あの時君は若かった 歌詞付き
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彼女のいちばん輝いている時に声をかけなかったのは、誠に申し訳ない気持ちで一杯になりました。

2024-09-17 01:19:23 | 日記

 私は茨木のり子さんの詩のファンです。

 茨木さんの詩の本は、2冊持っています。

 その詩の好きな一つを紹介します。

 茨木のり子さんの詩

 わたしが一番きれいだったとき

 わたしが一番きれいだったとき
 街々はがらがら崩れていって
 とんでもないところから
 青空なんかが見えたりした

 わたしが一番きれいだったとき
 まわりの人達が沢山死んだ
 工場で 海で 名もない島で
 わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった 

 わたしが一番きれいだったとき
 だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
 男たちは挙手の礼しか知らなくて
 きれいな眼差だけを残し皆発っていった

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしの頭はからっぽで
 わたしの心はかたくなで
 手足ばかりが栗色に光った

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしの国は戦争で負けた
 そんな馬鹿なことってあるものか
 ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

 わたしが一番きれいだったとき
 ラジオからはジャズが溢れた
 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
 わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

 わたしが一番きれいだったとき
 わたしはとてもふしあわせ
 わたしはとてもとんちんかん
 わたしはめっぽうさびしかった

 だから決めた できれば長生きすることに
 年取ってから凄く美しい絵を描いた
 フランスのルオー爺さんのように
               ね

 この詩に関して次のように述べられています。
 今、お友達とも良く話すんですけど、若い頃ってかろやかな楽しみが多かったですね。ええ、かろやかな。年を取るとおもったるくなっちゃうの、すべてがね。

 今はものがあふれてるから、そんなことはあまりお感じにならないかも知れないけど、私達はもう、靴一足買ってもうれしかったわけよ。それからレインコート買っても嬉しかったしね。そういうささやかな楽しみっていうのはありました。でも、おしゃれをしたいとか、そういうことはできなかったのね。

 ただ、ああ、今はたちなんだって思ったときがありました。鏡見たら、目が真っ黒くろに光っててねえ。うーん、そうか、今はたちなんだ、今が一番きれいなときかもしれないっていうふうに思ったのね。残念なのは、自分の若さが誰からもかえりみられないということ、特に男性達から。かえりみられるっていうとおかしいんだけどなあ。

 それで、私がラブレターをもらったことがないって書いたら、みんなにびっくりされるんですけどね。ひとっつもないの(笑)。だからやっぱり時代的なものもあるし、それからやっぱり魅力がなかったのかな? 男達はみんな戦争に負けたってことで、みんな自信を失ってたと思うのね。だから、そういうさびしさっていうのもあったんだろうなっていうのも、今になって思うんですけどね。

 「わたしが一番きれいだったとき」は、はじめはいい気な詩を書いたってみんなにいわれたんですよ。いちばんきれいだなんて自分のこと言ってるってね。ところが、ほんとに自分でも無意識だったんですが、私と同世代の人達は、自分たちを代弁して、自分達の世代をうたってくれたっていうふうに読んでくれる人が多くなって。

 それから、アメリカのフォークソングの草分けで、ピート・シガーって人がいるんですが、その人が作曲してくれたんですね。そのときはちょうどベトナム戦争の時だったんです。それで私ははっきり言葉で聞いたわけではないんですが、ピート・シガーって人は、あれをもっと越えたものとしてとらえてくれたなってうれしさがありました。つまり、ベトナムにはベトナムの、一番美しい時を持った少女たちがいたわけですからね。そういう子達の思いっていうのもふくめてくれたなって。だから、そういい気な詩ではなかったなって今になって思うんです。

 一番美しいときは、やっぱり最高に輝いてほしいわけ、どこの国の少女たちにもね。戦争なんかで惨憺たる思いさせたくないじゃないですか。そういう願いの詩ととってもらえればね。

 あれを書いたのは30過ぎなんですけど、それまでにもずっとそういう思いっていうのがあったわけではなくて、なんとなく、書きはじめたら最初から最後までつーっといっちゃって、ほとんど推敲しないでできちゃったのね。ちょっと珍しいんです、私にとっては。いつでも途中まで書いて、後で読むといやだなあって思ったりするんですけど。言葉がどんどん並んできたから、やっぱりあれはできるべくしてできた詩かなあ、と。誰かに書かされたかなあって感じもします。 

