先程、ときおり愛読している公式サイトの【日刊ゲンダイDIGITAL】を見ていたら、
『 ピンピンコロリを望むなら それに至る生き方を学び努力する 』、
と題された見出しを見たりした。
私は東京の調布市に住む74歳の年金生活の身であるが、
やはり晩年期は、安息に過ごして、あの世に旅路たい、と願っているが、
こうしたことさえ、何かと難題と学んだりしてきた。
こうした心情を秘めている私は、『 ピンピンコロリを望むなら それに至る生き方を学び努力する 』、
こうしたテーマに真摯に学びたく、記事を精読してしまった。
この記事は【心と行動を変える健康革命】と題された連載記事で、
今回第3回として、2019年4月11日に配信されて、無断であるが転載させて頂く。
《・・ピンピンコロリを望むなら それに至る生き方を学び努力する
医師は多忙だ。毎日、多くの患者を診察し、各種の検査を指示する。
そのデータを基に病名を診断し、患者に病気のリスクを伝える。
その後、治療に適した医薬品や手術療法などを選択して、
完治までのスケジュールを描き、経過を観察することになるが、
本当にそれだけでいいのだろうか。
「多くの患者さんは、まだ深刻とはいえない検査データに安心し、
将来の自分の健康に目を向けません。
病気の恐ろしさが分からないからです。
病後の生活と健康を維持できた時の生活の違いを実感してもらい、
時に人生をマネジメントするのも、医師の務めかと思うのです」
教授として東京慈恵会医科大学病院(東京・西新橋)で
「行動変容外来」も担当する横山啓太郎同大晴海トリトンクリニック所長は
患者に以下の3通りの死に方を説明する。
①いわゆるピンピンコロリ。突然、枯れ木がポキンと折れるような死に方。
②心筋梗塞やがんなど、病気により、肉体、精神、社会、経済などの質が落ちていくパターン。
③徐々に生活の質が低下していく老衰。
「患者さんにこの3つを示すと、死について深く考えるようになります。
多くの患者は①を希望します。
病気、病院知らずの人生を送り、ある日、コロッと死ぬ。誰もが望む死に方です」
これなら家族にも迷惑をかけないし、面倒な入退院を繰り返すこともない。
「しかし、理想の死に方を望むなら、それに至る生き方を学び、努力しなければなりません。
暴飲暴食をしている人は、病死を避けるため生活改善が必要です。
太っている人には適度な運動とダイエットをしてくださいと指導します」
患者は、医師の前では、実に素直である。
「はい!」と返事はするものの、病院を一歩出ると、
普段通りに居酒屋に直行してしまう。調子に乗ると2次会へ。
適度な運動も、頭では理解している。
だが、多忙を理由に、三日坊主で終わる。
これが平均的な日本人だ。
だからこそ横山教授は、「行動変容外来」の必要性を力説する。
「患者さんの日常行動を変えていただくには、
死に方を含めて『どうありたいか』を考えていただく必要があります。
医師はそれに至る道筋を説明し、その患者さんに合った『やり方』を提供すべきです。
それには、患者自身の考え方、生活パターン、宗教観など、幅広い点についてコミュニケーションを取り、
理想を共有化することが不可欠なのです」
薬を処方したら、治療は終わりではない。
医師は患者の希望をかなえさせるのが仕事だ。
患者が「ピンピンコロリ」を望むなら、そのゴールに向かう道のりをマネジメントするのも、
医師の仕事であると説くのだ。
「医学の進歩で、人が急死することは少なくなりました。
そのため、医療は病気にならない予防に重点が移りつつあります。
しかし、死ねない時代の健康維持は、医師任せでは達成できず、
患者さんの意思と行動力がなければ、実現しないものなのです」・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私は記事を読み終わった後、これよりピンピンコロリを中核とした高齢者の晩終期について、
学んできたこと思い馳せたりした・・。
過ぎし1月中旬、やはり公式サイトの【 日刊ゲンダイDIGITAL 】の『ヘルスケア +』に於いて、
れ、無断であるが転載させて頂く。
《・・お金をかけ、健康に気を使えば、寝たきりなしのピンピンコロリを実現できるのだろうか?、
こうした切実なテーマを「武蔵国分寺公園クリニック」(東京・西国分寺)の名郷直樹院長より学んできた。
こうした根底には、寝たきりになって、連れ合いや子供に迷惑をかけたくない。
老後は最期まで元気に過ごし、死ぬ時は静かに息を引き取りたい。
それを理想とする中高年は多い。
こうした厳粛な思いに、名郷直樹院長は明言されて、私は多々教示されたりしてきた。
