夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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老後のお金はいくら必要? 「90歳超の人生」に備えよ、73歳の私は学び、戸惑いながら苦笑を重ねて・・。

2017-11-23 13:54:05 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.(ドット)】を見ている中、
【 老後のお金はいくら必要? 「90歳超の人生」に備えよ 】と見出しを見てしまった。

 私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後39年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら
ささやかに過ごしている。

そして今頃になって、「90歳超の人生」に備えよ、と明題されても、
私は大いに戸惑いながら、記事を精読してしまった。

この記事の原文は、週刊朝日の2017年12月1日号より抜粋され、
【AERA dot.】に於いて11月23日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・老後のお金はいくら必要? 「90歳超の人生」に備えよ

       

一冊の本が老後マネーの世界を揺さぶっている。

『ライフ・シフト』。
英ロンドン・ビジネススクールのリンダ・グラットン教授らが書いた、
「人生100年時代」を乗り切るための本だ。

昨年秋に出版されると瞬く間にベストセラーになり、現在16万部。
老後マネーの考え方もしっかり論じられているが、
とりわけ「2007年に日本で生まれた子どもの半分は、107歳まで生きる」とする予想が人々の心をとらえた。


ファイナンシャルプランナー(FP)の深田晶恵さんは、
『ライフ・シフト』後に、「より長寿」を意識する男性が増えたという。


「90歳までの人生を考えて、マネープランを作る、これが私の持論です。
あの本が出る前は、『どうせ90歳までは生きられない』と言う男性が多かったのですが、
最近は『ひょっとしたら長生きするかも』に変わりました」


       

大手資産運用会社フィデリティ投信の研究所、フィデリティ退職・投資教育研究所の野尻哲史所長も、

「私は95歳までのライフプラン作りを提案しています。
以前は『エーッ、長いな~』だったのに、最近は『何だ、100歳でなくていいのか』という反応が多くなりました」


人生先立つものは、お金。
超長寿社会がどんどん現実化するにつれて、それへ向けてのお金の備えを気にする人々が増えているのだ。


果たして、どれくらいまでのライフプランが必要なのか。
そして、最近では65歳が多いが、会社を辞める時までに、いくら準備しておけば安心できるのか。


日本人の平均寿命は、男性80.98歳、女性87.14歳だが、
これは今のゼロ歳児が、何歳まで生きるかを示す数字だ。
実際の日本人が何歳まで生き延びるかは、厚生労働省の「簡易生命表」を見ご確認ればわかる。


最新のそれによると、「100歳」まで生き残る確率は、
男1.6%、女6.9%で、さすがにまだごく少数だ。

しかし、「95歳」になると様相が変わる。
男9.1%に対して女25.2%で、女性は一気に高まる。

「90歳」まで下げると男25.6%、女49.9%となり、
男性でも4人に1人が生存し、女性は実にほぼ半数が生きている結果になっている。


確かに、90歳は確実にライフプランに組み込む必要がありそうだ。
夫婦単位で考えると、95歳も十分視野に入ってくる。


       

しかし、今年夏、野尻氏の研究所が、
全国の50~60歳代の男女約1万2千人に「退職後のお金」についてアンケートを行ったところ、
「いつまで生きるか」には、依然として「80代前半」の回答が大半だったという。

野尻氏は「10年近いギャップに驚いた」と言うが、
100歳はまだしも「90歳超の人生」へと、早めに意識を切り替えておいたほうがよさそうだ。


さて、「人生の終点」の予想がついたところで、肝心の老後マネーである。

老後は、年金収入で暮らし、受け取る年金以上のお金を使うのが普通だ。
収入より支出が多くなるわけで、その差額を貯蓄から取り崩していく。
従って、生きている間に取り崩す分を準備しておく必要がある。


65歳スタートで、「90歳」か「95歳」のゴールで考えてみよう。
計算方法は次のようになる。

【図】老後マネーの計算法はこちら

収入である年金をいくらもらえるかは、年に1回来る「ねんきん定期便」でわかる。
50歳超の定期便は、支給額に近い数字が記載されているので、
夫婦分を足せば、年間の年金額が出る。
企業年金などほかの収入がある場合は、それも加える。


一方、月々の支出は、現在の家計を参考に、
老後にどんな生活を送りたいかを想像しながら、金額を決めてほしい。
これは夫婦で話し合って決めるのが鉄則だろう。

月々の支出12カ月分に、国内旅行代や固定資産税など年単位でかかるお金を足せば、
年間の支出額が出る。


年金額から支出額を引くと、いくら貯蓄を取り崩さなければならないかが出てくる。
その金額に残り年数(この場合は25年か30年)をかけると、
死亡するまでに生活費として必要になる取り崩し額が出てくる。