 私の短絡的な発想ですが、女性の16歳から22歳くらいまでは特に輝いています。
その時、男性から声がかけられないということは一種の悲劇です。

 若者よ 大いに輝いて一番美しい時代を生きている女性たちに恋をしてください。
恐れていないで。戦争の時でしたら声をかけることも許されないのだから。
 大いに自由な時代を謳歌してください。

 以上です。

 私の高校時代は、戦争なんてありませんでした。

 高校時代に、とても好きな女子学生がいました。

 声をかけるチャンスは何度もありました。

 ちょっとした勇気がありませんでした。

>私の短絡的な発想ですが、女性の16歳から22歳くらいまでは特に輝いています。
その時、男性から声がかけられないということは一種の悲劇です。

 彼女のいちばん輝いている時に声をかけなかったのは、誠に申し訳ない気持ちで一杯になりました。


サザンオールスターズ ( Southern All Stars ) - TSUNAMI MV
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ニッキ・パロットのCDが届きました。

2024-09-16 01:50:44 | 日記





 昨日アマゾンに頼んでいたニッキ・パロット(オーストラリアの歌手)のCDが届きました。

 先日彼女の動画「風のささやき」を、私のブログに貼り付けました。

 ジャズ風に歌われるのがちょっと気に入りましたし、彼女のジャケットに載っている横顔が素敵でしたので購入しました。

 このCDは14曲入りでした。

 千円ちょっとの値段でしたので、お得感がありました。笑い

 全部聴くと1時間強かかりますので、まずは「風のささやき」「シェルブールの雨傘」「愛の讃歌」「行かないで」の4曲を聴きました。

 ジャズ風に歌われるので、馴染みの曲も少し違って聴こえました。


ひまわり テーマ曲  ソフィア・ローレン マルチェロ・マストロヤンニ
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いくら高校生の頃に自炊生活をしていたとはいえ、よく家族6人分の食事を引き受けられたものだ。

2024-09-15 02:17:11 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「包丁だこ」というタイトルで、82歳の男性が投稿されていました。

 右手の人さし指に「包丁だこ」ができている。

 妻は体質的に暑さに弱く、気温が上がるにつれ、ことに台所の暑さに耐えれなくなる。

 それで私が炊事を担当することになった。

 炊事は、すでに高校生の頃に自炊生活をしていたので、軽く引き受けたのだった。

 ところが、食事の量がまるで違った。

 家族6人分の夕食となると、その量と準備の時間は、想像を超えるのであった。

 朝食は、5時起きで準備を始める。

 孫2人の登校と、その親の出勤の時間に急かされる。

 それでも、妻に調理方法や味付けを尋ね尋ね続けるうちに、しだいに慣れ、今では魚や野菜の煮物もこなせている。

 得意料理になったものに餃子がある。

 孫から「爺ちゃん、餃子!」と声が掛かろうものなら、大張り切りで100個ほど作ってしまう。

 80歳を過ぎても頼りにされ任されると、年齢以上の働きができるようである。

 そして、今まで気づかずにいたことにも気づく。

 炊事は、作るだけではない。

 食後の片付けがある。

 次の食事の献立や段取りを考え、買い物もしなければならない。

 こんな「大仕事」を長い間、妻は黙々とこなしてきたのだ。

 包丁だこは、そんなことに気づかせてくれたのであった。

 以上です。

 いくら高校生の頃に自炊生活をしていたとはいえ、よく家族6人分の食事を引き受けられたものだ。

 82歳の男性ですよ。

 恐れ入りました、私には到底出来ません!

 引き受けるなんて、考えもしません。

 共働きとはいえ、ご子息夫婦にやって貰えばいいと思います。

 おそらく82歳の男性が、家族6人分の食事を毎日こなされているなんて家はほとんどないのでは。

 料理だけではなく、食事の後片付け、次の食事の献立や段取りを考え、買い物もしなければならない。
 奥様の大変さを、ご自分がやられて初めて気づかれる。

 それに気づくだけでもご立派です。

 ああ、ご家族にいくら感謝されてもやりたくないです。 



シェルブールの雨傘
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