私は東京の世田谷区と狛江市に隣接する調布市の片隅の地域に住んでいる老ボーイの身であるが、
過ぎし3日の『文化の日』の頃から、あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染め始め、
やがて11月23日の『勤労感謝の日』の頃になると、
周囲一帯までは朱色、紅色、黄色、茶褐色などに染められる錦繍(きんしゅう)の情景となっている。
私が今住んでいる近くに生家もあり、私自身としてはこの地域に住んで、
結婚前後5年を除き、早や68年が過ぎている。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
こうした中、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごし、早や14年目となっている。
平素の私は、午前中のひとときは、家内から依頼された買物でスーパーなどに独りで行く買物メール老ボーイであり、
帰宅後も、私は独りで自宅の3キロ範囲にある遊歩道、小公園を散策している身でもある。
ここ4週間前の頃から、いつもように私は周辺を散策していると、
あまたの落葉樹の葉は、恥ずかしげに色合いを染め、スキップしたくなるような心情で散策をしてきた・・。
☆今回、掲載した写真のすべては昨日の27日に撮った情景である☆
私は1944年(昭和19年)の秋に、この地域で農家の三男坊として生を受け、
地元の小学校に入学したのは1951(昭和26)年の春であった。
この当時の情景は、最寄の京王腺の各駅の商店街はあったが、5分ぐらい過ぎると、
畑の状景が広がり、そして田んぼも広く、それぞれ雑木林に囲まれた広い宅地の中に家があった。
晩秋になるこの時節は、桜(サクラ)、紅葉(モミジ)、ドウタンツツジ、柿(カキ)などが朱色に染められ、
欅(ケヤキ)、公孫樹(イチョウ)、梅(ウメ)、コナラ、クヌギ、ユズ等が黄色の色合いとなっていた。
小学生の私は、祖父、父の交流のあった旧家の10数軒のお宅を寄ったりしたが、
殆どこのような樹木が圧倒的に多くあったのである。
私の生まれた家の庭先でも、桜(サクラ)以外はこのような情景であった。
私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めた・・。
しかしながら、この間は幾たびのリストラを何とか通過したが、最後の5年半はデフレ烈風の中、
あえなく出向となったりし、私のサラリーマン人生航路は何かと悪戦苦闘が多かったりした。
そして年金生活の当初は、解放感で高揚し、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。
こうした時、若き時期に映画、そして文学青年の真似事を敗退した私は、
情念の残り火りのように西行、鴨長明、芭蕉が遺(の)こされた作品に思いを寄せることが多かった。
もとより西行(さいぎょう)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人であり、
ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ 『山家集』もある。
そして鴨 長明(かもの・ ちょうめい)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家。
『方丈記』が代表作となっている。
松尾 芭蕉(まつお ・ばしょう)は、江戸時代前期の俳諧師。
数多い中で私は、旅に病んで夢は枯野をかけ廻る、一句に圧倒的に魅せられてきた。
しかしながらに身過ぎ世過ぎの多い年金生活を数年過ごすと、
日常生活とか幾たびかの旅先に於いては、春夏秋冬の情景、この間の季節のうつろう情景に、
心を寄せて、深めて今日に至っている。
そして人影の少ない遊歩道、小公園などで、今の時節であったならば、
♪秋の夕日に照る山紅葉(やまもみじ)・・・と高野辰之さんが作詞された『紅葉(もみじ)』を、
かぼそい声で唄ったり、心の中で唄ったりしてきた。
昨日も我が家の近くを歩いたり、そして野川の両岸にある遊歩道、そして小公園を歩いたりした・・。
そして錦繍(きんしゅう)も盛りが過ぎて、ここ一週間に風が吹けば、
たちまち数多(あまた)の葉が空中を舞いながら、
やがて地上を絨毯のように、朱色、紅色、黄色、茶褐色などが彩るだろう。
そして落葉樹は冬木立となり、陽差しを受けると初冬の魅了される情景を迎える・・。
このようなとりとめない心情を重ねて、今年も錦繍(きんしゅう)の情景を受容できたことにし、感謝したりし、
来年も・・と思ったりした・・。
しかしながら一期一会のように、こうした情景は再びめぐり逢うことは、ないだろう。
こうした根底には、『年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・』、漢詩のひとつを重ねていた。
もとより中国の初唐時代の詩人である劉廷芝(りゅうていし)が、
『白頭(はくとう)を悲しむ翁(おきな)に代(かわり)て」と題する詩の第4節ある一節である。
私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の頃に、
小説家・阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏の作品から学んだひとつの詩である。
《・・年々歳々 花相似 年々歳々 人不同・・・》
歳月は過ぎ去ってしまえば、実に早いと感じたりし、
毎年この季節は同じように、錦繍(きんしゅう)が巡って、美麗な彩(いろど)りを見せてくれたが、
この錦繍(きんしゅう)を観賞できる人は変っている・・。
もとより自然の悠久さと人間の生命のはかなさを対峙させて、人生の無常を詠歎した句であるが、
私はこのように解釈しながら、人生のはかなさ、哀歓を若き二十歳の時に、
この詩を学びだし、早くも50数年の歳月が流れてしまった。
このようなせんなき思いもしたが、でも今年も錦繍(きんしゅう)にめぐり逢えて良かった、
と乙女心のように溜息をして、私は自宅をめざして歩いたりした。
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