計算は、まだ終わらない。
毎年は必要ないが、数年に1回、あるいはそのうちに必ずかかる費用があるからだ。
住宅のリフォーム代や医療・介護費用、海外旅行などで、
これらのイベントに必要になりそうな金額を見積もる。

これに取り崩し額を足せば、老後に準備しなければならない金額になる(物価変動は考慮していない)。


注意したいのは、月々の支出一つとっても、個々の家庭で金額が変わることだ。

生命保険文化センターの意識調査によると、
「老後の最低日常生活費」は、夫婦で月22万円だが、
「ゆとりある老後生活費」となると、月34.9万円に跳ね上がる。
要するに、必要な老後マネーは、家庭ごとで異なるのだ。


とはいえ、生活レベルに応じた「目安」は必要だろう。
ここからは、老後に対するさまざまな考え方と、そこから導き出される準備金額を見ていこう。

       

経済ジャーナリストの荻原博子さんは、細かい計算よりも、
65歳以降は、生活スタイルをガラッと変えれば、お金はかからないという。


「夫婦で20万円程度の年金がもらえるのなら、生活費はその範囲内で賄えばいい。
年金に合わせた生活です。

会社に行く必要がないから、背広は必要ないし、夫婦2人だと食費もそんなにかかりません。
これからは年金が減るといいますが、年を取れば、消費する金額も少なくなっていきます」


生活費を年金で賄えるとすると、準備しておくべきお金は、
「介護」と「医療」を考えればいいという。

先の生命保険文化センターの調査によると、
一人の介護に実際にかかった費用は「約550万円」。

医療費は高額療養費制度があるため、70歳を過ぎた一般所得者の世帯では、
どんなに医療費がかかっても負担は、月額「5万7600円」で済む。


「すると、介護は、2人で550万円×2=1100万円。
医療費は、ざっくり200万~300万円をみておけばいいでしょう。
これに100万円余裕を持たせたとして、1500万円あれば最低限の準備はできます」(荻原さん)


1500万円は、住宅ローンの返済と教育費の負担が終わっていれば、
その分を貯蓄に回すことで、50代の10年でためられるという。


       

総務省の「家計調査年報」(2016年)を見れば、高齢世帯の収入や支出の全国平均がわかる。


それによると、高齢夫婦無職世帯の月々の実収入は「21万2835円」で、
うち年金は「19万3051円」だ。
ここから税金と社会保険料が引かれ、可処分所得は「18万2980円」となる。


一方、支出を見ると、消費支出が「23万7691円」だ。

主な支出は、食料(27.3%)、交際費(12.2%)、教養娯楽(11.1%)、交通・通信(10.6%)の四つ。
現在のシニア世帯の旺盛な活動ぶりが、ここからもうかがえるが、
この消費支出と可処分所得との差額、「5万4711円」が月々の貯蓄取り崩し額となる。


年間の取り崩し額は「5万4711円×12=65万6532円」になる。

90歳のゴールまでだと「約1640万円」、
95歳までだと「約1970万円」の貯蓄が必要になる計算だ。
全国平均でさえ、寿命が延びれば「2千万円」が視野に入ってくる。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした
       

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

この出向となった1999年(平成11年)の新春の当時は、私が54歳であったが、
私たち夫婦は、自分たちの老後の生活の改めて話し合ったりした。

こうした時に、私が定年退職を出来た後、どのような生活をしたいか、そして生活資金などを話し合った。
具体的には、私たち夫婦の第二の人生は、どのように過ごしたいのか、主題であった。
                               
やがて結論としては、定年退職後の60歳以降は、
私は働くことを卒業し、お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよいなぁ、と漠然に念願したりした。

こうしたことを実現するためには、この当時も各出版社から数多くの本が発売されていたので、
私なりに買い求めた。

そして『定年後』~「もうひとつの人生」への案内~(岩波書店)、『間違いだらけの定年設計』(青春出版社)、
『「定年後」設計 腹づもり ~50代から考えておきたい~』(三笠書房)などを購読した。

或いは雑誌としては、 『ほんとうの時代 ~50代から読む「大人の生き方誌」~』(PHP研究所)であり、
こうした本を読んだりしながら、現在の我が家の貯金の確認、定年退職までの年収、退職金など、そして年金の推定額も算出し、
収支概算表を年別に作表し、この当時の夫婦平均寿命までの年を総括表にしたりした。

そして、毎年の月別は、家計簿の応用で収入の項目、支出の保険、税金等を含め、予定表も作成したりした。

この時の私は、幸いに住宅ローンを終えていたが、私は1944年(昭和19年)9月生まれであるので、
年金の満額の支給は62歳であり、それまでの2年間は満額のほぼ半分となるので、このことも配慮した。

そして年金が満額となった62歳からの生活の収支は、
私たち夫婦の共通趣味である国内旅行費、そして冠婚葬祭など諸経費は例外として、
原則として生活費は、年金を頂く範囲として、収支の概要を作成したりした。