■ピンピンコロリは東大入学より難しい
「私は350人以上の患者さんを自宅でみとってきました。
寝たきりにならずに、亡くなった人はゼロ。
死ぬ前に短くて数カ月、普通は数年、長ければ10数年寝たきりになります。
それを避けるために、どんなにお金をかけて、健康に気を使っても、逃れることはできません。
ピンピンコロリは、運次第。
東大入学よりも難しいというのが実感です」
ピンピンコロリに次いで、理想とされる老衰死でも、寝たきりは避けられない。
「噛めなくなる」、「飲み込めなくなる」高齢者は、
BMI(体格指数)が亡くなる5年ほど前から落ちていき、2年ほど前になると不可逆的・加速度的に落ちていく。
食事も亡くなる1年くらい前から減っていき、 食べても栄養が体格を維持することに、つながらなくなる。
筋力が衰えるので、普通の生活は困難になる。
そもそも現時点で、寝たきりにならないための努力といっても、確立した方法は存在しない。
少なくとも医学的コンセンサスを得たものはないのだ。
にもかかわらず、自由に動けて意思を伝えられる、 残り少ない時と大切なお金を使って、
ピンピンコロリという奇跡を目指し生活するのは バカバカしいのではないか、と名郷院長は言う。
「私は、子育てや仕事を介して社会的責任を果たし終えた人たちは、
残りの人生を自分の好きなこと、輝けることに費やすべきだと思います。
旅行でも絵でも好きなことをすればいい。
どんなに立派な人であっても、いつかお風呂もトイレも食事も他人の介助なしには、できなくなります。
おむつが手放せなくなり、自分の意思すら伝えられなくなるのです。
亡くなる前の一時期は、それが自然だと今から覚悟すべきです」
それは医学データが、物語っている。
2016年のデータによると、日本人の平均寿命は 女性が87.14歳、男性が80.98歳で、男女とも世界一。
健康寿命も、女性で74.79歳、男性で72.14歳である。
2001年の健康寿命は72.65歳、69.41歳だから、健康寿命も延びていることがわかる。
しかし、その一方で寝たきりを含めた不健康だと感じる期間も、また延びている。
「平均寿命マイナス健康寿命イコール不健康寿命と考えると、
2001年では、女性の不健康寿命は12.28歳、男性は8.67歳。
2016年では、それぞれ12.35歳、8.84歳と延びているのです。
この間、喫煙率は大きく低下し、メタボの人も減っています。
多くの人が健康を心がけているのです。
にもかかわらず不健康寿命が延びているのは、 努力して健康的な生活を続けても、
不健康だと感じる時期の始まりを先延ばししているに過ぎないからです」
■高齢者が必ず病と闘う必要があるのか
高齢者の中には、がんになったら、どうしようと心配する方がいる。
しかし、がんの痛みをコントロールできるのなら、 がんで亡くなる方が幸せ、と考える医療関係者は多い。
寝たきり期間が短く、亡くなる直前まで意識がしっかりしているケースが多いからだ。
「“調子が悪いので診てください”と言ってきた80代の男性患者は、 末期がんで数日後に亡くなりました。
子供が小さく、家族や会社への責任がある若い人は、がんと闘わなければなりません。
しかし、子育てを終え、会社を勤め上げた人にとって、がんは悪い病気ではないかもしれません。
例えば、85歳の人が胃がんの早期がんになったとしましょう。
通常、早期胃がんの5年生存率は、50%ほど。
一方、85歳の人の平均余命は6年余りです。 どちらも91歳前後で、半分近くが亡くなる可能性が高い。
そう考えれば高齢者が、必ず病と闘う必要があるのか、 考える必要もあるのではないでしょうか」
年を取ってお金がないという人もいるが、 その場合は、国や自治体に堂々と頼ればいいと名郷院長は言う。
「日本国民は憲法により、健康的で文化的な必要最低限な生活を保障されています。
長い間しっかり働き、真面目に税金を納めるなど、義務を果たし、 国に尽くしてきた高齢者は、
それをもっと主張していいのではないでしょうか。
人生には運・不運があり、不運にもお金を残せなかった高齢者も、おられると思います。
そういう人は恥じることなく、生活保護制度など公的支援を求めればいいと私は思います。
国や自治体は、そうした高齢者に報いる義務がある。
働いて税金を納めている間だけ、生活を保障してやる、なんてことではないと思います」
健康に生きることは大切だが、人生は、そのためだけにあるのではない。
老後の生活で真剣に考えるべきは、 「自分は何のために生まれてきたのか?」ではなかろうか・・》
こうしたことを私は学び、この人生の晩終期には・・と溜息を重ねたりした・・。