私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
そして過ぎし日の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、何かしら重苦しい風潮の中、私は戸惑いながら過ごしてる。
こうした中、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、
政府より「 不要不急の集まり」を避けるよう公言されている。
こうした中、我が家の買物専任者の私は、
殆ど毎日のようにスーパーなどで家内からの依頼品を買い求めてきたが、
やはり新型コロナのどこで感染して、どこでウイルスを広げているのかわからないのが怖く、
2日に一回に集約して、人出の多い処では、苦手であるがマスクをしている。
しかしながら体力の衰えた私は、相変わらず自宅の周辺にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
季節のうつろう情景を享受している。
こうした根底のひとつには、いつの日にか認知症、心筋梗塞、或いは寝たきりなどは、
ささやかな日常のささやかな願いも制約されるので、
ときおり勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。
本日も近くに流れている野川の遊歩道を歩き、やがて川面を眺めていた時、
昨年の今頃は、私は眼科医院に6泊7日で入院していたよなぁ・・と脳裏から舞い降りて、
独り微苦笑を重ねたりした・・。
過ぎし昨年の3月の初めの頃、突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には昨年の4月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けて、
帰宅した・・。
過ぎし4年前の晩秋、私は左眼、そして右眼の白内障の手術を受けて、
それまで酷い近眼であつたが、手術後は0.8前後の視力となり、
高校生より長年にメガネを愛用してきたが、メガネが不要となり、人生観さえ変わったりした。
この清く正しくなった両眼は、昨年の3月の初めの頃に、突然に左眼だけが視力が激変し、
私は困苦しながら、最寄り駅近くにある眼科専門医院に通ったりしてきた。
この眼科専門医院は、私は4年前の晩秋に白内障の手術を受けてきた医院で、
この前後を含めて、少なくとも数10回通院してきたので、
医院長をはじめ10数名のスタッフとも、 顔なじみとなり、
男の癖におしゃべりな私でも、少し遠慮しながらも談笑したりしている。
このように信愛できる医院長に診察された結果、特殊手術が必要と判断されて、
この医院長より特殊手術ができる『御茶ノ水』にある井上眼科専門病院を紹介されたりした。
そして昨年の3月下旬に、この『御茶ノ水』にある井上眼科専門病院に行く予定であったが、
昨年の3月8日、この顔なじみとなっている最寄り駅近くにある眼科専門医院で再度診察を受けた結果、
想定より悪化しているので、同じ井上眼科専門病院でも、本院の『御茶ノ水』よりも、『西葛西』にある分院には、
この特殊な手術に特に優れている医師を紹介する、と紹介状を書いて下さった。
何かしら瞳を支えている眼球の周囲にある緬膜(めんまく)が離脱して、
このような状況下で視力が不安定で低下し、特殊な手術が必要と教えられたりした。
こうした結果、昨年の3月9日、『西葛西』にある井上眼科病院に朝8時に私は訪ね、
やがて受付で、紹介状を提出したが、何かしら紹介状の宛名の御方は、 副医院長だったが、
本日はお休みと知り、 多種な眼の検査を受診した後、代理の医師より診察を受けたりした。
やがて私は、副医院長の診察を受ける昨年の3月13日の日時を指定して、
予約をした後、私は我が家に帰宅した。
この後、昨年の3月11日の日中、『西葛西』にある井上眼科病院より、
私は電話を頂いたりした。
私が予約している3月13日を一日早い12日では・・と尋ねてきた。
そして12日、私は家内を伴い、『西葛西』にある井上眼科病院を訪ね、
そして眼の多種な診察を受けた後、紹介状の副医院長に私は診察を受けた。
やはり左眼の水晶体の後方の壁を後嚢(ごうのう)と称せられているが、
これを足場にしている3年半前に挿入した眼内レンズが脱臼(だっきゅう)』して、
硝子体に浮かび、視力が不安定となっている、このようなことを診断して下さった。
そして硝子体の一部の手術となり、
①4年前の幡手に挿入した眼内レンズを摘出。
②硝子体の一部を切除。
③新たな眼内レンズを眼球の一番外側は線維質な膜で覆われている強膜(きょうまく)内に固定。
このような手術の内容を話して下さり、病名は『眼内レンズ脱臼(だっきゅう)』と記載され、
麻酔は『局所』と明記された。
そして手術の実施日は、昨年の4月2日午前、として、
手術後の経過診察などで6泊7日の入院となり、
やがて私たち夫婦は、昨年の2日の当日は、8時少し前に入院した。
そして指定された病室で、私は着替えて待機していると、
まもなく手術前の検査を受診したのは、8時15分過ぎであった。
この後は、手術前の待機であったが、小心者の私は、
どうせ手術するなら早い方が良いのに・・と少し待ちわびたりした・・。
やがて10時半少し前に、看護師より手術室に導かれて、
私は手術して下さる副医院長、スタッフの前では、
まな板の鯉のような心情であったりした。
そして45分過ぎた後、手術して下さっている副医院長より、
手術は無事に完了、とスタッフと私に大きな声で明言されたので、
私は一堂に聞こえるように、お蔭様でありがとうございました!!、
と若き自衛官に負けないような声で御礼の言葉とした。
やむなく眼をつぶり、物思いに耽るしかなく、あてどもない時を過ごしたりした。
こうした中で、時空を超えて、幼年期とか定年後の年金生活の出来事が
不意に思い浮かび、とりとめなく思い馳せたりした。
そして私は、何よりも学んだことは、午前中の検査、診察で、 受診前に待機している私たち・・
私は隣接した男性、或いは女性の60歳以上の御方と、
ささやかな人生のこぼれ話し、お互いに微苦笑しながら話し合ったりしたことであった。
このような昨年の今頃は、眼科医院に6泊7日で入院していたことを思い浮かべて、
改めて数多くの御方に、私はささえられ深く感謝して、これも人生だよなぁ・・と
私は教えられたりした後、帰宅に向かったりした。