こうした結果、私の年齢、家内の年齢を主軸に、1998年(平成10年)から私が80歳を迎えるまで、
年次別の収支と残額を作成し、パソコンに入れて、計画、実績、差額を毎月入れたりしていた。
この当時は男性の平均寿命は、確か78歳だったので、私は漠然としながら80歳とした。

       
                                        
やがて定年する数年前、経済にも疎(うと)い私が、
経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読んだりした。

そしてデフレ経済の蔓延している中、年金生活を始める時点で、住宅ローンの返済が完了し、
公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、預貯金が3000万円あれば、
少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。

やがて2004年(平成16年)の秋に定年退職を迎えたが、
そして出向先は遠い勤務地であり、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後は年金生活を始めたひとりである。

しかしながら私はつたないサラリーマン時代の軌跡であったので、
もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートの年収、そして退職金などは、遥かに及ぶことなく、遠い存在である。

       

そして年金生活を始めると、定年まで何かと悪戦苦闘が多かった為か、
予測した以上に、安楽な年金生活を享受してきた・・。

過ぎし2010年8月下旬の頃に、私は医学博士で病院長の帯津良一さんに、紙上でめぐり逢えた。
新聞の出版広告で偶然に読み、この雑誌が女性月刊誌の『婦人公論』と知り、
私は恥ずかしながら買い求めて、精読したりした。

《・・(略)・・私の理想は、「達者でポックリ」逝くことです。
死ぬ直前まで自分の足で歩き、自分の口で食べ、自分の頭で考えることができる。
「寝たきり」とは180度対照的な死に方が、「達者でポックリ」だと言えるでしょう。
・・
人生は生老病死ーーつまり死も含めて、丸ごと自分の人生なのだから、
「死に時」も「死に方」も自分らしくありたいという考えが基本です。

                                                         

「いたずらに死を恐れるあまり不要に長生きしても意味がない」と考えるようになったのは、
このホリスティック医学の考え方に共鳴し、
その理念に基づいて自らの病院を設立した40半ば以降です。
・・
私もブラッと飲みに行けなくなったら、そろそろ「死に時」ですかねぇ(笑)。
理想は、下町の小料理店に出向き、さぁ、今日は何をツマミに飲もうかなとワクワクして暖簾をくぐっているときに、
心筋梗塞でバタッと倒れるなんていうのがいいですね。

年齢に関していえば、80歳くらいまで生きれば十分ではないですか。
もちろん、肉体面でも精神面でも人それぞれ個人差がありますから一概には言えません。

しかし、自力で自由に動けるのは、せいぜい80代まででしょう。
90代になると、何かしら衰え、欠けてくる。
いくら頭がしっかりとしている人でも、足腰が立たなくなったり、その逆のケースも起こります。

ましてや100歳なんて、どんな人でもポンコツになっているはずですよ(笑)。
おめでたいと言うけれど、100歳以上は、やはり「生き過ぎ」だと私は思います。

これとこれができなくなったら、自分はそろそろ「死に時」かもしれない。
その線引きは人それぞれですし、それがわかれば、
「生きているうちにこれだけはやり遂げておこう」という人生のテーマも見えてくる。

つまり、自分にとってベストな「死に時」を考えことは、
今、生きているこの時間を最大限に充実させて生きていくことにもつながるのである。(略)・・》
                                   

このようなことを私は深く学び、今後の確かな晩年期の導きの御人にめぐり逢えた、と深く感じて、
これ以降、帯津良一さんの言動、ご著書も購読したりして、信愛を重ねている。

         

おととしの平成27年には、日本人の平均寿命は、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。

そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
平成25年の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。

そして誰しも憂いることは、「健康寿命」と「平均寿命」との間に、多くの御方が介護・要となり、
介護の状況により、やむなく介護施設に入居する事態となることが予測される・・。

今回の記事に於いて、私は「90歳超の人生」に備えよ、と明記されても、
私たち夫婦が、セカンドライフを設定したは1999年(平成11年)の新春の当時で、
私が亡くなるのは、漠然としながらも80歳としていた。

         

今頃になって10年分を延長して、老後の資金をやり直ししなさい、と教示されても、
私は大いに戸惑ったりし、苦笑ばかり重ねている。

やむなく、何かとブラス思考の私は、人それぞれ永(なが)らえるのは、自助努力も肝要であるが、
こればかりは神様か仏(ほとけ)さまの采配によるよなぁ・・と微苦笑したりしている。

尚、私が先に亡くなった時は、家内には我が家を処分して、マンションの小さな部屋を買い求めて、
生きがいとして趣味を強くして、老後を楽しく過ごして欲しい、と私は定年後から幾たびも言ったりしている。


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