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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

重苦しい風潮の中、私は戸惑いながら過ごしてる中、美麗な八重桜(ヤエザクラ)に心を寄せて・・。

2020-04-09 15:12:45 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に結婚前後の5年を除き、70年この地に住んでいる。

私の住む地域は、3月21日にに染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が最初に咲き始めると、
その後に山桜(ヤマザクラ)、やがて八重桜(ヤエザクラ)が咲くのが例年の習わしとなっている。

しかしながらここ10年は、
早咲きの河津桜などを3月初旬から、幾たびも鑑賞してきたので、
白梅の花、紅梅の花、そして桃の花、この後は桜花・・と小学生の頃から鑑賞してきたが、
少し季節感が狂ってしまうよなぁ・・と戸惑いながら春の訪(おとず)れを愛でたりしている・・。

            

しかしながら本年は、過ぎし2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、何かしら重苦しい風潮の中、私は戸惑いながら過ごしてる。

こうした中、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、
政府より「 不要不急の集まり」を避けるよう公言されている。

こうした中、体力も衰えた私は、新型コロナは、
どこで感染して、どこでウイルスを広げているのかわからないのが怖く、
せめて人出の多い処では、苦手であるがマスクをしている。

その上、いつまで続くのか、憂いながら重苦しく過ごしているが、
私は我が家の平素の買物専任者であり、家内から依頼された品を求めて、
スーパー、専門店に行っている買物メール老ボーイとなっている。・

しかし「 不要不急の集まり」に基づき、ここ一カ月は2日に1回まとめて買物の実態となっているが、
散策だけは体力の衰えを実感している私は、自宅の3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街の道を
殆ど毎日のように歩いている。

このように過ごしている私は、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活丸16年近く過ごしてきた。

          

たまたま昨日は、自宅の付近に流れている野川の両岸にある遊歩道を散策していると、
八重桜(ヤエザクラ)が満開となり、ひっそりと咲いているのに、微笑んだりした。

何かしら八重桜(ヤエザクラ)は、山桜(ヤマザクラ)から改良され、枝が太く、葉も大きく広く、
花は若葉と同時に咲き、芳香
があり、品種によっては白色から濃紅色まである、
と伝えられている。

そして遥か万葉時代の頃は、
山桜(ヤマザクラ)が多かったが、
やがて平安時代の頃から、八重桜(ヤエザクラ)も歌題となり、多くの人から愛でられている。

私が高校生の時に学んだ、平安時代の中期の女流歌人の伊勢大輔(いせのたいふ)は、
      いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
詠まれている。

          

このようにとりとめないことを思い重ねたりした。

やがて人影の少ない遊歩道を歩きながら、かぼそい声で鼻歌を唄ったした・・。

 春 高楼の 花の宴
めぐる盃 かげさして
千代の松が枝 わけ出でし
むかしの光 いまいずこ .

          

小学校で習った『荒城の月』(作詞:土井 晩翠. 作曲:滝 廉太郎)であるが、
やはり新コロナウィルスで社会が一変した悲しみも根底にあり、
このような歌を唄ってしまったのかしら、微苦笑しながら帰路に向かったりした。

コメント
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