夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

脚本家・山田太一さん、脚本のように思い通りに進まないのが人生、と私は書物から教示され、微苦笑させられて・・。

2018-08-28 13:34:21 | ささやかな古稀からの思い

私は都心の郊外の調布市に住む年金生活のまもなく74歳の身であるが、
先程、机の脇机にある茶箱を整理していたら、黄ばんだ切り抜きがあったりした。

ぼんやりと私は見ていたら、購読している読売新聞に於いて、
月刊の生活情報誌の『はいからEst(エスト)』が添付される時があったりしてきた。

たまたま私が今回見たのは、2012年の9月18日発行に於いては、
《シニアなんて呼ばせない!》と大きく明記され、
何かしら50代からの生活の全般に関わる情報誌と解ったりした。

そして
トップ面のインタビュー記事として、敬愛しているテレビ脚本家、小説家として著名な
山田太一さんが掲載されていたので、私は大切に保存していた、と判ったりした。

              

私はここ30数年のテレビ脚本家は無知であるが、
1970年の頃から、倉本 聰さん、向田邦子さん、山田太一さんの3人の御方に限り、
ときおり視聴したりしてきたひとりである。


そして、山田太一さんに関しては、
平原日出夫・著の『山田太一の家族ドラマ細見~愛と解体と再生と~』(小学館、発刊・1994年11月10日)、
蕪木和夫・著の『TVドラマの鉄人BIG4』(蒼洋社、発刊・1995年6月10日)に於いて、
倉本 聰、向田邦子、山田太一、橋田寿賀子の4氏の評論集を読んだりしてきた。

或いは小説として、純文学書下ろし特別作品『冬の蜃気楼』(新潮社、発刊・1992年11月)などの作品を

数冊読んだりしてきた。

その後、山田太一さんがテレビに出演されて、松竹の大船撮影所の思いで、自作のテレビドラマを語られることなど、
偶然に視聴したりしてきた。

或いは読売新聞で『時代の証言者』として、過ぎし2010年2月に山田太一さんの連載記事を読みながら、
私なりに改めて、創作者としての山田太一さんから、多々教示されたりした・・。

読売新聞の編集委員の鈴木嘉一さんが綴られた記事で、無断であるが、引用させて頂く。

              

◎テレビドラマについて
《・・ (略)
自ら殺人などの犯罪は、禁じ手としました。
犯罪ものは時代や社会のゆがみを描きやすい。
でも、多くの人は犯罪に走る手前で踏みとどまっている。

ドラマチックじゃないけれど、大多数の人の現実を書こうと。


「ある男がなぜ殺人を犯したかより、なぜあの奥さんと結婚したかの方がスリリングだ」。
(略)
映画に比べると、衝撃力は弱いかもしれないが、
弱いからこそ、日常のささいなことや細部を延々と描くことができる。
テレビは、大きなストーリーより、細かい部分を大切にすべきです。
(略) ・・》

◎ノンフィクションとフィクションの効用の相違
俳人などで名高い亡き寺山修司さんと大学時代から交流していた山田太一さんは語られ、
《・・ (略)
(寺山修司)その俳句や短歌をめぐり
「母親が花売りだった、などというのはウソ」との指摘は当時もありました。
父を戦争で失い、母一人子一人なので、親子関係は複雑だったでしょう。

リアルに書いたら角が立ち、

フィクションだからこそ、真実が表現できたと思います。
(略) ・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

このように私は山田太一さんの発言した精読し、少なくとも引用させて頂いた山田太一さんの証言は、
私にとっては千金の重みのある言葉である。

              

このような私のささやかな山田太一さんの思いがあるが、

このインタビュ―記事を読んで、強く惹かれたのは、この人生の思惑を語られたことである。
《・・(略)
『男たちの旅路』『早春スケッチブック』『ふぞろいの林檎たち』等、
山田さんはテレビ史に残る連続ドラマを次々と生み出してきた。

山田さんの描く”人間”は、私たちにとても近い存在だ。
誰もが無意識のうちに抱えている重いを、
山田さんは明確に表現して、観ている者に『気付かせて』しまう。

それほどのリアリティを再見しながら、

作品全体に、どことなくファンタジックな雰囲気も漂う。
山田さんしか創り出せない独自な世界観だ。

「僕のドラマは、『世の中とフィットしない人たち』を描いているとよく言われます。
でも、現実は皆そうじゃないかなぁと思うんです。
うまく合わせているように見えるだけで、
本当は誰もが苦しみ、もがき、いろいろなことを我慢して、傷だらけで生きている。

世の中に完璧や絶対がない限り、
何をするにしても、僕らはある程度のところで、妥協しているわけですよね。

結婚にしても、『私にはこの人しかいない』なんてことは、本当は有り得ない。
もしかしたら運命の相手は、タイあたりにいるかもしれない(笑)

自由に選んでいるように見えて、実はごく狭い世界での選択です。
間違っているかもしれないけれど、それが正しいと信じて、
どこかで踏み切るしかないんです」

山田さんは目を細めた。
穏やかな目尻のしわに、78年という人生の深みが感じられる。

「生きていくって、そういうふうに少し欺瞞(ぎまん)で、
でも、それが悪いことだとは思わないんですよ。
脚本のように思い通りに進まないのが人生ですからね」
(略)・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
              

このようにインタビューの一部を転記させて頂いたが、
私の定年退職するまでの半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の時が多く、
思い馳せれば成功体験の事柄より、遥かに失敗体験の数々が思いだされてしまうのである。

そして定年退職後、多々の理由で年金生活を始め、定年までの何かと悪戦苦闘が多かった為か、
予測した以上に安楽な日々を享受してきたが、時折まさかの出来事もあったりして、戸惑ったりしてきた。

こうした思いを秘めている私は、この山田太一さんのインタビューの発言を読み終わった後、
多々教示されながら、
『そうですよねぇ・・確かに・・この人生は・・思い通りに進まないのが人生・・』
と私は改めて心の中で呟(つぶや)いたりしている。


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